智の庭

庭の草木に季節の移ろいを感じる、日常を描きたい。

歌の翼にあこがれのせて

2017年04月15日 | 読書、観劇、映画
甥っ子(小3)のピアノ発表会リハに、姉の代わりに付添してきました。

習い始めて4か月で、私も初めてお会いするので、どんな教師なのか、とくと拝見しました。

先生はソプラノ歌手でありピアノ講師でもありますが、

基礎的な技術はもちろん、歌う心を大切にする先生でもあることが分かり、安心しました。


私は、技術を見せびらかすように演奏するのは、音楽家ではなく技術屋。

つまずいても、高らかに歌い上げる心、想いがあふれるような音色を、奏でるのが「音楽」と思います。

聞いていて共感できますし、心の中で一緒に歌っています。

類は友を呼ぶのか、生徒さんは親子や兄弟姉妹で連弾したり、

他の発表者の演奏も、皆熱心に鑑賞して、大変家族的な雰囲気でした。


甥っ子自ら習いたい希望を申しましたので、

生徒枠の空きの順番待ちのところ、私は姉に一計を授け、

「月1回でいいですから、自宅で補習させますから」(姉も多少は弾けますので)

と先生と交渉し、まず、甥っ子マー君を先生に引き合わせたら、

きっと先生はマー君を気に入って、月4回に替えてくれるでしょう・・・


その通りとなりました。


今は、姉に声楽を学んだら? とけしかけております。

まずは、姉の健康のため、もうひとつは子供と共に学びあう時間を作るため、

本当は私が学びたいのですが、往復3時間の運転する体力が、今の私には無いのが残念です。


伍代夏子&香西かおり ジョイント・コンサート2

2017年03月28日 | 読書、観劇、映画
先日は、コンサートの来客について触れましたが、今日は、歌手お二方についての所感を述べます。

伍代さんの方が年上で歌手生活も長いようで、伍代さんから香西さんにジョイントを申し出て8年経つそうです。

舞台では、二人の個性が、際立ちます。


まず、伍代さんは、持ち歌を唄う前に、歌詞の背景や作曲のエピソードを説明しますが、

実に、観客のひとりひとりを見つめ、語りかけます。

間奏曲のときに、舞台手前席、中盤、奥、2階席の観客を、明るい舞台上から暗い客席の人々をよく見えるように手をかざし、視線を確認して、

それから手を振ります。

曲が終わったあと、舞台裾に引き上げるときも、次に反対側から現れる香西さんの方に手を差し伸べて、

「お次どうぞ」と余韻を最後まで残して、静かに消えゆく感じです。

そして、香西さんが歌っている間に、次の曲に合わせて、衣装を変えます。

観客を歌と、衣装と、語りで楽しませようと、心配りが行き届いています。


対して、香西さんは芸能生活30周年を迎えたそうですが、

着物で登場するときも、ドレスで現れる時も、大股で堂々とした歩きっぷりで、

歌い終わって裾にはけるときも、客席に背を向けて「終わった」と、すたすたと立ち去ります。

歌詞の説明するときなども、誰に向って、ということでなく、あらかじめ用意した伝えるべきことを話した感じで、

観客との対話や意思疎通を図るより、独り言のようにみえます。

衣装替えも少なくて、「また同じか・・」と残念に思います。


伍代さんより、香西さんの方が、声量や技量に恵まれていますが、

伍代さんは、歌の世界を心から演じるのが好きで、人々との心の交流を大切にされ、

香西さんは「民謡全集を発表しました」と言われる通り、

袴姿で、スタンドマイクを正面に、民謡を歌うことに、自分の世界に没頭することが、好きなのでは、

そのように思いました。


お二人の持ち歌の世界は、私には、ちょっとなじめない、と感じました。

でも、歌手であるお二人に、それぞれの良さを感じて、好感を抱くことはできました。

伍代夏子&香西かおり ジョイントコンサート

2017年03月25日 | 読書、観劇、映画
JAさいたま主催の、伍代夏子と香西かおりの歌謡ショーに、JAから招待券をいただき、行ってきました。

私の座席は1階の最後尾で、会場を一望しますと、招待された農協会員の「おじいちゃん、おばあちゃん」で、

場内の平均年齢は80過ぎ・・・と見え、私は場違いな感じがします。


農協の新理事たちの挨拶が終わり、コンサートが始まり、宴たけなわの中で、最後の一曲となり、

