智の庭

庭の草木に季節の移ろいを感じる、日常を描きたい。

コジマ電気で炊飯器に迷う

2017年03月31日 | 美味探求
前回の続きです。初々しいコジマ電気のミシバちゃんから説明を聞くのが楽しくて、

買う予定はないものの、気にはなっていた炊飯器について、予備知識を仕入れようと、話しかけます。

「最近、実家が新しい炊飯器を買って、タイガーの6万円代したそうなんだけど、まずい古米まで美味しく炊けたそうで・・・」

ミシバちゃんには、長くなるので、話しませんでしたが、

夫の親戚筋から、古米と思われるお米が、12月ごろ送られてきました。2年続けてで、うんざりしました。

当方は日本橋千疋屋の相当な品を選んで送っており、そのお返しが、新米の時期に、古米・・・・・

私は、素早く水にくぐらせ、何度も砥いで、炊飯器で炊くのですが、どうやっても、臭いのです。

庭に蒔いて鳥の餌にしよう・・とした時、実家の母が「ためしに、うちで炊いてみましょう」と申し出、分けましたところ、

「おいしく炊けたわよ、皆、気が付かなかったわよ~」というので、残り全部を上げました。


話は戻り、

拙宅の炊飯器は、10年前の当時としては最高レベルの3合炊きで、銅の5層構造なるもので3万円代だったと記憶しております。

今、店頭に居並ぶ、最高機種は各社10万円前後!!!

夫は「ウチはいい米なんで、炊飯器に高いお金を払っても、よりおいしく炊いて食べたい!」

友人の実家が営む板橋のお米屋さんに勧められて、「南魚沼」から岐阜の「龍の瞳」を食すようになって、

ご飯が楽しみ、ご飯が進む、冷えたご飯がまたおいしい~


値は張るけれど、食事の最後の締めで頂く「一品」が最高に美味しいと、

夫も「あ~美味しかった」「ご馳走様」、なんて口にしたこともありませんが、満足げな表情でゴロンとソファーに横たわります。

主婦にとって、最高の手抜き、だと思いました。

ついでに、美味しい佃煮、美味しい漬物、美味しい納豆、美味しい味噌汁、と

白飯の仲間たちにも、こだわりの輪が波及していくので、もはや手抜きかどうか分からず・・・

今や、お金のかかる道楽、と化している感がします。


また、脱線しました・・・話をコジマの売り場に戻し・・・

職人手作りの土釜+高加圧を売りにしているメーカー、炭を練りこんだ羽釜+高温のタイプ、減圧浸透+職人手製の鉄羽釜+高温加圧、

ミシバちゃんいわく、「どんなお米も味に差が出ないのが高圧で、お米の特徴が際立つのが高温」

なるほど~、我が家の電気がまは「高圧」ではないので、古米がそれなりにマズイのか~

「10万円は大枚で、失敗したくないので、メーカーではなくコジマ主催の、食べ比べ大会を催して~!」

ミシバちゃん「分かりました!上司に相談します!今の店長も副店長も、やる気ある人たちです!連絡します!」

「待ってるよ~!」


自宅に戻って冷静になると、10万円は大きいので、それまでに、やるべきことはやろう!

と、試行錯誤、炊飯の迷路に分け入り始めました・・・・続く

コジマ電気で新しいオーブントースターを買う

2017年03月30日 | 美味探求
新しいオーブントースターが我が家にやってきました!



すぐれた道具が加わると、ウキウキしますね!


