徳川慶喜log~徳川と宮家と私~

徳川慶喜家に生まれた母久美子の生涯、そして私の人生。

父・井手次郎~精強261空”虎部隊”サイパンに死すとも⑨・地獄の海岸線2~

2019-08-19 05:00:00 | 日記
6月15日・・・この日は未明より、チャランカノアの上陸予定地点周辺への艦砲射撃が約一時間あまり続き、午前7時頃になると、前日に掃海作業を行った海面上に、数十隻の上陸用舟艇が集結をはじめ、ついで水陸両用戦車を先頭にして、いよいよ上陸を開始してきた。

わが陸軍の守備部隊および海軍の警備隊、特別陸戦隊は、これを向かい打って猛烈な砲火をあびせ、一時は敵の上陸部隊を海浜、水際に撃滅寸前まで追い込んだ。
しかし2時間後には、体制を整えた米海兵隊は、海上からの艦砲射撃に加えて、空からの急降下重爆撃の援護のもとに、さらに強力なる多数の上陸用舟艇の増援により、第二次上陸を敢行してきて、たちまちにして大部隊と戦車、重砲など多数を揚陸したという報告に接した。

その夜も私たちはいつものように、防空壕のなかで負傷者の治療に従事したのであったのだが、あたりに”遂に来るべきものが来た!”という沈痛な雰囲気が漂うのは致し方なかった。

米軍上陸部隊に対して、わが陸軍部隊は野砲、山砲などをもって反撃を加え、また、夜間は各所で夜襲攻撃を繰り返したが、日本軍の夜襲戦術を熟知した米軍は、無数の吊光照明弾を打ち上げたあと、狙い撃ちをし、この火力のまえにはついに全滅に近い部隊も出てしまった。
最後の切り札ともいうべき夜襲さえ効う隙を知ったわが軍は、次第に反撃の機会を失い、敵上陸地点よりタポーチョ山麓方面に後退せざるを得ない状況に追い込まれる事となった。

(父井手次郎の手記を基にしているので、「私」の記載は父井手次郎を指す。)

徳川おてんば姫(東京キララ社)

父・井手次郎~精強261空”虎部隊”サイパンに死すとも⑨・地獄の海岸線1~

2019-08-16 05:00:00 | 日記
敵の機動部隊と主砲を武器とする水上艦隊は、すぐる2月にトラック諸島を攻撃した際と同じく、マリアナ地区の航空基地と陸上施設を徹底的に破壊し、ついでパラオ諸島を攻略するものと想定されていたが、その予想を覆して敵の攻撃、上陸の矛先は直接、サイパン島に向けられたのだ。

この日の夕刻、東南の海域・・・サイパン・テニアン水道には数百隻にのぼる上陸用舟艇や輸送船が集結しているのが観測された。
アスリート飛行場の戦闘指揮所にいる上田司令からは、戦況や今後の対象についての指示をもたらす伝令が、岡本軍医長のもとへやってくる。
その夜私たちは、岡本軍医長を囲んで、敵が上陸してきたときのわが医務隊の対策と任務、および患者の処置などについて長時間にわたって協議をした。

その結果、陸軍の負傷者はできるだけ、その所属部隊に治療を依頼し、敵上陸後は、状況によっては戦時治療所の移転、撤退もやむを得ないこととした。

(父井手次郎の手記を基にしているので、「私」の記載は父井手次郎を指す。)

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父・井手次郎~精強261空”虎部隊”サイパンに死すとも⑧・巨弾降る5~

2019-08-15 05:00:00 | 日記
6月14日の朝は、サイパン島南東沖に接近した数十隻の敵艦隊による、前日にもましての激しい艦砲射撃で始まった。
ガラパン市街、チャランカノアのわが陸軍の守備隊陣地に対し、空襲を加えると同時に、敵観測機が上空を旋回し始め、そのためか艦砲の着弾はますます正確になってきた。

