私にとって、チャーター便を利用する団体旅行は、初めての経験です。
ビジネスクラスの席に座わると、「S様ですね。私は担当の〇〇です。よろしくお願いします。」とフライトアテンダントが挨拶に見えます。
全員着席終えると機内アナウンスが流れます。
「私はチーフアテンダントの〇〇です。機長は誰某。」普通の飛行機は、ここで紹介は終わるはずですが・・・
「副機長は誰某、機関士は誰某、ファーストクラス担当は・・ビジネスクラス担当は・・、プレミアムEとEの担当は、・・・・・」
と全員の名前を紹介しました。
「私ども、ANAでは、アイスランド・レイキャビック直行便は初めての、記念すべきフライトでございます・・・」
なにやら、アナウンスの内容と声と共に、気合が伝わってきます。
上空の安定飛行に入ると、
「皆様、右手にオーロラが見えます。皆様のアイスランドご旅行の最後の想い出となることでしょう。どうぞ、ご覧くださいませ。」
先ほどの担当の〇〇さん、わざわざ見えて「あちらの扉の窓から、ご覧になれますよ」と声を掛けてくれます。
それでは、と見に行くと、かすかに霞んで見えるだけ。
ツアーの他の客も見に来ては、口々に「ちょっとだけね。それより、あのオーロラは凄かったわよね~・・・」
と自分たちが遭遇した、あのスザマしいオーロラの想い出話に輪が広がります。
私は座席に戻り、独り静かにカメラを操作して、オーロラの想い出に浸っていました。
飲み物を給仕しにみえた〇〇さんが、「ご覧になりましたか?」と温かい笑顔で問いかけますので、
丁度手にしていたカメラの録画を見せて、「実はね、こんなオーロラを見たの・・」
彼女は息をのんで、「すごい!すごいです。・・・鳥肌が立ちます・・あの、お給仕終えたら、また、見せていただいてもよろしいですか?」
「もちろん、お手すきの時、いつでもどうぞ」と答えます。
しばらくしてから見えまして、一日目のオーロラ、2日目、3日目と段々強くなる様子を見せて、そして4日目を紹介しまして
私「これまで、北欧や北米のフライトで、オーロラを観察できましたか?」と彼女に問いますと
「見えても、今夜のようなぼんやりとしたもので、オーロラとはそういうものだ、と思っていた」そうです。
私も、最初は同じように考えたけど、実は違ったこと、NHKの撮影班やJTBノルウェー支店長の話も紹介しましたら、
彼女は目を輝かせて聞いてくれました。
そのような気さくで温かい彼女になら、旅の間、ずっと疑問に抱いたことを、問いかけてみようと話を続けます。
「あのね、往きのフライトで、ロシアを縦断したけれど・・・ロシアがソビエトだったころ、縦断できなかったわよね?」
「私が20代の頃、ヨーロッパを旅したとき、ロンドン直行便でも15時間ぐらいかかって、中国の南の景色とか見下ろした記憶があるの。
今、中近東とかテロとか、局地的には戦争はあるけれど、ロシアになって東西の壁が無くなって、世界は概ね平和になったのかな、って感じたんだけど、
他の旅行客にこの話をしても、皆、分からない様子で・・」
〇〇さん、目を輝かせて「実に興味深いお話です。私は即答できませんが、本日はベテランのアテンダントもおりますので、質問して参ります。
お待たせしてしまうかもしれませんが、必ず、聞いてきます。」
お夕食を終えた頃、〇〇さん「今、大丈夫ですか?」と笑顔で現れ、私も笑顔で応えお話を伺います。
ベテラン(おそらく50代か?)のアテンダントと、更に、コックピットの内部で話合われたそうで・・・
「ソビエト時代は、ソビエトの都市に経由する便以外は、上空を通過することは認められなかった。
「ロシアになって協定が結ばれ、通過できるようになったが、航空規制官と英語のやりとりが難しく、敢て「ロシア訛り英語」を学習している。
「ロシア上空を通過する時は、万一のことが起きないように、頻繁に交信するそうです。」
なるほど、なるほど、と肯きます。
彼女の真摯な態度に、意を強くした私は、次なる質問をします。
「あのね、今回の旅ではアイスランドを一周して、田舎の町のホテルに泊まったのだけど、ホテルのロビーにある時計が、
ロンドン、ニューヨーク、ホテルの町の名前、それにトーキョーってね、必ず「TOKYO」の時計があるのが不思議で・・・
経済大国が理由なら、ドイツや中国の時刻があっても不思議じやないのに・・・」
20代で旅行した大英博物館では、プレート表示言語の6言語は、英・仏・独・伊・西とヨーロッパ各国が並び、最後に日本語の表記があり、
日本人が戦後、営々と積み重ねた努力が、このような形で認められた、と感動したこと。
その後、30代で再び大英博物館を訪れた時、紙のパンフレットは中国語、ハングル語をはじめ世界各地の言語が並ぶ中、
大理石の壁にある説明表示版は、以前のまま、6言語の中に、日本語が燦然と輝いて見えました。
今、経済規模では中国に抜かれ、日本の存在が薄くなる中で、アイスランドの田舎の都市で、東京の時刻を知らせることの意味が、気になりました。」
すると、彼女は「実に興味深いご質問です。必ず、聞いてまいります。」と強い表情で応えてくれました。
しばらくして、彼女は私にお菓子と飲み物を勧めて、運んで参りまして、
「このご質問につきまして、ベテランやコックピットの中でも話しまして、
恐らくは、金融関係者がマーケット開けの時刻を確認するためでは。世界の主要マーケットは、ロンドン、ニューヨーク、トーキョウですから。」
「デジタル時計では、世界各地の時刻を知らせる場合が多いですが、
アナログ時計では、例えばシンガポールでも、ロンドン、ニューヨーク、シンガポール、トーキョー、となっています。」
そうか!中国は経済発展しようと、国際金融マーケットに則っていない。
それでも、過去の日本人が努力した結果、東京マーケットの存在が重要で、これからも頑張っていかないと、
いつの日か、「トーキョー」から「ベイジン(北京)」に取って代わられるかもしれませんね、
そうならないためにも、私たちは、一生懸命、仕事しなければなりませんね。
ANAの、私を担当して下さった客室乗務員の、温かいおもてなしに感謝の言葉を伝えました。
成田に到着し、夫が車を運転し、無事我が家にたどり着き、「我が家が一番」と安堵して、旅は終わります。