先日、板橋のいつものお米屋さんで、いつものお米を買いましたら、できたてのお餅を頂きました。

腰を痛めた私は、運転手してくれている夫に、「お餅、何にして食べた~い?」「お雑煮!」と言うので、

かつお、こんぶ、鳥で出汁をとって、冷蔵庫にある範囲内の具材で、お雑煮を出しました。

夫が、「お餅が・・・」と残念そうに感想を述べます。


翌朝、思い立った私が「コジマ電気に行こう!」というと、

夫は不審そうな目で「何にも壊れてないじゃん、何買うのー?」

「トースター。」目が輝き、いそいそと運転手を勤めます。


古いけれど未だ使えるトースターを、コジマ電気に持ち込みます。

夫が「これ、持っていくの・・・?」と不安そうに私を見上げます。

「そうよ!捨てて、買うの!」背水の陣よ、と宣言すると、夫は「よし!」と荷を抱え、カウンターへ運びました。


カウンター係も、この客は必ず買って帰る上客、と見るや、接客担当を呼び出しました。

現れたのは、コジマのオジサンではなく、初々しい若い女性。

夫が「お餅が、きつね色の焼き目が付かなくて、ぶわーっと膨れて、おわりなんだ、美味しく食べられないんだ~」

彼女は「遠赤外線をお勧めします~」とこれまでの電熱線と、遠赤外線、熱風タイプの比較を分かりやすく解説し、

ご自身の経験も話されて、私たちすっかり「ミシバちゃん」のファン。



これまでの電熱線は、中の配管の色が白く、遠赤外線は黄色いのが特徴。

各社、いろいろ取り揃えており、迷いに迷って、配管数が一番多い4本タイプを選びました。


すっかり気をよくした夫と私。

平日で、店内がすいていることもあって、好感度高いミシバちゃんとお話ししますと、

「入社して1年経ちました」と真面目な表情。

夫も私も、絶賛して「え~!一年で、こんなに良く知っていて、熱心で、すばらしいですね!」

「そんな、分からないことが多くて、調べるために、お待たせしてしまって」と恐縮して、実に謙虚です。

「いえいえ、私たち、実につっこんだことを質問していますので、気にしていませんよ」


店内、そんなに客がいないことを横目で見てから、

「実はね、電気釜、なんだけど、最近、すごいのが出たと、聞いてね?」

長くなるので次回へ続く・・・





伍代夏子&香西かおり ジョイント・コンサート2

2017年03月28日 | 読書、観劇、映画
先日は、コンサートの来客について触れましたが、今日は、歌手お二方についての所感を述べます。

伍代さんの方が年上で歌手生活も長いようで、伍代さんから香西さんにジョイントを申し出て8年経つそうです。

舞台では、二人の個性が、際立ちます。


まず、伍代さんは、持ち歌を唄う前に、歌詞の背景や作曲のエピソードを説明しますが、

実に、観客のひとりひとりを見つめ、語りかけます。

間奏曲のときに、舞台手前席、中盤、奥、2階席の観客を、明るい舞台上から暗い客席の人々をよく見えるように手をかざし、視線を確認して、

それから手を振ります。

曲が終わったあと、舞台裾に引き上げるときも、次に反対側から現れる香西さんの方に手を差し伸べて、

「お次どうぞ」と余韻を最後まで残して、静かに消えゆく感じです。

そして、香西さんが歌っている間に、次の曲に合わせて、衣装を変えます。

観客を歌と、衣装と、語りで楽しませようと、心配りが行き届いています。


対して、香西さんは芸能生活30周年を迎えたそうですが、

着物で登場するときも、ドレスで現れる時も、大股で堂々とした歩きっぷりで、

歌い終わって裾にはけるときも、客席に背を向けて「終わった」と、すたすたと立ち去ります。

歌詞の説明するときなども、誰に向って、ということでなく、あらかじめ用意した伝えるべきことを話した感じで、

観客との対話や意思疎通を図るより、独り言のようにみえます。

衣装替えも少なくて、「また同じか・・」と残念に思います。


伍代さんより、香西さんの方が、声量や技量に恵まれていますが、

伍代さんは、歌の世界を心から演じるのが好きで、人々との心の交流を大切にされ、

香西さんは「民謡全集を発表しました」と言われる通り、

袴姿で、スタンドマイクを正面に、民謡を歌うことに、自分の世界に没頭することが、好きなのでは、

そのように思いました。


お二人の持ち歌の世界は、私には、ちょっとなじめない、と感じました。

でも、歌手であるお二人に、それぞれの良さを感じて、好感を抱くことはできました。

ジョンソン&ジョンソンのベビーオイル

2017年03月26日 | 健康、バレエ、水泳
私は、あまり美容に投資しない方だと、思っている。

普段のメイクは眉毛を描き足し、口紅を少々引く程度で、日焼け止めを塗るのも嫌で、帽子をかぶるようにしています。

日焼け止めも、ファンデーションも塗らないので、化粧落としもいらない。


さすがに冬になると、お肌が乾燥するので、J&Jのベビー乳液をお風呂上りに、全身+顔 に塗る。

夫も同じく、ついでに頭頂にも塗っている。

最近、プールに入るようになって、塩素消毒で肌が荒れるので、間違って買ったJ&Jベビーオイルをお風呂上りに塗ってみた。

すると、翌日のプール前のシャワーで驚いたのは、お肌が水をはじいている!