歌手の二人が舞台から客席に降りて、握手しながら歌い進みます。


1階前方は握手で盛り上がりますが、中盤から後半の客は、「歌手はここまで来ない」と見限って、

曲が始まって早々、次々と席を立ち会場を去ります。

握手を終えた前方客席の人々も、「用が済んだ」とばかり、舞台を背にして退却。

曲の終盤に、歌手の二人は舞台に戻りましたが、客席はガラガラ、客人は皆出口の方を見て、歌手に拍手も送りません。

歌手の二人は「皆さん、さようなら~」と、客の背中に向ってご挨拶です・・・・


いやあ~・・・自腹切らず「ただ」で見に来たお客は、節操がないと申しましょうか・・・

歳をとると、終わるまで「我慢できない」のでしょうか・・・

衝撃のフィナーレでした・・・・

バレエ・三銃士

2017年03月18日 | 読書、観劇、映画
去る3月5日、文京シビックで牧阿佐美バレエ団による三銃士を拝見しました。



美しい王妃、賢くけなげな侍女、妖艶な悪女、と分かりやすいキャラクター達、

男性もダルタニヤンと三銃士のイケメン陣、こっけいな王様、正統派のハンサムな貴族、悪巧みの権力者と一味達、

オーケストラによる生演奏。

明瞭な展開、男性の配役が多く、大変楽しかったです。

月イチ歌舞伎

2017年03月17日 | 読書、観劇、映画
新年早々、坂東玉三郎様の「阿古屋」



玉三郎様が、お琴、三味線、胡弓を演奏されて、音曲の調べにのせて、たっぷりと魅せます。

二月は、片岡仁左衛門様の「女殺油地獄」



私がずいぶん若いころ、片岡「孝夫様」演じるこの作品から衝撃を受けました。

主人公の衝動性、家族に暴力を振るい、周囲にも因縁つけて喧嘩、賭け事と借金、そして強盗殺人

他者の情に鈍感で、自分の激情のまま行動する犯罪者の心理や言動を、近松門左衛門は洞察しており、

孝夫様の迫真の技に、圧倒されました。

久しぶりに拝見する、仁左衛門様となられた今も、スゴミがありました。


三月は、玉三郎様の「二人藤娘/日本振袖始」



藤娘は、玉三郎様と若手の競演で、

同じ手の所作でも、若手は右から左への移動で、「教わりました」通りの動きで、

玉三郎様は、指先から音曲の調べが流れ出るように、緩急や抑揚が表現され、ふわっと浮いた手の先に、何かが見える。

顔の向き、まばたき、まぶたの伏せ具合、すべてが音楽の流れに合って、心に染み入るばかり。


お次の振袖始では、玉三郎様は、恋に破れた怨念から八岐大蛇(ヤマタノオロチ)となった姫の役、

人身御供の美しく若い女性を喰らい、素戔嗚尊(スサノオノミコト)と戦います。

八つの酒壺を次々飲み干していく様、8つの頭を持つ大蛇に変身し、大立ち回り、呪いをかける様、

笛と太鼓の「ぴー・・・  どどどんどんどん」がオドロオドロしく、足で床を踏み鳴らす「どんどんどん」も効果的で、

身を乗り出して、見入ってしまいました。

無声映画における弁士のようなお囃子とお唄によって話が展開し、役者もミュージカルのように唄って踊って決めセリフを放つ。

いやあ、楽しいですね。

やはり、「日本の宝」ですね 。


今年度は、5月から始まります。



帰宅した後、クイックルワイパーを藤の枝に見立て、「たたん~たあたん~」しばし余韻に任せて踊る私でした・・・


コロッケさんの「あおいくま」

2016年05月24日 | 読書、観劇、映画
物まね芸人のコロッケさんが、「母さんのあおいくま」という著書で、

コロッケさんの生家の教訓 「あ」せるな、「お」こるな、「い」ばるな、「く」さるな、「ま」けるな

を紹介され、私もとても共感できました。

中でも、負けるな、が一番含蓄ある言葉と思います。


人は誰の心の中にも、人に勝ちたい、優位を示したい、そんな闘争本能がありますが、

敢て、「勝て」と言わずに 「負けるな」と諭す。

他人に対して勝つことは、本人には快感かもしれませんが、相手に劣等感を与えもします。

喧嘩や口論で、勝ちすぎることは、その後の仕返しにつながるし、恨みを買います。

また、学問や芸事など何か道を探求する場合、

負けるのは、他人に対してではなく、己の弱さに負ける、そういうものです。


コロッケさんの生い立ちは、父親不在で、お米に事欠く貧しいものでしたが、

