智の庭

庭の草木に季節の移ろいを感じる、日常を描きたい。

九州旅行-後日談-

2012年10月18日 | 国内旅行
九州旅行を終えて、


まず、最初の所感は、「また行きたい!」

当初、九州の下半分をじっくり回るので、十分だ、と考えていましたが、

実際は行ってみると、ここも、あそこも、と言ってみたい場所が膨らみました。

事前に、観光の本やネットで情報収集しましたが、昔の本と比べて、明らかに情報量が少ないです。

そこで、宿や観光案内所に、まず出向いて、情報収集をしました。


例えば、熊本県人吉市ですが、観光の本には1ページしか書いていません。

行ってみると、28社も焼酎酒造所があること、25箇所も公衆温泉浴場があること、

球麿川渓流下りを楽しめること、平家の伝統工芸品があることを知ります。

お酒好きには、人吉に泊まって、焼酎飲み比べ歩き、も有りですね。


そもそも、人吉に降り立った理由は、

私の母の友人が人吉出身で、趣味が良く料理の上手な上品な奥様で、

おばさまが、誇りに満ちて「人吉」を語る様子が、印象的でした。

それで、高速道路「人吉IC」の表示を見て、「やっぱり降りる!」となりました。

降りて、出会って、良かった。

あの「上村うなぎ屋」は忘れられない味になりました。


また、熊本郊外には、石工の里があり、高度な石加工の建造物が残されています。

天草も、ムツゴロウのいる干潟も、行ってみたい。



鹿児島は、薩摩半島の先端には、指宿の砂蒸し温泉に、開聞岳があります。

特攻の兵隊は、薩摩富士といわれる開聞岳に別れをつげて、この世の見納めにした、と聞きます。

祖国を守るため、命を犠牲にされた方々の、最後過された地が、

光に満ちた麗しい山河、清らかな水の里であったことが、せめてもの慰めのように思えます。

その開聞岳で、ご冥福を祈りたいです。


更に、薩摩焼の里で、黒薩摩と白薩摩、器を探し。

土甕の並んだ黒酢の醸造所、垂水の葛の製造所、訪ねてみたいところは尽きません。


そして、阿蘇と九重連山。

ミヤマキリシマの咲くころ、また是非、歩きたい。

山歩きに備えて、足腰を鍛えよう!と決意を固めた次第です!


なお、友人諸君。

阿蘇は、最寄の熊本から入るより、大分の九重連山から入る方が、ぐーっとスケール感がアップしていいですよ!

足首まであるトレッキングシューズに、2本のステッキは足腰を守り必須ですね。


最後に宿について。

今回、長期なので、老舗割烹旅館、最高級ホテルは避けて、公共系の宿を探しました。

8泊で2食付で約16万円(大人二人で。一泊だけ夕食無し)。

良し悪し、費用対効果など評価は、今度お会いしたときに話します。

プリウスをレンタルして、ガソリン込みで9万円。

飛行機代はタダでした。

次の旅行に備えて、お買い物はJALカードで決済しています。


それでは、友人諸君、また会う日まで、お元気で!