プールの水面にオイルが浮かびはしないか~と、恐る恐る入っても、まったく問題なし。

プールから上がっても、お肌はプールの水をはじき、石鹸で洗い落すまでは効果を発揮していた。

お蔭様で、プールの水で肌が荒れなくなった。


帽子については、幼稚園に通っていた頃か、

日射病で2度ほど倒れた折、頭頂の黒髪が高温だったことを幼心に反省し、マメに帽子をかぶるようになった。

帽子が、目に日差しが入るのを防いだお蔭か、年齢の割に、目の老化の進行を抑えられて、白目もまだ青い。


20代30代は会社勤めで、お化粧をフルにしましたし、マンション住まいで空気は乾燥して、

それなりに値の張る化粧水や乳液やら塗っていました。

今、周囲の庭木や土に囲まれて、これらが天然の保湿剤になるためか、家の中は適度に湿気が保たれて、

乾燥する関東の冬と花粉が飛ぶこの時期は、室内で洗濯物を干すため、これまた加湿器代わりとなり、

お肌が乾燥しないで済みますので、つっぱるな~と感じたときに、ベビー乳液かオイルで対応します。


このいい加減な手抜きのお蔭か・・・実は、小じわが少ないのです。(周囲からも言われます)

もちろん、おでこに横三本の大じわは、しっかりあります。

しかし、細かい小じわが目の周りに出来ないのは、肌を触らず、結果、皮膚を引き延ばさなかったことが遠因では・・・

と密かに考えております。

デパートの化粧部員さんは、若くても、目元に小じわが多い人を見かけます。

目の周囲を綿密に化粧して、更に化粧直しをして、最後は化粧を落とす毎日を繰り返すと、皮膚が伸びるのでは・・・

と疑う次第です。


あと、肌はきめ細かい方ではなく、若いころは、色白のもち肌にあこがれていた。

ところが今は、きめが細かい方が「伸びしろ」となって小皺ができやすく、

私のように粗い方が、もともと伸びているので皺ができにくい、

私は、若いころニキビで損した分、歳をとって得をしている・・・と思う次第です。


伍代夏子&香西かおり ジョイントコンサート

2017年03月25日 | 読書、観劇、映画
JAさいたま主催の、伍代夏子と香西かおりの歌謡ショーに、JAから招待券をいただき、行ってきました。

私の座席は1階の最後尾で、会場を一望しますと、招待された農協会員の「おじいちゃん、おばあちゃん」で、

場内の平均年齢は80過ぎ・・・と見え、私は場違いな感じがします。


農協の新理事たちの挨拶が終わり、コンサートが始まり、宴たけなわの中で、最後の一曲となり、

歌手の二人が舞台から客席に降りて、握手しながら歌い進みます。


1階前方は握手で盛り上がりますが、中盤から後半の客は、「歌手はここまで来ない」と見限って、

曲が始まって早々、次々と席を立ち会場を去ります。

握手を終えた前方客席の人々も、「用が済んだ」とばかり、舞台を背にして退却。

曲の終盤に、歌手の二人は舞台に戻りましたが、客席はガラガラ、客人は皆出口の方を見て、歌手に拍手も送りません。

歌手の二人は「皆さん、さようなら~」と、客の背中に向ってご挨拶です・・・・


いやあ~・・・自腹切らず「ただ」で見に来たお客は、節操がないと申しましょうか・・・

歳をとると、終わるまで「我慢できない」のでしょうか・・・