お母様の知恵と機転と勇気のお蔭で、笑顔が絶えない、明るく温かい家庭で育ったことが伺えます。

この本を実家の姉に渡しました。


そして、私自身、夫婦喧嘩が勃発したときは、この言葉をお念仏のように唱え、

夫に勝たずして、かつ、負けない道を、模索するようにしております。

セメント樽の中の手紙

2016年05月15日 | 読書、観劇、映画
高校生の頃、雰囲気のある美しい国語の先生がいらして、

色白面長、ほっそりとした柳腰、夢見るように大きく見開いた瞳の彼女は、竹下夢二の絵の中の人、などど思ったものです。


「授業が、順調に早く終わったので、皆さんに、先日見ました演劇のお話をしたいと思います」

生徒一同、わーっと喜びます。なんせ、テストとは関係ないので、脱線は歓迎です。

「その演劇は、一人芝居で、一人の女優が何役もこなし、舞台はいたってシンプルで、照明の明暗だけで状況が変わり・・・」

そうして、その一人芝居を、再現して見せてくれました。


私も、かなりな文学少女であり、一時期は漫画家を目指すほどの、想像力はある方ではありましたが、

始まると、教壇は舞台に変わり、先生の創り出す世界に引き込まれ、鳥肌が立つほどの感動を覚えました。


話は飛びますが、

中国の大学で日本語講師をしたとき、乏しい辞書を前に、学生たちにどのように日本文学を伝えたらよいか思案したとき、

この国語の先生を思い出し、一人芝居の会話劇をしてみたり、文章の世界を想像して黒板に描いてみたり、

日本語を使って出来上がる作者の世界観が伝わるよう、心がけました。


話は戻り、

国語の教科書に「セメント樽の中の手紙」と題する文章があり、

予習として自宅で先に読んだ時、衝撃な内容に、独り涙を流しました。

翌日、授業でこの課題に入ることになり、先生が「誰に読んでもらおうかしら・・・?」

とつぶやきながら生徒たちを見渡し、私に目を止めて「Mさん、読んでください」と指名を受け、

「ドキッツ」と心臓が鼓動します。

あこがれの先生の、期待に応えたい・・・・と席を立ち、一呼吸して、読み始めました。


前段、コンクリートミキサーへセメントを投げ入れ続ける重労働に、毎日、セメントまみれになって追われる労働者の描写と

疲弊しきった彼の、心の中のぼやきから始まります。

夜、貧乏人の子だくさんの騒々しい長屋に戻り、昼間の仕事中に、セメント樽の中に木箱を見つけたことを思い出し、

箱を壊して開けると、手紙が入っていました。


既に長い文章なので、この区切りで読み手が交代するかと、私は顔を上げて先生をチラリと伺いますと、

先生は、続けて・・・とつぶやきます。そこで、本題の後段に読み進めます。


セメント工場で袋を作る女工によるもので、内容は・・・・

同じ工場で働く恋人が、砕石を粉砕機に投げ入れる仕事の最中、転落し砕石の渦に沈み、共に砕かれ、

ベルトコンベアーに細かい断片となって運ばれ、更に、高炉で焼却されて、セメントの粉となってしまった、

恋人の死を悼む女工は、恋人がセメントとなって、どんな風に使われたのか、

道になったのか、橋になったのか、建物になったのか、・・・教えてください、と結びます。


教室中が、しーんと静まりかえって、私の朗読は終えました。

先生が私を見つめて「ありがとうございました」と応えられました。

当時の私は、愛する人を突然の事故死で失う女工の心情に同化して、鑑賞し涙を流すばかりでした。


あれから・・・幾歳月も流れ、

ふと、この物語と教室の風景を思い出し、こうしてブログに書く私は・・・


もし、我が家で新築の家を建てる時、業者が仕入れたセメント袋の中に、「奥さん、こんな手紙が入ってました~」

手渡されて、開封しようものなら、「なんて縁起悪い、不吉なもの!」と怒り心頭に達し、

住宅メーカーからセメントメーカーまで、陳謝を求めるでしょうし、

セメントメーカーは女工に営業妨害で解雇と慰謝料請求を求めるでしょう。

そもそも、労働災害で死んだ労働者の遺族は、企業に対して訴訟を起こし、マスコミに知れ渡るところとなり、

そのセメントは売れずに廃棄処分になるのでは・・・・?

もし、販売ルートにのせたことが、世間にバレたら、そのセメント会社は倒産の憂き目にあうでしょう?

