智の庭

庭の草木に季節の移ろいを感じる、日常を描きたい。

雨乞い踊り

2013年07月09日 | 庭、四季の花
昨日の夕方は、それはみごとな雷雨でした。

草木に代わって、お空にお礼を申し上げたい。

あれだけの潅水を植木たちに施すと、水道代1万円はかかる、助かった・・・


近くに雷光と同時に「ドカーン」と、爆発したように落ちてくる。

スカイツリーの近所にいた夫によると、周辺の雷が地面に向かって縦に落ちず、

次々とツリーに向かって横に走って行くようで、避雷針というより集雷針のようだったそうです。



さて、6月下旬のことだったか、

カラ梅雨で、夫は鉢上げした商売道具の植木たちを心配し、私は自腹で買った園芸植物たちを気遣い、

庭の芝生で二人、空を見上げて、雨が降らないかな・・・とボヤいていた。

連日の水遣りは大変であった。

天気予報では、その日も「快晴」で夕立の予報も無かった。


それでは、と

「あめーふれーーーあめーーーふれーーーー」

私、空を見上げ両手を挙げて、地面に頭を垂れて両手を降ろし、

雨乞いの踊り、を自作自演してみた。


とっさの出来事に、夫は、言葉を失い、目をまん丸くして、

「そんなこと・・・・するのか・・・」のようなこと モゴモゴつぶやいていた。


一瞬、恥ずかしかったが、「なんでもやって見ないとね」とうそぶく。



夕方、二人で出掛けようと車に乗ると、フロントガラスにポツリ、ポツリ・・・・

夫「効いたようだな!」

私「え?何が?」

夫「雨乞いの踊りだよ!」

踊った本人、すっかり忘れて、「へへへ」と照れ笑い。

「なんでも、やってみるものだな」

おいしい寿司を探し求めて

2013年07月03日 | 美味探求


冒頭に、「葉表が美しいギボウシに花が咲きました」と、コマーシャルを入れて、

本題は、おいしい寿司を探して食べ歩いた話です。


GWに来客予定があり、事前にいつもの寿司屋に、出前の予約をしよう電話しましたが、
何日も連続して留守。

不審に思いつつ、ようやく繋がると娘さんが出て、「父が急遽入院しました。」とのことで詳しくは語りません。

大将に大変なことが起きたと察し、「お大事にどうぞ養生してくださいませ」と伝えた。



遠路はるばる見える来客に、拙宅でくつろいでいただくには、出前の寿司は調度いい。

それで、ピンチヒッターとなる寿司屋を探して、近所の寿司屋を訪ねた。


歩いて3分の寿司屋は以前、まぐろのまずさに即退散したことがあり、最初から除外。


Hが谷の街道沿い、門構えの良い店に出向いた。

暖簾をくぐると、物がごちゃごちゃして、落ち着かない。

出てきた茶が、出がらしも出がらし、ここまで薄くて不味いお茶は、生れて初めて。

夫と合図して、少し食べて退散。「えっっ、もう帰るの!?」と大将は絶句の表情。

その後自宅に戻り、出前専門「花匠」で取り寄せたが、

夫「なんだ!この不自然なテカリは!」で没。


日を改めて、K市とA区の境にある寿司屋、中はこざっぱり、お茶はまずまず。

寿司を握って供する瞬間「ハイ!!!」が連呼。

腹の底に響く大きな掛け声で、こちらは「ビクッ」と食欲が失せる。静かに食べたい。

やはり夫と暗黙の了解で、早々に切り上げる。

その後自宅に戻り、今度は出前専門「銀の皿」から取り寄せる。

夫「身内では使えるが、来客では厳しい」。


JR・K駅「銀寿司」と東武線S駅「刺身屋の夢や」の連日勝負は、

どちらも居酒屋で、どっこいどっこい。そもそも出前がない。

久しぶりに回転寿司、夫は「くら寿司」の2階建てレーンに大受け、笑っていた。

私としては、お昼の一人ランチのとき、ぶらりと入るにはいい、と思う。



なんでも、失って初めてわかる「有り難さ」。


くだんの寿司職人は、銀座と新橋の店で修行し、熱海の旅館で板長、外国のホテルからの誘いもあったが、地元K市に戻り開店。

お店の外観は地味、桧のカウンター9席、奥座敷15席、シンプルで清潔感が漂う。

ネタは築地から仕入れ、季節感があり新鮮で、シャリも程よく、口に入れておいしさが広がった。

出汁巻き卵が絶品で、私は「卵焼き道」と称して、その味に近づくよう精進を重ねてきた。(その甲斐あって、夫は私の卵焼きは美味である、と言ってくれている)

ガリも手作りで止められない味、干瓢の味付けもよく、海苔巻きを翌朝用に土産で持ち帰った。

当時5歳と2歳の甥っ子達、ここで寿司屋デビューしたが、以後、刺身は大好物。

夫婦が差し向かい正面ではなく、カウンターに横並びに座るのも、いい。

大将相手に会話するもよし、夫婦二人で話すもよし、隣席の客の話に相槌打つもよし。

大将の気性か、「変な客」「くせある客」を見かけなかった。

接待に使えるのも、重宝でした。


本当の、寿司職人が、減った。

実家の深川には、おいしい寿司屋があったが、当時大将は薄い銀髪、今その店はない。

先の九州旅行で、熊本の大変おいしかった寿司屋の大将は74歳、次会えるかな・・。

都心に行って探せばあるのでしょうが、都心は私達にとって地元ではない。


寿司に限らず、真の職人が腕を振るうには、顧客の支えが要る。

本物が欲しい、という客がいるから、職人もこれに応えて、「甲斐」を感じる。

職人文化が廃れていくのが、寂しいです。







見えない網戸

2013年07月03日 | 日記
我が家の網戸は、黒い。

当家へ訪れた客人が、「網戸は、はめていますか?」と尋ねるほど、

目立たないようです。


先日、リビングの窓を開き、網戸越しの風を入れて、静かに読書をしていたら、

いつもの黒ちゃん(猫)が、いつものように庭を横切り、

今日はいつもと違って、デッキ(濡れ縁)によじ登り、家の中に入ろう!!!