衝撃のフィナーレでした・・・・

バレエ・三銃士

2017年03月18日 | 読書、観劇、映画
去る3月5日、文京シビックで牧阿佐美バレエ団による三銃士を拝見しました。



美しい王妃、賢くけなげな侍女、妖艶な悪女、と分かりやすいキャラクター達、

男性もダルタニヤンと三銃士のイケメン陣、こっけいな王様、正統派のハンサムな貴族、悪巧みの権力者と一味達、

オーケストラによる生演奏。

明瞭な展開、男性の配役が多く、大変楽しかったです。

月イチ歌舞伎

2017年03月17日 | 読書、観劇、映画
新年早々、坂東玉三郎様の「阿古屋」



玉三郎様が、お琴、三味線、胡弓を演奏されて、音曲の調べにのせて、たっぷりと魅せます。

二月は、片岡仁左衛門様の「女殺油地獄」



私がずいぶん若いころ、片岡「孝夫様」演じるこの作品から衝撃を受けました。

主人公の衝動性、家族に暴力を振るい、周囲にも因縁つけて喧嘩、賭け事と借金、そして強盗殺人

他者の情に鈍感で、自分の激情のまま行動する犯罪者の心理や言動を、近松門左衛門は洞察しており、

孝夫様の迫真の技に、圧倒されました。

久しぶりに拝見する、仁左衛門様となられた今も、スゴミがありました。


三月は、玉三郎様の「二人藤娘/日本振袖始」



藤娘は、玉三郎様と若手の競演で、

同じ手の所作でも、若手は右から左への移動で、「教わりました」通りの動きで、

玉三郎様は、指先から音曲の調べが流れ出るように、緩急や抑揚が表現され、ふわっと浮いた手の先に、何かが見える。

顔の向き、まばたき、まぶたの伏せ具合、すべてが音楽の流れに合って、心に染み入るばかり。


お次の振袖始では、玉三郎様は、恋に破れた怨念から八岐大蛇(ヤマタノオロチ)となった姫の役、

人身御供の美しく若い女性を喰らい、素戔嗚尊(スサノオノミコト)と戦います。

八つの酒壺を次々飲み干していく様、8つの頭を持つ大蛇に変身し、大立ち回り、呪いをかける様、

笛と太鼓の「ぴー・・・  どどどんどんどん」がオドロオドロしく、足で床を踏み鳴らす「どんどんどん」も効果的で、

身を乗り出して、見入ってしまいました。

無声映画における弁士のようなお囃子とお唄によって話が展開し、役者もミュージカルのように唄って踊って決めセリフを放つ。

いやあ、楽しいですね。

やはり、「日本の宝」ですね 。


今年度は、5月から始まります。



帰宅した後、クイックルワイパーを藤の枝に見立て、「たたん~たあたん~」しばし余韻に任せて踊る私でした・・・


パラオ旅行ー5日目最終日

2017年03月15日 | 海外旅行
パラオ旅行も最終日になって、朝から晴天に恵まれます。

夕方の帰国便までの時間、市内観光にしました。

ガイドさんは現地に詳しい日本人で、ツアー客は私たちだけなので、気兼ねなく質問攻めです。


まず、水族館にて。



手で触って安全な生き物の解説。



なまこたち。因みに、私はナマコを食するのは大好きですが、生きているのを触るのは初めて。


毒のないクラゲが大量に生息する湖に潜るツアーついて、実際どうなのか?

危険な海洋生物との遭遇について、これまでの経験上、どうなのか?

一日ツアーで出される弁当の衛生安全面は、どうなのか?

