智の庭

庭の草木に季節の移ろいを感じる、日常を描きたい。

コロッケさんの「あおいくま」

2016年05月24日 | 読書、観劇、映画
物まね芸人のコロッケさんが、「母さんのあおいくま」という著書で、

コロッケさんの生家の教訓 「あ」せるな、「お」こるな、「い」ばるな、「く」さるな、「ま」けるな

を紹介され、私もとても共感できました。

中でも、負けるな、が一番含蓄ある言葉と思います。


人は誰の心の中にも、人に勝ちたい、優位を示したい、そんな闘争本能がありますが、

敢て、「勝て」と言わずに 「負けるな」と諭す。

他人に対して勝つことは、本人には快感かもしれませんが、相手に劣等感を与えもします。

喧嘩や口論で、勝ちすぎることは、その後の仕返しにつながるし、恨みを買います。

また、学問や芸事など何か道を探求する場合、

負けるのは、他人に対してではなく、己の弱さに負ける、そういうものです。


コロッケさんの生い立ちは、父親不在で、お米に事欠く貧しいものでしたが、

お母様の知恵と機転と勇気のお蔭で、笑顔が絶えない、明るく温かい家庭で育ったことが伺えます。

この本を実家の姉に渡しました。


そして、私自身、夫婦喧嘩が勃発したときは、この言葉をお念仏のように唱え、

夫に勝たずして、かつ、負けない道を、模索するようにしております。

育児放棄・放任、猫の場合

2016年05月19日 | 日記
「うちにね、猫の親子が住み始めたのよ」

書道教室の帰り道、小学2年になった猫好きの甥に話しますと、目を輝かせて「わ~、見たいな~!!!」

「じゃあ、黒猫の親子のお話をするね」



我が家の濡れ縁の下に、黒毛の母猫が、生後間もない子猫1匹連れて暮らし始めた。

1昨年の夏のことですが、黒毛の子猫は、1か月過ぎてもあまり大きくならず、足取りもおぼつかない様子で芝庭で遊び、

「ちゃんと、成猫になれるかな・・・」と心配して、遠巻きで見守っていましたが、

交通事故で死んでしまいました。


今年の春、未だ寒さ厳しいころ、この母猫は子猫1匹産んで、同じ場所で暮らし始めました。

ある寒い日の朝、日陰の冷たい庭石の上に子猫が独りでいて、気になって私が近寄ると、

すぐそばの縁の下にいる母猫は、こちらを「シャー」と威嚇するものの、呼び寄せるなど何もしません。


昼、夫が見ると、子猫はその場に独りで震えていていて、母猫は留守でいません。


夕方、日が暮れて寒さ厳しい中、見かねた夫と従業員が毛布に包んでやりましたが、じっとして動きません。


猫を飼ったことがある従業員が、帰宅の途中、子猫を病院に連れて行くことにしました。


獣医の見立ては、

舌でなめて、目やにの掃除すら、していないから、目が開く時期に、まぶたが開かない、

栄養も排泄も十分でないから、今夜、放置していたら、死んでいただろう、

人が世話しても、手遅れで助からないだろう、とのことでした。



従業員の家族は、温かくしてやり、清潔にして、哺乳瓶でミルクを与え、ガーゼで肛門を拭き、

翌朝の出勤時、子猫はなんとか、命をつないだことを、従業員から聞きました。


甥は、「よかったねー」としみじみ答えます。

「でもね、まーくん、この話には続きがあるのよ・・・」と私。



そして日が高く昇る頃、母猫が庭に戻ってきて、「にゃーーーにゃーーー?」と子猫を探す様子に、

私も夫も、胸を突かれ、言葉もなく、涙がこぼれました。


甥 「母猫の元に、戻してあげたら・・・?」

私 「その母猫に戻すと、子猫は、いずれ、死んでしまうのよ。

   今回だけじゃない。

   2年前の子猫も、夏になっても小さいままで、毛は薄汚くまばらで、目が見えずよろけて、車に轢かれてしまった。

   まあくん、もし、子猫が自分だったら、どうしてほしい?」