いやいや、この小説は大正期だから、すべての矛盾、理不尽を、労働者は黙って飲み込まされる時代か・・・


かつての文学少女も、法律を学び世間の荒波にもまれると、こんな風に考えるようになってしまうのか・・・

あの、美しい国語の先生と、もう一度、語らいあえるなら、

色白な表に、切れ長の涼しい瞳がきらりと光り「そうなの」「ふふふ」と微笑んで下さるでしょうか












寄席に行く

2015年05月24日 | 読書、観劇、映画
先日、春風亭小朝さんと、三遊亭好楽さんの落語を聞きにいきました。

テレビの「笑点」では、落語家が技を競って、

子供の頃は父と、今は夫と、毎週楽しみに見ていましたが、

本物の寄席に行ってみたい、と初めて、夫と共に行きました。


前座に若手二人が頑張っていますし、

ベテランのお二人には、話の世界に釣り込まれ、さすがだな、と感じ入りました。

涙が出るほど、笑いました。

腹の底から笑えました。

とっても気持ちのいい笑いです。



落語っていいなあ~

日本の伝統芸の良さと出会えました。

また、行こう!と思います。

「こころ」を読み終えて

2014年09月27日 | 読書、観劇、映画
朝日新聞の連載小説、夏目漱石「こころ」を読み終えて、

私が思春期の一時期、漱石の本を読み漁り、そして、パタリと止めてしまった理由が分かりました。

そこに描かれているのは、インテリの男性の内気な心模様で、

これらについては「なるほど」と肯き、その的確さに唸るようですが、

女性の心は、ほとんど描写されていないので、女性の私は感情移入しずらいのです。

しかも、男性たちは「頭でっかち」に理屈をこね、

私、登場人物と出会っても、恋愛対象になりません。

まあ、その時代、知的階層の人々は、恋愛結婚より見合いが主流でしょうから、

世相を描き、その時代の心を表している、その点では興味深く読みました。



「先生」が妻を娶るまでの経緯と、この女性に恋した親友Kの自殺が、先生の遺書に記されますが、

親友Kの恋心を知りながら、女性を妻にすべく「先生」が先手を打ったことが引き金となってKは自殺し、

先生は罪悪感を抱えて生き、ついには自殺を遂げます。


私は、女性ですから、わずかに描写される、妻となる女性の視点で考えるのです。

この女性は、およそ親友Kを結婚相手に選ぶとは思えません。

先生が行動を起さずに、親友が先にプロポーズしたところで、

この女性とその母親、やんわりと、きっぱりお断りしたと言えます。

Kみたいに堅苦しく、面白みのない人物で、偏屈、不衛生、しかも貧乏ときたら、

結婚したいと思う女性は、ごくごく限られ、迷惑がられるでしょう。


そんな女心は露とも書かれず、先生の鬱々とした感情が並びます。