かなり、つっこんだ質問をしました。

ベテランの彼は、一生懸命、誠実に、答えていました。


移動して、旧首都であった庁舎建物の横に、立派な木が



残念ですが、名前が分かりません。

そばに、昔からの族長会議で使われた建物。



建物の中



この部屋に、各族長が車座になって座り、議題について、お隣に座る族長の耳もとでささやき、

次々と、ひそひそ話を伝言ゲームのように、お隣の族長に伝えて、意見を合わせて決めていくそうです。

「和をもって尊きとなす」の原型と申しましょうか、

誰が決めた、ではなく、なんとはなく全体の総意を固めていく、

島国の政治スタイルなのでしょうか・・・

パラオ旅行ー4日目

2017年03月14日 | 海外旅行
4日目は、プランテーション・ホテルから出発して、マングローブの林で覆われた入り江からカヤックを漕いで、

ガイドさんの解説を聞きながら、赤茶色の淡水交じりの海水のエリアから、段々、白い底の砂地が見える昆布の群生地を抜けて、

浅瀬に沈んだ日本軍の船や、魚の住まいとなった米軍の飛行機を見て、

シュノーケリングのポイントに移動します。


昨日のサンゴ礁の場所とは異なったサンゴの様相で、棲む魚たちも異なります。

シャコ貝、マングローブ貝、カニなど「お金になる」魚貝類の解説も受けました。

現地の人は、潜って見つけたら、自分の海の畑に隠して育てあげ、大きくしてから換金するそうです。




私は、楽しく潜って観察しましたが、夫は、さっさと上がりました。

夫は、どこかつまらなさそうです。

私は、「こんな、シュノーケリングなんか、スキューバをやった身には、子供だまし、ちゃんちゃらおかしいよ!そんな気分?」

図星を指された夫は、にやりと笑って、「そう」と答えました。

私は、心の中で「そうは言っても、(夫は旅行前に)それで言い、と言ったのだから、今更、困るわ」とぼやきますが、

「この場所は、この場所なりの面白さがあります。」と返しました。

夫は、「お前が楽しければ、それでいいんだ」と、罰悪そうに、あわててフォローします。

私は、これまた心の中で、ブスくれた表情の夫を前に、楽しめるわけがない、とつぶやきます。







パラオ旅行ーレストランにて

2017年03月13日 | 海外旅行
ロイヤル・リゾートのメインダイニングで朝食2回、夕食二回とると、さすがに飽きました。

天気もあいにくで、夫はむっつりと不機嫌です。

食事を終え、夫に 「先に部屋に戻っていて。私はピアノを聞いていく。」

私は、懐かしの歌謡曲をピアノで弾き歌う、初老のパラオの男性の演奏に耳を傾けていました。

他にも客はいますが、皆、おしゃべりに夢中で、食事を終えて席を立ち去ります。


しばらくして、一人で珈琲を飲んでいる私と、どこの国の人かはわかりませんが、6人連れ客しかフロアーにおらず、

遠くでピアノニストの彼が、唯一の聞き手である私を見ながら歌います。

そろそろ引き上げようと席を立ち、ピアニストに挨拶して引き上げようとしたら、

ピアニストさんが「日本の方ですか?私は、鹿児島のホテルで、バンドのメンバーで〇年間いました。

この歌、知っていますか?ご一緒に。」と促され、

私も、周囲には客もいないので、私の声で迷惑にはならないだろう、と考えて、一緒に歌うことにしました。

「天使たちのララバイ」「恋に落ちて」「北酒場」「酒よ」など、かってのヒットソングですね。


すると、6人連れの客の一人が、にこにこしてこちらに向います。素敵なロマンスグレーの紳士で目があいましたので、

「私の声が、お邪魔になっていませんか?」と挨拶しますと、

「とんでもない。どうぞ、どうぞ。」とにこやかに答えます。そして、「どこから来たの?」と聞かれて「日本です」と答えます。

「あなたは?どちらから?」と問いますと、戸惑った表情を浮かべ、「エイライ」。

今度は私が分からずに言葉に詰まると、ピアニストさんが助け舟を出して「隣の州のエイライ、エイライの知事だよ」

と教えられ、「えっ」と驚きと同時に、あらたまって挨拶すべきかと、とっさに

「先ほどは失礼しました。私の歌声があなた方のお邪魔ではないか、と心配しました。知事は歌はお好きですか?」

「いやいや、私は歌わないのだよ。」「そうですか。それは残念です。」

「日本の観光客?」「どれくらい滞在するの?」と問われ質問に答えると、

「実は、私の母は日本人でね、〇〇という名前なんだよ。」そして、自らのルーツを簡単に紹介してされました。


国籍が一目で見分けられない人々が集まるテーブルでしたので「今日は、お仕事で会食ですか?」と伺うと、