九州旅行-最終日、鹿児島-

2012年10月18日 | 国内旅行
九州旅行11日目、10月9日火曜日、最終日。

鹿児島2泊目は、錦江湾に面したホテルの窓から、桜島の裾野から登る朝日。



お昼のフライトまでの時間を、島津家の仙巌園・尚古集成館の見学。

1658年、第2代藩主島津光久が別邸を構え、見事な庭園は「磯庭園」の名で知られている。


孟宗竹を中国から輸入し、大切に育て、ここから日本各地に広がったそうです。



大河ドラマ「篤姫」で、小松帯刀が城に出仕する場面で使われた園内の石階段



島津斉彬公が、いち早く西欧列強の脅威を察し、軍事力強化を勤めたことを展示する尚古集成館。


そろそろ、旅を終わりにする時刻も近づき、霧島連山の傍にある鹿児島空港へ向かう。

最後、鹿児島ラーメンをいただく。

・・・・「うまい!」と夫が水をゴクゴク。

一杯、2杯目。「この水ともお別れか」「しかし空港の水まで、おいしいとは。。。」

思い出し笑いをしながら「最初の行橋で博多ラーメン。最後は鹿児島ラーメンか。」



無事、羽田に着いて、P1にあるプリウスに乗って、我が家に到着。

二人で開口同時に「我が家が一番。」そして「道中、安全運転、ありがとう!」



その夜中、、、、

ベッドから起き上がって、「トイレの位置を確認しないと・・・」

トイレに行き、「あれ!?このトイレ、ウチのとそっくり・・・」

ここはウチでした・・・寝ぼけた姿を、夫にすっかり目撃され、恥ずかしさを笑ってごまかすか・・・


今回の旅は、車で先に進み続けるために、宿を毎晩変えました。

部屋番号は毎日変わるし、トイレの位置も毎日変わるし、ストレスになったのは確かです。

途中、コインランドリーを一回使えましたが、10日間の衣服の分量はバカになりません。


それでも、10泊11日も旅して、良かった、と思えました。

欧米の人々が2週間もバカンスを取る訳が実感できました。

旅の前の生活、自分、を完全にリセットできました。

三泊4日とか、5日とかではリセットできず、頭の片隅に以前の日常が残るでしょう。


当初、11日間も夫婦でずっと一緒にいて、喧嘩しないかなあ・・・と心配しましたが、

大丈夫でした。

夫は、運転に集中。私は、資料・情報を集め、読み込み、工程を練り、荷物を整理整頓。

と、各自の得意分野で分担しました。

これからの人生も、こうして二人、助け合いながら暮らして行ければいいなあ・・・

・・・おわり。

九州旅行-鹿児島、知覧-

2012年10月17日 | 国内旅行
九州旅行10日目、10月8日 月曜日(祝日)

