ブラジル音楽、ボサノバの名曲「イパネマの娘」。歌に登場する魅力的な女性は実在の人物で、名をエロイーザ・ピニェイロさんとおっしゃる。失礼ながら、現在七十七歳になるそうだ▼一九六二年、リオデジャネイロのイパネマ海岸にほど近いバーにいた作曲家のアントニオ・カルロス・ジョビンと作詞家が通りを歩いていた、十七歳のピニェイロさんを見かけ、その姿に着想を得て、曲を作った。もし、その少女が通りかからなかったら曲の誕生はもちろん、ボサノバの今の地位もなかったかもしれぬ▼この曲には別の伝説がある。伝説の主役で、この曲を歌い、ヒットさせた「ボサノバの女王」のアストラッド・ジルベルトさんが亡くなった▼伝説とはこの曲を録音するまでアストラッドさんはプロ歌手としての経験がほとんどなかったこと▼米ジャズのスタン・ゲッツが自分のアルバムにこの曲を採用したが、ポルトガル語の歌詞が分からない。英語のできたアストラッドさんがたまたま英訳して歌ったのを気に入り、歌手としての起用が決まった。もし、英語が話せなかったら…▼ボサノバのボサとはポルトガル語で「突起物」のこと。転じて才能や天性の感覚を意味する。ジョビンがボサノバとは「美しい哀(かな)しみ」の音楽と言ったが、柔らかく、時に壊れやすい歌声がそれを巧みに表現した。大きな「ボサ」をお持ちだった。