「仕事ではないが、仕事が終わったのでね。副知事や局長、仕事仲間と夕食を食べようということになってね」

なるほど。「私は初めてパラオに来ましたが、美しさに感動して、そして安全に旅行できています。

それは、この地の行政のお蔭だと、知事に感謝します。これからも、どうぞお元気いらしてください。」

と握手頂きました。おっと、「私の手は、冷房ですっかり冷え切って、ごめんなさい。知事の手がとても温かいですね。」

と言葉を添えますと、知事は「良い旅を」と明るい笑顔、素敵な紳士です。


テーブル席の皆様は、パラオ人であることが分かり、しばらくして、知事を先頭に席を立ち、

一人一人、私に明るい、そして静かな威厳のある眼差しを向けて、会釈をしながら、レストランを去っていかれました。

私もピアニストさんに、素敵な時間をありがとう、とお礼を述べて辞しました。


3日目の夜は、半日観光でパラオに慣れて、外出する勇気を得たのか、夫も外食するのに乗り気となりました。

旅行代理店に相談し、「エリライ・レストラン&バー」を紹介され、予約しますと、送迎車が来ます。

日本大使館がある島の小高い丘に立地して、席はベランダの中央、



夕暮れ時、夕焼けが見えます。

初めてなので、3種類のお勧めコースの中から、夫と私は別のコースを選びます。

地元の食材を、外国人の口に合うように調理して、いずれも大変美味です。

夜になると、英語、ロシア語、中国語、ハングル語、いろいろな言語の客でフロアーは満席です。


ジュースや、アイスクリームがもう一度食べたいので、4日目の夜も予約して、

「おいしいから、またきたよ」と、昨日お給仕をしてくれた美人なお姉さんに声かけます。

お姉さんも笑顔で昨日と同じ中央のベランダ席に招き入れ、私も座るの待たずに「今日はね、名物のマングローブガニ食べるわよ。ある?」

お姉さん「すぐに、厨房に行って、大きいの予約してきます!」


昨日はコースメニューにしましたが、今夜はアラカルト。

様々な美味を楽しみながら、やってきました



カニ料理は、無言でもくもく手を動かして、ひたすら食べますね。

マングローブ貝のスープ、地元のとれたての魚、刺身(安全です)、そして最後のココナッツ・アイスクリーム、絶品です~

また、食べたい、何度でも食べたい、そんなお味です。

なんだか、パラオのリピーターになりそうな予感です・・・





パラオ旅行ー3日目

2017年03月12日 | 海外旅行
3日目になって、ようやく晴天に恵まれました。

半日ツアーに出発です。



遥か彼方に、セブンティーアイランド諸島が見えます。


パラオ自体が、島々からなりたつ国で、海底から隆起して、太古は火山島でもあったそうです。

隆起が起源の島は白い岩肌、火山が起源の島は赤茶色しています。



海の色が多様で、表現できません。



まずは、ミルキィーウエイに向い



狭い入り江に入ると



乳白色がかった明るい水色に変わります。

泥パックはしないよ~と言っていた夫も、いざパックしてみると、破顔一笑



プロレスラーのようですわ



この後、ダイビングスポット「パラダイス」に移動してシュノーケリングを楽しみました。



パラオは赤道に近く、この近海で低気圧が発生し、西のフィリピン辺りで台風となるそうで、

次々雲が湧いては、雨を降らせて、流れ去るような気候が特徴だそうです。

11月から3月が乾季で、風向きが北から、ダイビングに向いた時期で、

4月から雨季は風向きが逆になり、ダイビングスポットに強い海流と風が押し寄せて、危険なためオフシーズンとなるそうです。

パラオ旅行ー2日目

2017年03月11日 | 海外旅行
翌朝も曇天で、スコールが押し寄せてきたり、止んだり、でも南国の青空が現れません。



ホテル敷地内の草花など写真撮影したり、旅行代理店で半日ツアーを申し込んだり、現地の衛生事情を聞いたり、ぶらぶら散策をします。

昼過ぎ、雨が止んだので、私はシュノーケリングを始めます。



夫はというと、



ヤシの葉でできたパラソルの下、カウチに寝そべって、読書、うつらうつらとお昼寝。

仕事の疲れを癒してください。

パラオ旅行ー初日

2017年03月10日 | 海外旅行
成田を午前10時に出発したJALチャーター便は、父島、硫黄島、サイパン、グアムと南下して、

パラオに2時45分到着しました。4時間半のフライト、時差はありません。

ターンテーブルに次々出てくる荷物は、スーツケースではなく、独特な形をした黒いケースで、

日焼けして引き締まった体つきの人々が受け取っています。

???

