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今日の社説

2016年02月16日 | Weblog

電波停止」発言 放送はだれのものか

 放送局に「電波停止」を命じる可能性に言及した高市早苗総務相の発言が波紋を広げている。政権の“脅し”とも受け取れるからだ。放送とは国民のものであるという原点に戻り考えるべきだろう。

 問題の発言が飛び出したのは、八日の衆院予算委員会だった。「放送事業者が自律的に放送法を守ることが基本だ」としたうえで、高市氏は「放送事業者が極端なことをして、行政指導しても全く改善しない場合、何の対応もしないとは約束できない」と答えた。

 放送局に電波停止命令を出す可能性について問われたときも「将来にわたり全くないとは言えない」と述べた。

 確かに電波法七六条では、総務相は一定期間の電波停止命令ができると定めている。テロ参加を呼びかける放送など極端な場合だと高市氏は説明している。

 だが、問題となっている放送法とは、同法四条のことだ。「政治的に公平であること」「報道は事実をまげないですること」などを規定している。

 政治的公平性とは、立場によっていかなる解釈をもとることができる。ある人から見れば、公平であっても、意見の異なる人から見れば、偏向していると映る。およそ判定のつかない、極めて抽象的な概念である。

 だから、この四条の規定は、放送事業者が自らの放送倫理、良心に基づいて自律的に守るべき倫理規定だというのが、一般的な考え方だ。そもそも放送法の目的は「放送による表現の自由を確保すること」にあるのだ。民主主義の基礎である。

 戦前・戦中は政府の検閲があり、放送は自由ではなかった。逆に政府や軍部の宣伝機関として利用されてきた歴史がある。戦後の放送法制定時には、その反省に立って、「放送による表現の自由」をうたったのである。

 もし、四条が倫理規定でなく、担当大臣が放送をチェックする根拠法ならば、放送内容が公平なのかどうかを権力側が判断することになってしまう。自由な放送どころか、権力側が放送局を縛る結果となるわけだ。

 高市氏の発言が、放送局の現場を萎縮させないか心配だ。「電波停止」という、放送事業者にとって致命的な手段をちらつかせるのは、厳に慎むべきだ。国民に必要な十分な情報と知識を与えるためにも、放送局は毅然(きぜん)とした姿勢を保ち続けてほしい。


今日の筆洗

2016年02月16日 | Weblog

 江戸時代の寺子屋の入門はだいたい六、七歳からで、二月の初午(はつうま)を選んで入門手続きが行われたそうである。今年の初午は六日だったので、もう過ぎてしまったが、ずいぶんと寒い時期を選んだものである▼「江戸の卵は1個400円!」(丸田勲さん・光文社新書)によると寺子屋に定額の入門料はなかったそうで、親の懐事情に応じて支払った。庶民なら、現在の四千~六千円で、お金持ちで三万二千円前後だったという。親にとってはありがたい仕組みである▼現代のこの時期は私立大学の受験シーズンか。知人にその数字を聞かされ、そんなにかかるのかと正直震える。私大一校あたりの受験料はだいたい三万五千円▼十校も受ければ、三十五万円とは、当然の計算だが、受験生をまわりに持たぬわが身にとっては、しばし呆然(ぼうぜん)とする大枚である。無論、寺子屋の入門料とは異なり、家庭の財政事情など関係なく、一律三万五千円である▼受験料の正当性はともかくとして、受験生は英単語や数式に加えて、その数字も覚えておくべきであろう。<受験のいいところは、ひとりで生きているんじゃないと、知ることかもしれない。>。大手予備校の十年ほど前の広告コピー。一生懸命働いて三万五千円を用意し、愚痴もこぼさぬ誰かがいる▼入試には出ぬ。されど、人を思う「大人」という試験の一問目には必ず出題される。