としたら、網戸に顔を、いや、ひげをぶつけ、???? しばし立ち止まって、

足を踏み込んだり、後ずさりしたり、へんだにゃー・・・と立ち去りました。


猫まで、見えない網戸? 


ちなみに、雉トラ縁猫と、真っ白猫と、真っ黒猫が巡回してきます。

お陰で、ねずみが寄り付きません。




四十肩というものは、、、

2013年07月02日 | 日記
まずは、さわやかにアガパンサスの花。



梅雨時期に咲く、青紫が清々しいこの花が好きで、増やそうと可愛がっている。

しかし、増やしたいものは増えないのに、雑草は可愛がらずとも元気にはびこっている。

そろそろ、草むしりをしないといけないのに、左肩が四十肩になって、億劫なのです。


四十肩というと、通過儀礼的な名称で、ありふれて、たいしたことないように見えます。

その実は、肩の関節胞が炎症を起して、可動範囲が制限される状態で、

半年から1年は治癒に掛かる、と整形外科医に言われました。

組織は3ヶ月で入れ替わるそうですが、

肩は腕がぶら下がり、しかも可動範囲が大きいため、一進一退を繰り返すそうです。


実際、急性期は、寝返りをしようと身じろぎを始めた瞬間、ずきーん(涙)と目が覚め、

肩、腕、指、首筋が腫れ、左こめかみまでズキズキし、眠れない。

睡眠不足と炎症から、日中はだるいし眠いし、痛いし・・・


医療の力も借りて、少しずつよくなって、薬がなくても日常生活が送れるようになった、

と看護婦さんに喜んで伝えると、「まだまだよ」と意味深に微笑まれ、

ズバリ、またもや、ズキ、ズキズキ、ズキーンとぶり返します。

次回、その看護婦さんに「言われたとおり、また痛くて痛くて」とぼやきますと、

「そうよ、最低、半年は養生しなさいよ」

3月に始まり、5月に最大ピーク、6月に再度ピークが来て、最近また怪しい。


従姉が、「3月に始まって、翌年の3月に治ったよ。」

「最初は腕が上がらない、次は、背中に回せなくなるのよ。でも今は、元通りよ!」

まったく同じ道のりを辿っている。一人で着替えることもできない・・・

従姉「車の運転がつらくなる」

うんうん、私もそう。左ひじをレストで支えて、両手に皮手袋して運転している。


あーーー、朝目覚めて伸びをする、そんな当たり前の生活が恋しいーーー

一年辛抱はつらいなー










しゃらのき

2013年07月01日 | 庭、四季の花
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす

平家物語の冒頭を飾る「沙羅」、これはナツツバキの「しゃらのき」とは別物だそうです



こちらは「姫しゃら」



30歳の時、意を決して造園の道を歩み始めましたが、

最初の難関は、木を見分けて、名前を覚えることでした。

実際、お客様の前で、庭木の名前が分からないのは、恥ずかしく、信用失墜ものです。


花を見れば見分けはついても、1年のうち花のある時期はわずかです。

あとは、幹肌、枝ぶり、葉の特徴で識別しなければなりません。

ましてや、葉が落ちる時期もあります。

   

左は常緑樹の「くちなし」と、右は「姫くちなし」(もしくは「こくちなし」)。

常緑樹でも、花が印象的な木は早く識別できるようになりましたが、

シラカシ、ウラジロカシ、アラカシ、アカガシ、などは区別が難しく、

落葉樹でも、コナラ、ミズナラ、ブナ、クヌギなども葉が落ちるとお手上げでした。



東農大の樹木学の授業を受けて、識別のコツを教わり、少しずつ世界が広がりました。

識別と名前は表裏の関係で、識別は生態を、自然を知ることでもあります。


そして今、夫と庭を作る機会を得て、私は当時抱いた夢を、少し実現しつつあります。

それは、庭に様々な樹木を植え、四季を通じてよくよく観察し、識別できるようになり、

旅の空の下、野山の木々を一瞥して、「ここはブナの森だ、あちらはミズナラ。」

などと自然を鑑賞できるようになることです。


そのような訳で、あえて、似て非なる木を植えるようにしました。



新年早々、冬の箱根を旅した折、ヒメシャラの森がありましたが、幹肌で分かりました。

そして先ほど、ヒメシャラの花と、初対面。

雨の時期に咲き、一日でハラリと落下して終わるので、いつも見過ごしていました。

今年は、落ちた花を見つけて、雨の中を見上げ、間に合いました。

すぐにシャラを見に行きましたら、高いところで咲いていました。

ようやく「違い」が実感できて、嬉しいです。