私たちのサムソナイトのスーツケースが場違いな感じがします。


後で知るのですが、JALの「チャーター」便、ということで、

JALパックツアー客か、私たちのようなマイレージを8万マイル貯めた客しか乗っていない為か、荷物の重量制限が緩いそうで、

これを知っているダイブの人々がリピーターとなり、特殊の形をしたダイビング用の荷物が続々現れる様です。


空港からホテル送迎車に乗って、ロイヤル・リゾート・ホテルに向いますが、土砂降りの雨。

運転手に、「乾季だと聞いたが、ずいぶんな雨ですね?」と問うと、

「ここ数日、天気が良くない。明日以降、よくなるみたいだけど。」と答えます。


部屋に入り、まずは景色。



石垣島の川平湾に似ていなくもない・・・

強い雨が降ったり止んだり、ホテルを探索した後、旅行代理店で現地ツアーのパンフをもらい、部屋で読書。



窓側から洗面所、浴室、シャワーブースが見えますが、引き戸を出すと仕分けられる間取りです



お夕食を頂きましたが、まあまあです。ピアノの生演奏が付きます。

帯状疱疹の呪い

2017年03月09日 | 健康、バレエ、水泳
私が高校2年の夏、帯状疱疹に罹り、左背中から左腕の腋下を通って、胸の中央まで、左半周やられました。

背後から始まったので気付くのが遅れ、折しも母が九州に法事のため留守で、母の帰宅を待って病院に行ったのですが、

老医師は「ここまでひどいと、年をとってから痛みの後遺症が出るよ 」と予言しました・・・・


あれから数十年経ち、予言通りとなりました。


むろん、見過ごせない痛みは、若いころから有り、左肩と背中のひどいコリをマッサージでほぐしたり、

水泳で肩を鍛えたり、バレエで背筋を動かしたり、

最近では、泳ぐより歩く方が、水圧を利用できて循環が増して、痛みが軽減するので、

ジムの38度設定の温水プールに入り肩をほぐし、90度設定のサウナで痛みを忘れる工夫はしていました。


左背中の冷えとコリは、左肩の四十肩(いや五十肩と言うべきか)を招き、この炎症から回復するのに2年もかかりました。

回復とリハビリに努め、昨春、バレエを再開しました。

3度目の通算3年目の挑戦となる「大人から始めたバレエ」。

やるからには、信頼おける師の下で学ぼうと、3人の良き先生を探し、週3回の初級クラスに気合入れて通っていました。


しかし、この冬に入って、近所への買い物に、50m歩くと両足に鈍痛がジワジワ襲ってきて、100m地点で休んで、また歩く・・

という事態に陥りました。

8年前の冬、2度目の2年目のバレエの時、酷いギックリ腰(ヘルニアも発症)となり、4年間、整形外科のリハビリに通う日々・・・

これが頭をよぎり、まずは静養につとめましたが、自力で回復できませんので、

お世話になった整形外科の女医先生の元へ事情を説明すると、レントゲンを撮り、8年前と比較します。


幸い、レントゲンで見て脊柱管の異常が明らかになる程度まで、進行しておらず、

「四十、五十代の女性が似たような症状を訴えてきますが、今は、特効薬が有ります。リリカです。」

「先生、以前、帯状疱疹と疼痛が酷いので、先生から処方していただいた、あの薬ですね。」

先生は覚えていらして「そうです。」

「先生、私はその薬が劇薬なのを知っていて、どうしても痛くて眠れない時に、最終兵器として、お守りのようにして、飲んできました。

今でも、少し残っています。」

先生「ええっ!もう処分してください。消費期限過ぎてますよ。」


リリカは神経障害の特効薬だそうで、鎮痛消炎薬と併用することになりました。

私は先生に、ロキソニンは全身がムクミやすいので、ボルタレンの方が胃腸障害も軽いことを話しました。

次に、1年間運動して、体重を5kg落としたことで、だいぶ痛みで眠れない頻度が減ったことを伝えましたら、

先生から、「リリカは食欲亢進して太る可能性がある」と告げられました。



さて、夫に事情を話し、「朝は(夫の支度のために)起きれないかもしれない。あと、息をしているか、確認してね」