この先生にしても、帝大卒で財産家であることを差しい引いたら、

「ぐずぐず」悩んでばかりいて「はっきり」煮え切らない性格で、

「魅力的な男」とはいえません。


登場人物に恋することができなかった思春期の私は、

「大人になれば、もっとわかるのかな」と将来の自分に期待しましたが、

歳を経た私が思うことは、文学も男文学と女文学が存在し、

男性による男性のための文学は、女性には、ちょっと物足りない、ということでした。



飛び火、アナと雪の女王

2014年08月15日 | 読書、観劇、映画
お盆休み、甥っ子達がお泊りにやって来たが、

今年は、次男坊6歳が、皮膚病の飛び火に罹って、

本人は必死に治そうと、朝昼晩とシャワーを浴びては薬を塗っていたそうです。

母親と祖母が「お泊り」を止める様言いますが、聞き入れず一緒にやってきました。


母親と祖母から私に、「次男に「だめだよ」と言って」と忠告されていました。

さて、我が家のリビングで、大はしゃぎする兄弟ですが、

弟が、おやつに好物のおせんべいを食べたい、と聞いてきましたので、

私が、「草加せんべいを、自宅に帰ってから食べなさい」と答えると、

弟の顔から笑顔が消え去り、じっと考え込む表情で、私を見つめ続けます。


私、その甥っ子の視線が、とても痛く辛かった・・・・

しばらくして、弟が、静かに私へ語りかけました

「智子おばちゃん、ボクの皮膚見て。それで、泊まっていいか、だめか、判断して。」

その、大人びた冷静な口調が、ぐっと胸に迫りました。


そして、洗面所で上着を脱いで、患部を覆った布を剥がして、私の元へ来ました。

「どれどれ、よーく、見せてご覧・・・・・

うーん、古いのは、まあくんが、頑張って薬塗って治療したから、治りかけているね。

でも・・・新しく、移ったところが、まだ、赤いね・・・・・

まあくん、これを、おじちゃんには見せられません、おじちゃんは、びっくりします。

まあくんは、お家に帰って、きっちりと治してから、また遊びに来なさい」

ときっぱりと告げました。


本人、がっかりして、その後の遊びに、参加しなくなりました・・・

夫も「治ったら、いつでも泊まりおいで」と慰めますが、

甥っ子は黙っておじちゃんを見上げるばかりです。

私、悲しくて、かわいそうで、まあくんの頭をなでなでして「また、おいでね」


さて、甥っ子長男9歳は、我が家に泊まって、

持参した「アナと雪の女王」を、3回も鑑賞しました。

私も、久しぶりの秀作に感動し、3回ともおつきあいしました。


それにしても「ありのーままのー・・・」と翻訳されていますが、

内容の成り行きから、しっくりこないので、英語・英文字幕で視聴しましたが、

直訳では「ほっといて!」かな・・・?