旅行も残りわずか。桜島から登る朝日。



今日は、鹿児島から更に南、知覧に向かう。

知覧では、200年以上前に建てられた武家屋敷の町並み、家屋、庭が保存されている


生垣には、イヌマキ、チャノキが使われている。


生垣を真直ぐに刈り込まず、山並みを表現している。

庭を撮影していると、武家の奥方が現れ「そこから見るものではないっ!」と一喝され、

庭の見所、謂れを説明されたが、なんせキツイ。武家の誇りがそうさせるのであろうか、、、


次に、知覧特攻平和記念館を訪ねる。

昭和20年本土最南端の陸軍特攻基地となり、20歳前後の若い隊員、1036名が出撃し、帰らぬ人となりました。

遺影や遺書などが展示され、涙なしでは見られません。

私は、見送り残される母や恋人、妹の気持ちになって、遺書を読みます。

夫は、出撃する隊員の立場を想い「洗脳に他ならない」と絶句していました。


夫は、えびの高原辺りで鼻かぜを患い、本人は泣いていないのに、鼻水を啜る音が聞こえます。

館内大変混雑していましたが、夫の鼻水とくしゃみの音で、すぐ見つけられました。



さて、お昼は蕎麦を食し、地元の和菓子屋「吉田屋」に飛び込み、おいしそうな大福を選びつつ、

「すみません、知覧で一番おいしいお茶を作る生産者を教えてください」と聞き込み調査をする。

それでは、と農林大臣賞を受賞したお茶所を紹介して下さった。



玉露と最上級の深蒸茶と浅蒸茶を試飲して、お土産と自家用分を手配する。


おいしさにすっかり上機嫌になって、鹿児島市内に戻り、

お土産に更に、明石屋のかるかん饅頭に、徳永屋の薩摩揚げを手配。



鹿児島市内の路面電車の様子。路面には芝が張っていました。

熊本市内にも路面電車が走っています。

今はない福岡のチンチン電車が懐かしいです。

九州旅行-都城、宮崎、日南、鹿児島-

2012年10月17日 | 国内旅行
九州旅行9日目、10月7日 日曜日。

えびの高原から、霧島高原・温泉郷、高千穂峰を眺めながらドライブし、

天孫降臨御神火祭で有名な霧島神宮を見学。

この地に坂本竜馬とおりょうが新婚旅行で訪れたと言われている。

左手奥に、鹿児島の桜島が見えます・・・




日南に向かう途中には、宮崎県都城市があり、

やはり霧島酒造は立ち寄らなくては        

夫は、赤霧島が目当てであったが、直売所では黒と白しかなく、樽で寝かせた芋焼酎を買う。

私は、熊本・人吉の繊月酒造のこじんまりと手作りな雰囲気が好きです。

こちらは、大きな工場ですね、、、


宮崎へ入り、青島を歩く、鬼の洗濯板と言われる海岸



堀切峠からの眺め

夫の感想ですが、

海は、やはり夏に来て泳がないと、見るだけでは、つまらない。

宮崎は、なにも無いところで、農業と畜産を大切にしないと、どぎゃんもならない。

というわけで、鹿児島へ向かいます。





九州旅行-人吉、えびの高原-

2012年10月16日 | 国内旅行
九州旅行8日目、10月6日土曜日

熊本から九州自動車道を南下すると、鹿児島県堺近くに人吉という山間の町がある。

相良藩の800年の歴史があり、城は球麿(くま)川の天然の要塞に建ち、



平家の落人が伝えた京伝統工芸品も有名。

城下町は、楽しい!!!

なぜなら、酒蔵あり「繊月酒造」     

ドライバーの夫は、試香はできても試飲はできない。

ずーっと運転してくれている夫への感謝の意を込めて「なんでも欲しいもの全部プレゼントするよ!」

夫は、嬉しそうに、木樽と土甕熟成のプレミアムものを各一本選ぶ。

私は、蔵に漂う酒気に、なんだか後頭部がモワーと重くなるほど下戸。


味噌・醤油蔵あり「釜田醸造所」     

味噌と醤油も様々味見して、色々自宅へ送ることにしました。自然なおいしさです。

いずれも昔ながらの伝統工法を守り、小規模ながら上質な手作りのよさを感じる。

それにしても、熊本の細川家、鹿児島の島津家に挟まれて、このような山間の小さな藩が良く生き延びられたなあ。

思うに、逃げ延びた平家が一族で団結し、鎌倉時代から強い両国に挟まれ、苦難を誇りで乗り越えたのであろうか、、、



そろそろお昼、、なので「上村うなぎ屋」の暖簾をくぐる。

うな重は、身は淡白で甘く、香ばしい焼き加減、甘醤油たれは各自でかける。おいしい。

おいしい清流で育った鰻は、臭みがない。全ては、水に帰す。


店内は満席で、相席のご夫婦と会話すると、日南出身で日南のすばらしさを熱く語る、、、夫は感化され「日南に寄る!」

というわけで明日、日南に立ち寄ることにして、まずは、えびの高原へ向かう。



えびの高原は宮崎県に在るが、熊本県境、鹿児島県の霧島高原と隣接している。

写真は韓国岳。新燃岳は噴煙を上げ、ここでも入山規制。

池を巡り歩くが、池には温泉が湧き、魚が住まない。



硫黄山、今は休火山。昔、硫黄を採取していたそうです。



原生する樹木が、温帯から亜寒帯のものまで同居している。

阿蘇とくじゅう連山とは植生が異なり、ミヤマキリシマも間を縫って生育している。

つかれた足腰を、温泉で癒そう。










九州旅行-熊本-

2012年10月16日 | 国内旅行
九州旅行7日目、10月5日金曜日

宮崎県高千穂から熊本県熊本市へ向かう。

途中、未練がましく、阿蘇山火口ロープウェーが稼動しているか確認したが、

風向き変わらず、ガス規制で×。

まずは、水前寺成趣園 

東海道53次をモチーフにして、左の山は富士山を表している。

池の水は湧き水で、至る所からポコポコ湧き出ている。

澄んだ水に感銘を受けていたら、園の人が、

「阿蘇と熊本の間に工場が沢山出来て、地下水を汲み上げ、園の水位が以前の半分になってしまった」

それにしても、高校の修学旅行で来たときは、なぜ、この水の清らかさに目を留められなかったのだろう・・・

きっと、おしゃべりに興じて、見るべきものを見ていなかったのだろう・・・

お次は、熊本城   

熊本城は西南戦争で炎上し、再建したものであるが、眼下の宇土櫓は創建時のもの。

       