と薬を飲んで、ベッドに入りました。

しばらくすると、背骨からの左肩、左腕に向って温かい血が通う感覚が走り、

次に、腰から両足に向ってポカポカと温まり、体が、すーっと軽くなり、気持ちいいな~と眠りにつきました。


翌朝、両手の指を、ピアノを弾くように動かすと、両手が同じ俊敏さで動くことに、驚愕しました。

私、右手5本指は滑らかに動かせるのですが、左手小指と薬指はノロノロとしか動かせなかったのは、「利き手」ではないから、

と見做してきましたが、そうではなく、帯状疱疹の影響で神経に麻痺が生じていたことに気づきました。


8年前のヘルニア発症以来、右腰から右足指の薬指と小指の感覚が鈍くなっていましたが、これも解消されました。

シンデレラにかけられた魔法のごとく、薬の効果は昼には消え去り、痛みが甦ります。


鎮痛消炎剤も効いているようで、神経痛の周囲の緊張し疲労した筋肉が、回復していくようで、毎日、痛む箇所が移動していきます。

久しぶりに38度のプールに入ってみると、左背中と胸の痛みが消えり、喜びもつかの間、腰の鈍痛が忍び寄ってきました。


ここで合点しました。

私は、帯状疱疹の痛みが強すぎて、他の痛みに気がつきにくく、

他の痛みが帯状疱疹の疼痛を上回る、つまり症状が悪化しないと気が付けない、そんな体なのだ、

という現実です。


人間は、いちどきに一か所しか、痛みを感じられない仕組みであることは知っていましたが、

8年前のギックリ腰も、3年前の四十肩も悪化して気づき、結果、治癒に時間がかかってしまいました。

体を酷使しても、疲れに気づきにくく、帯状疱疹の痛みが酷くなるな~としか感じられませんでした。


ということは、今後、癌に罹患しても、骨に転移するなど痛みのレベルが上がらないと、私は異変に気付けない。


さておき、目下のところ

バレエ教室も休会し、ジムのプールにも通えず、車の運転もおぼつかない私は、

薬の作用で「よくもこんなに眠れるな~」とあきれていましたが、少しずつ回復してきているようで、

テレビを見ることができるようになり、冷蔵庫をしょっちゅう開けては、ついに太り始め、

そうだ、ブログを書いて、食欲を紛らわそう!

となりましたとさ。めでたし、めでたし。


パラオを旅する

2017年03月08日 | 海外旅行


新年1月4日から4泊5日で、パラオを旅してきました。

日本が暑い時にアイスランドに行き、心が旅満腹感で一杯で、しばらく旅はいらない・・・

と思ったのに、道祖神に誘われて、真冬に常夏のパラオです。


コツコツ貯めたJALマイレージが10万マイル達成し、

HPの画面では、マイレージ参加の人を対象に、4万マイルでお正月に直行便でパラオ・キャンペーンが目に飛び込み、

念のため、マイレージ枠で行けるハワイ、グアム、シンガポールの空席チェックしても、お正月休み期間はすべて満席、

千載一遇のチャンス!と思い、夫に「パラオ行く?」二つ返事で「行く」。


更に念のため、ホテルのサイトを開き、部屋が予約できることを確認した上で、フライトの予約しましたら、最後の2席でした。

間髪入れず、もう一度JALのHPを開くと、「満席」表示に変わり、本当にギリギリセーフだったんだ~、と喜びました。


そこから旅の本を購入し、パシフィックにするか、JAL・オークラホテルにするか悩んで、日系JALの安心を重視して予約。

夫は若いころスキューバダイブをしていましたが、私に合わせて「シュノーケリングでいいぞ~」と言いますので、

パラオは初めてですし、のんびりと、旅の概略だけ決めて、あとはお天気に合わせて、現地で考えよう~、となりました。


もう一つ、懸念がありました。 「食中毒」。昨年のお正月のグアムで、一族6名が食中毒にかかり、トラウマとなりました。

パラオの水事情はグアムより悪く、スキューバは一日ツアーとなり、「お弁当」が支給されますが、

赤道下の国で果たしていかがなものか・・・と慎重になりました。


そして、トランクに荷物を詰め込んだのは、旅の前日。

南国への旅行は、荷も軽く、気も軽いですね。