私は、雪だるまのオラフが、夏にあこがれて歌うシーンが印象的でした。

そして、氷の表現が、美しく見事ですね。


夏目漱石、「心」

2014年08月08日 | 読書、観劇、映画
今、朝日新聞朝刊で、漱石の「こころ」を100年ぶりに連載しており、

毎朝、楽しみにしている読者の一人です。

確か、中学生の頃、夏目漱石の著書に傾倒した時期がありました。

大人になったら、もう一度読んでみよう、と当時思ったものですが、

大人になって、ずいぶん久しいのですが、朝日新聞がきっかけを与えてくれました。


ある日、漱石先生の一文に「うーん」と唸って、早速、夫に音読して聞かせました。

皆様にも、ご紹介申し上げます。


「あなたもご承知でしょう、兄妹の間に恋の成立した例のないのを。」

「始終接触して親しくなり過ぎた男女の間には、恋に必要な刺激の起こる清新な感じが

失われてしまうように考えています。」

「香を嗅ぎ得るのは、香を焚き出した瞬間に限る如く、

酒を味わうのは、酒を飲み始めた刹那にある如く、

恋の衝動にもこういう際どい一点が、時間の上に存在しているとしか思われないのです。


一度平気で其所を通り抜けたら、馴れれば馴れるほど、親しみが増すだけで、

恋の神経はだんだん麻痺して来るだけです。」

「私はどう考えな直しても、この従妹を妻にする気にはなれませんでした。」


私の夫君は、妻である私との距離感、男女の緊張感を大切にするところがあります。

音読後、夫に「あきちゃんが、言っていたことって、このことよね」

夫も「うんうん」と肯いておりました。

「なるほど!」漱石先生ありがとう。先生の名文で、夫の心理が読み解けました。

それにしても、漱石先生、シェークスピアのようですね。

図鑑

2014年07月26日 | 読書、観劇、映画
甥っ子の誕生日には、本を贈ることになっています。

6月の終わりに、6歳になった甥っ子と本屋へ行きました。

お子様コーナーでは、各社の図鑑が、ズラリと平積みで、

椅子まで置いてあり、どうぞ見比べてください、とばかり、本屋は力を入れています。


実際、甥っ子の目当ては図鑑で、

ポケットサイズの「岩石・鉱石」と大きいサイズの「恐竜」を選びました。


帰宅すると、朝日新聞の特集記事で、子供用の図鑑に各社とも精力をつぎ込んでおり、

本が売れない時代に、子供図鑑が売り上げを伸ばしている、とのこと。

確かに、親としては教育上の見地から、買い与えたい本ではあります。

かくして実家の書棚には、子供の図鑑が増えつつあります。


それにしても、男女の性差もあるのでしょうか・・・

私や姉が子供の頃、甥っ子達と比べて、そこまで熱心に図鑑を読み込みませんでした。

私はよく本を読む子でしたが、それは物語であり、

サイエンスやニュートンなど、高校生になってから読みました。


思うに、

図鑑は男子に多いオタク文化、コレクション文化へ発展し

物語は女子会のガールズトークに、発展する所以では・・・

などと思いました。

お芝居「明治一代女」を観る

2014年01月19日 | 読書、観劇、映画
昨日の土曜日、母と日本橋三越の劇場で、新春新派公演「明治一代女」を観ました。

明治時代の実際に起きた人情事件を題材にしており、

前半、花柳界の春の華々しい「起承」から、後半、冬の雪夜の暗く寒々しい「転結」へ、

明暗の展開が、ドキドキと引き込まれました。

お芝居は楽しいものですね。



久しぶりの観劇でしたが、三越劇場はコジンマリとして、

舞台と客席が近くて一体感があり、楽しめます。

観客席の中に、元NHKアナウンサーの山川静夫さんも見えました。


主役は波乃久里子、相手役は市川春猿、佐藤B作、ライバル役の水谷八重子。

皆さん、役者として職人であり、プロだなあと感心しますのは、まず発声。

言葉が良く通り、聞き取りやすく、日々の修練の賜物だな、と感じます。

また、表現についても、すっとその世界に、感情移入していけます。


幕間に食べるお弁当を、母と三越デパ地下でアレコレ品定めするのも、楽しいです。

母は、今年で79歳になりますが、衰えゆく背中を眺め、無性に悲しいです。

まだ、独りで出掛け、お友達とお芝居を楽しむ行動力がありますが、

もう少ししたら、「付き添う」必要が生じるでしょう。


幕間休憩でお弁当を広げ・・・

母「パパとね、三越にお中元やお歳暮を選んだ後、こうしてお芝居を見たのよ。」

「パパはね、高校生の頃、演劇部にいたのよ」

私「ええええーーーっ!!!」

母「パパは 新聞部と演劇部を 掛け持ちしていたのよ」


幕が閉じた後、デパート内を、食器売り場、洋服売り場とブラブラ散歩しながら、

最後は「フォートナム・メイソン」で紅茶とケーキを賞味して、

おしゃべりをしてから帰りました。

母の多幸と長寿を お守りください、空高くいます父に 祈るばかりです。

鉄砲伝来

2013年11月22日 | 読書、観劇、映画
BS103「歴史館」を楽しみに見ていますが、今回は鉄砲伝来について。

1543年に、ポルトガル人によって種子島にまず伝来した・・・・

私の知識はこの程度でしたが、

今回、「なるほど!」と納得できましたのは、

それは、なぜ信長や秀吉は大陸進行を目論んだか?