その様な艦砲の狙い撃ちにあって私たちは、午前中はほとんど防空壕から一歩も出ることが出来なかった。
この時まで私たちは主計隊より、砲爆撃の間隙をぬって握り飯が配られ、副食は予め用意していた大和煮、サケ、福神漬けなどの缶詰で腹ごしらえをしていたのだが、ここにいたっては、握り飯のかわりに乾パンと缶詰と、水だけで空腹を凌ぐほかはなくなった。

壕のある丘の上に登って東南の海上を見渡すと、テニアン島も艦砲射撃をうけているのか、数か所より中天高く黒煙を噴き上げているのが見られた。
午後2時頃になって、全島に鉄量を撃ち込んだ凄まじい艦砲射撃は終わった。

このころ、西海岸のチャランカノアの沖合数百メートルまで接近した米駆逐艦や掃海艇など二十数隻による、機雷除去の掃海作業が始まったことが報告された。
軍医長をはじめ私たちは、何やら不吉な予感がして再び丘の上に登っていった。
チャランカノアの沖合に目を走らせると、まさしく掃海作業のための小艦艇が、忙しく往復しているのが望見できた。
これで、いよいよ米軍のサイパン島上陸は決定的になってきた。

(父井手次郎の手記を基にしているので、「私」の記載は父井手次郎を指す。)

徳川おてんば姫(東京キララ社)


父・井手次郎~精強261空”虎部隊”サイパンに死すとも⑧・巨弾降る4~

2019-08-14 05:00:00 | 日記
夕刻になって、3時間余りも続いた猛烈な艦砲射撃がようやく終わりをつげ、敵の艦隊は東方海上に姿を消した。
そこで医務隊は、壕に数名の衛生兵を残してひとまず、飛行場の医務室に集合することになった。

防空壕から出て、飛行場に行く途中の情景は凄惨だった。
陸海軍の食糧集積所や、弾薬庫はことごとく火災を起こし、弾薬庫からは砲弾や銃弾が誘爆するたびに、付近にブルブルと鈍い音を立てて破片が落下してくる。

その間隙を縫うように一人ずつ十数メートルの間隔をおいて走り、医務室に集合したのであったが、来てみれば医務室の屋根は吹き飛び、ベットの破片、毛布やマットが飛散し、惨憺たる有様であった。
その夜、戦時治療所の防空壕に戻った私は、いささかの疲労をおして数名の負傷者の治療に当たった。

(父井手次郎の手記を基にしているので、「私」の記載は父井手次郎を指す。)

徳川おてんば姫(東京キララ社)

父・井手次郎~精強261空”虎部隊”サイパンに死すとも⑧・巨弾降る3~

2019-08-13 05:00:00 | 日記
6月13日の午前中は、前日にひきつずき上空は敵機の跳梁により、全く思いのままにされ、これに対する味方の対空砲火はほとんどなくなっていた。
壕内の負傷者のうち陸軍の者は、原隊の衛生兵によって陸軍の医務隊に引き取られていった。

午後2時頃サイパン、テニアン間の水道に戦艦8隻を主力とした、30数隻の米艦隊が進入して来て艦砲射撃が始まった。
万雷のごとき轟音と共に、わが陸軍陣地、ガラパン市街、アスリート飛行場付近に40センチ、36センチ主砲弾やら焼夷性砲弾を猛烈に打ち込んでくる。

敵艦上機による機銃掃射やロケット弾攻撃、それに爆撃などは、急降下の角度から外れていれば、やや安心して望見していられるが、艦砲射撃だけは砲弾がどこに落下命中して来るのかわからず、ただ炸裂した時をもってはじめて弾着を知る始末で、不気味なことおびただしい。
ただ、全員が防空壕の中に潜み、艦砲射撃の終わるのをじっと待つ以外に方法が無かった。
わが陸上部隊もこれに対しては、なすすべもなく、全くのところ沈黙の状態であった。

徳川おてんば姫(東京キララ社)