甥 「ちゃんと育てることができる人のところで、育ちたい」

私 「そうか・・・

   子の命を想えば、母から引き離す方が、いい・・・・

   だけど、子を育てられない母であっても、母として、子を想う心がある。

   どうしたらよいか、難しい問題だよね・・・」


甥 「うー・・・・ん」と下を向いて黙って歩きます。

私 「それでね、従業員の家族が、毎日世話をしましたが、1週間後、死んでしまいました。」

甥 「悲しいね」

私 「まあくん、猫に限らず、人間の世界にも、親が子育てを上手にできず、児童相談所の発見も遅れて、

   死んでしまう子供がいます。

   学校の問題は、答えが、最初からある。 だから、簡単なのよ。

   だけど、世の中には、答えを出すのが難しい問題がある。そして、それこそが、大切な問題なのよ」

そして、黙って帰路につく二人でした。
   


トイレには、べっぴんな神様がいる~

2016年05月18日 | 日記
私が小学6年生の頃、

どういう訳か覚えていませんが、おそらく、毎週土曜日の放課後だったと思うのですが、

学校の女子トイレを掃除していました。


かすかな記憶を辿ると、

学校のトイレは、用務員さんが掃除して、生徒たちは教室を掃除すれば十分だったはずですが、

1階のトイレはいつもきれいなのに、4階の小学6年生が使うトイレは、掃除が行き届かず、

「それなら、私が掃除しよう!」と思い立ち、教室掃除のついでに、トイレの掃除道具室の扉をひらき、

デッキブラシを手に、サンポールをじゃんじゃん振りまき、ホースを蛇口につなぎ、タイルと便器をごしごし擦ります。

水分をモップで拭い、絞り機でモップの水気を落とします。

最後、手洗いのボールをピカピカに磨いて、「あーー きれいになった~~」と満足感に浸り、終わります。


一人で始めたのか、お友達を誘い合わせてしたのか、覚えていませんが、

私の傍らには、一緒に掃除してくれる女の子の友達がいて、

いつの間にか、仲の良かった男の子も、男子トイレを掃除していました。


途中、担任の先生が、トイレ前を通り過ぎて、「えっつ!?」と驚きの表情を浮かべ、足を止め、

「トイレ掃除しているの???」

私たち 「はい!!!」と元気に答えました。

先生は止めることもなく、褒めることもなく、戸惑いの表情を浮かべ、「そっ・・・そうか・・・」

と立ち去りました。


このように、このトイレ掃除、先生方など誰からも、直接的なお褒めの言葉を頂くことは、無かったのですが、

掃除すると、ピッカピカになる、という達成感、自己満足感だけが原動力となって、

一緒に「きれいになったね!」と労をねぎらう仲間の笑顔と共に、続きました。


いつしか、トイレを汚す人もいなくなり、いつもトイレは綺麗に使われるようになりました。

掃除に参加しない同級生も、仲間が掃除する姿を見れば、汚さないよう、気をつけるようになったのでしょう。


トイレには、それはそれは綺麗な、べっぴんな神様が、おるんやで~

と関西地方の言い伝えが、歌にありますが・・・

甥っ子「うん、知っているよ、学校で習った~!」

私  「智子おばちゃんは べっぴんになれたかどうかは、分かりませんが、幸せに なれました。

    子供の私には、一緒に掃除してくれた仲間がいて、今の私には、明彦おじちゃんがいるからね。」

甥っ子「うん、うん。おじちゃんが いるもんね!」

私  「親や、先生や、誰か、他人に気が付いてもらえず、褒めてもらえないことでも、

    世の中で大切なことは、自分一人でもやるのですよ。」

甥っ子「うん!わかった~!一人でも やるんだね! 」

分かったかどうか・・・怪しい・・・











セメント樽の中の手紙

2016年05月15日 | 読書、観劇、映画