勝算はいかに???無謀ではないか??? と不思議に思っていました。

大河ドラマを見ても なぞのままでした。


その答えのヒントとして、番組で、当時の日本の軍事力について、分析しています。


火縄銃はヨーロッパで作製され、インド、中国、各地にもたらされましたが、

どの地でも複製まではいたらず、大量生産に漕ぎつけたのは日本だけだったそうです。

ヨーロッパでは、1職人が1丁ずつ仕上げていく方式でしたが、

日本では、まず種子島の領主が領内の刀鍛冶にコピー製作を命じて、1年で成功し、

その後、大阪・堺の会合衆によって、部品ごとの分業生産体制が敷かれ、

大量生産が可能となり、戦国時代の日本各地に広まり、

ついには日本で30万丁を保有するにいたり、ヨーロッパ全土の保有数を超え、

輸出するまでになり、一大軍事大国になっていたそうです。


番組では、朝鮮出兵のことまで論じていませんので、私見ですが、

当時、明との朝貢貿易、倭寇との密貿易、ポルトガル人との交易を通じて、

最新兵器である銃の流通情報は、堺商人や秀吉の知るところでしょう。

だから、小さな島国で人口も大陸にはるかに及ばないけど、

巨大な軍事力を手にしたことで、朝鮮出兵も、あながち無謀ではなかった、

ということですね。


いやーすっきりしました。

それにしても、この時代から、輸入、コピー、改良生産、輸出、

「モノ作り日本」の原点は 出来上がっていたのですね。

塩野七生女史「日本人へ」を読む

2013年11月20日 | 読書、観劇、映画
塩野先生の「ローマ人の物語」を拝読して以来、

私は、彼女の見識の深さ、明快さに、毎回感動し、

当代髄一の教養人と尊敬し、惚れ込んでおります。

さて、代記の「日本人へ 危機からの脱出編」の中から、

母国語と外国語の違いについて論じた章を紹介します。


まず、問題提起として、ユニクロと楽天が社内を英語オンリーにしたことについて。


外国語の読解レベルが満足すべき水準に達したか否かの目安として、

1.道ですれちがった外国人の会話が、聴くつもりも無いが、耳に入ってくる。

2.同じ外国語でも、方言を判別でき、更に、首相やスポーツ選手など、社会の属性が異なる人々の話し方に、対応できること。

3.書物を、母国語と同じスピードで、外国語でも読めること。


イタリアに40年暮らし、イタリア語の文献を読み、日本語で執筆される塩野女史ですが、

彼女をして、歴史用語はイタリア人以上に知っていても、イタリアの医学用語や経済用語は弱い。

「要するに外国語は、上達したように見えても所詮は、関心が向いている方向にだけ上達する言語なのだ。

反対に母国語は、たとえ個々の理解度では劣っていても、知らないうちに全般的に習得している。

つまり、必要に迫られなくても、ごく自然に学んでいるということだ。

だからこそ、母国語で話すときにには疲れを感じないのだと思う。」


そして、外国語と母国語では、道具の使い方が異なり、

外国語の場合、多くの人にとっては、意思・想いを他者に伝える水準に留まる。

母国語の場合は、伝達手段だけでなく考える道具になる。

あらゆる仕事にとって最も重要である「想像力」が、母国語なら自由に羽ばたかせられる。

いかに巧みに外国語を操る人でも、母国語以上の内容は話せないし、書けない。

と議論を展開しています。

結論は本著に譲るとします。