高校生の頃、雰囲気のある美しい国語の先生がいらして、

色白面長、ほっそりとした柳腰、夢見るように大きく見開いた瞳の彼女は、竹下夢二の絵の中の人、などど思ったものです。


「授業が、順調に早く終わったので、皆さんに、先日見ました演劇のお話をしたいと思います」

生徒一同、わーっと喜びます。なんせ、テストとは関係ないので、脱線は歓迎です。

「その演劇は、一人芝居で、一人の女優が何役もこなし、舞台はいたってシンプルで、照明の明暗だけで状況が変わり・・・」

そうして、その一人芝居を、再現して見せてくれました。


私も、かなりな文学少女であり、一時期は漫画家を目指すほどの、想像力はある方ではありましたが、

始まると、教壇は舞台に変わり、先生の創り出す世界に引き込まれ、鳥肌が立つほどの感動を覚えました。


話は飛びますが、

中国の大学で日本語講師をしたとき、乏しい辞書を前に、学生たちにどのように日本文学を伝えたらよいか思案したとき、

この国語の先生を思い出し、一人芝居の会話劇をしてみたり、文章の世界を想像して黒板に描いてみたり、

日本語を使って出来上がる作者の世界観が伝わるよう、心がけました。


話は戻り、

国語の教科書に「セメント樽の中の手紙」と題する文章があり、

予習として自宅で先に読んだ時、衝撃な内容に、独り涙を流しました。

翌日、授業でこの課題に入ることになり、先生が「誰に読んでもらおうかしら・・・?」

とつぶやきながら生徒たちを見渡し、私に目を止めて「Mさん、読んでください」と指名を受け、

「ドキッツ」と心臓が鼓動します。

あこがれの先生の、期待に応えたい・・・・と席を立ち、一呼吸して、読み始めました。


前段、コンクリートミキサーへセメントを投げ入れ続ける重労働に、毎日、セメントまみれになって追われる労働者の描写と

疲弊しきった彼の、心の中のぼやきから始まります。

夜、貧乏人の子だくさんの騒々しい長屋に戻り、昼間の仕事中に、セメント樽の中に木箱を見つけたことを思い出し、

箱を壊して開けると、手紙が入っていました。


既に長い文章なので、この区切りで読み手が交代するかと、私は顔を上げて先生をチラリと伺いますと、

先生は、続けて・・・とつぶやきます。そこで、本題の後段に読み進めます。


セメント工場で袋を作る女工によるもので、内容は・・・・

同じ工場で働く恋人が、砕石を粉砕機に投げ入れる仕事の最中、転落し砕石の渦に沈み、共に砕かれ、

ベルトコンベアーに細かい断片となって運ばれ、更に、高炉で焼却されて、セメントの粉となってしまった、

恋人の死を悼む女工は、恋人がセメントとなって、どんな風に使われたのか、

道になったのか、橋になったのか、建物になったのか、・・・教えてください、と結びます。


教室中が、しーんと静まりかえって、私の朗読は終えました。

先生が私を見つめて「ありがとうございました」と応えられました。

当時の私は、愛する人を突然の事故死で失う女工の心情に同化して、鑑賞し涙を流すばかりでした。


あれから・・・幾歳月も流れ、

ふと、この物語と教室の風景を思い出し、こうしてブログに書く私は・・・


もし、我が家で新築の家を建てる時、業者が仕入れたセメント袋の中に、「奥さん、こんな手紙が入ってました~」

手渡されて、開封しようものなら、「なんて縁起悪い、不吉なもの!」と怒り心頭に達し、

住宅メーカーからセメントメーカーまで、陳謝を求めるでしょうし、

セメントメーカーは女工に営業妨害で解雇と慰謝料請求を求めるでしょう。

そもそも、労働災害で死んだ労働者の遺族は、企業に対して訴訟を起こし、マスコミに知れ渡るところとなり、

そのセメントは売れずに廃棄処分になるのでは・・・・?

もし、販売ルートにのせたことが、世間にバレたら、そのセメント会社は倒産の憂き目にあうでしょう?

いやいや、この小説は大正期だから、すべての矛盾、理不尽を、労働者は黙って飲み込まされる時代か・・・


かつての文学少女も、法律を学び世間の荒波にもまれると、こんな風に考えるようになってしまうのか・・・

あの、美しい国語の先生と、もう一度、語らいあえるなら、

色白な表に、切れ長の涼しい瞳がきらりと光り「そうなの」「ふふふ」と微笑んで下さるでしょうか












浜松を旅する

2016年05月10日 | 国内旅行
4月29日から2泊3日で、浜松を旅してきました。

実家の姉が、「 鳥取砂丘は遠いので、日本3大砂丘の一つ、浜松にある中田島砂丘を 子供たちに見せたい。」と言うので、

私は、「浜松~?うなぎ~?それ以外に、何があるの~?」と半信半疑で、低いテンションで同行しましたが、

新幹線こだまのグリーン席に坐して後、観光資料を読み上げ、到着するころには、すっかり浜松旅行のスイッチが入りました。


まず、浜松駅ビルで、ウナギ弁当と甘味のだんごとお茶を仕入れ、いざ!中田島砂丘へ



足腰の弱った母はしばらく歩いて、それ以上はあきらめ、休憩。

私の夫は、4月上旬に左足首を酷く捻挫して、まだ治癒せず、足が踏ん張れない為、母と同じく休憩。

姉は、右股関節を痛めており、休み休み歩き・・・・

元気な小学5年と2年の甥っ子を引率したのは、私でした。

遠くに見える砂丘を越えると、ひらける景色は、



遠州灘。

「灘」とは、「浜」のように遠浅で穏やかに波が寄せる、のではなく、いきなり「砂の際」にドカンドッカーンと打ち付ける荒波で、

波打ち際に近づくのが、怖くてはばかれます。

強く吹き寄せる風が砂を運び、砂粒が頬に打ち付けて、痛いようです。


翌日は、ワンボックスカーをレンタルして、浜名湖を北上して、奥浜松の龍潭寺へ。



ゆるりと、小堀遠州の作庭を鑑賞しました。


彼は有名な作庭家ですが、改めて、彼は「遠州」と名がつくように、この地に縁がある人では?

と調べてみると、安土桃山から江戸初期の人で、家康によって、この「遠州」の地の大名に任じられたことから、

そのように呼び名がついたそうです。


なるほど~!日本各地に小堀遠州作の庭があり、彼の名と作品を知っていましたが、この地で納得しました。

茶人であった小堀は、千利休や古田織部を師匠と慕っていましたが、秀吉や家康によって彼らは切腹を命じられ、非業の最期を遂げました。

小堀は、師匠の二の轍を踏まぬよう、師匠たちのように各大名家への出入りを避け、権力者から疑われないよう控え目にしていたそうです。

最後の任地である遠州で、無事任を終えることができたから、後世に小堀遠州作の庭も残ったのですね。

小堀さん、お疲れさま、そして、ありがとう。



この日は、午後、洞窟を探検してホテルへ戻りました。

翌日は、浜松城と石垣を鑑賞し、ウナギの名店で食し、帰路につきました。


浜松の旅、お勧めですよ~

NHKがつまらない

2016年05月05日 | 日記
新年度、番組が改定され、NHKがつまらなくなってしまった。

夜7時からニュースを見て、7時半からクローズアップ現代で、時事問題を知る、

という我が家の日常が無くなり、

7時半からバラエティー番組化したつまらないNHKから、民放各社を梯子した挙句、

結局、見るべきものが、見たいものが、無くなってしまった。


NHKは、私たちに中途半端に笑って、「考えるな」といわんばかり。

現代社会を深く掘り下げて考える報道番組が減っていく一方で、

政治討論の生番組が増えているが、そこでは、

政治屋が理想目標をもっともらしく語り、その目標実現に向けて具体的な手法を論することもない。

司会者には、その先もう一歩突っ込んだ質問をしてほしいのに、そのような眼力あるご仁を見かけない。


この国では、創造力ある人材は、具体的に価値あるものを創出する企業や組織に集まり、

政治や報道機関には、実のない言葉を操る人が集まり、

こうして、つまらない番組が7時から8時代のゴールデンタイムを占領した・・・

など、考えるこの頃です。