細川刑部邸(藩主細川家の分家の上級武家屋敷)の長屋門から御玄関への園路

       

夜は、都寿司で、新鮮な魚と馬刺しをいただく。

刺身だけでなく、炙り加減、味付けも絶妙で、「今度九州来るときは、熊本空港から」と誓う。

翌朝、ホテルの窓にて、阿蘇山から朝日が昇る





朝日を眺めたら、恒例の朝風呂ですね。  もちろん、お、ん、せ、ん。


九州旅行-高千穂峡-

2012年10月15日 | 国内旅行
九州旅行6日目、10月4日木曜日

阿蘇から宮崎県高千穂峡に向かう。

高千穂の里は、見渡す限り、千枚田、否、万枚田が黄金色。



深いV字型の渓谷があり、上から見下ろすより



ボートを漕いで見るほうが迫力がある。



岩清水が湧き出る滝、そして町の水源地、取水場でもある。

とにかく、お水がおいしい。

九州旅行始めから最後の鹿児島空港まで、お水がおいしい。

岩に染み入り、濾過され、再び岩の裂け目から湧き出るのだから、正真正銘のミネラル水。

おいしい水の中で育つ、イワナもアユも甘いし、野菜も甘い。

我が家では、水道水を浄水器で濾過しても、こんなにおいしい水にならない。

富士山バナジウム天然水を買って飲む身が、悲しい、、、、


お昼は、ホテル・ウーマンお勧めの「マラソンうどん」で九州のうどんをいただく。

亭主が市民ランナーで、大のうどん好きで脱サラの上、念願のうどん屋を開く。

私が食しながら「博多のうどん」と口走ると、

亭主が我が意を得たりとばかりに「博多のうどんは、ふわっとした中にこしがある。これを追求している」

なるほど。うどんの麺もおつゆも、深い出汁で味わい深く、残さず最後までいただいた。



夜は、夫はビールと焼酎を楽しみ、飲めない私は、地元の水をゴクゴクと頂く。



夕食後、夜神楽を鑑賞する。

高千穂は、神話の里。

天照皇大神のお隠れになった岩戸に、困った神様たちが集会した洞窟がある。

神話を題材にした神楽を継承すべく、40年間も毎晩、公演を続けているそうです。

笛と太鼓の音が、胸に響き、幸せな気持ちで満たされました。

九州旅行-阿蘇-

2012年10月15日 | 国内旅行
九州旅行5日目、10月3日水曜日

赤川温泉から一路、阿蘇に向かう。



阿蘇連山に近づき、越えて、草千里側から火口を望む。



あいにくの北東風で、有毒ガスによる入山規制で、ロープウェーは休止、、、

それでは、と来た道を引き返し、風上である東側、仙酔峡からの火口に近づくことに。



仙酔峡とは上手なネーミングで、溶岩流と清流の滝のダイナミックさに、くらくら来る。

健脚の夫はどんどん先に進み、私はレキの杖を支えに、一歩一歩前進し



頂上まで、あと4.6kmのところで、振り返ると

ずっと下に、出発地点の駐車場、更に向こうの山は、昨日までいた九重連山。

感動のあまり、、「やっほー」澄んだ空気に「やっほー」「やっほー」と返ってくる。

今回は登山の装備も整えていないし、午後から登山なので、

残りは、次回のお楽しみに残して、下山。

疲れた足腰を、温泉で休めましょう。


九州旅行-湯布院、くじゅう連山、黒川、赤川-

2012年10月15日 | 国内旅行
九州旅行4日目、10月2日火曜日。

湯布院の町を散策したが、種々の様式の建物が乱立し、原宿のようで、落ち着かない。



むしろ、周囲の田園の中にある、湧水の清流に囲まれた宇奈岐日女(うなぐひめ)神社や



大杵社(おおごしゃ)の樹齢千年を越える大杉が、里の人々の暮らしが感じられる。

早々に湯布院を去り、

やまなみハイウエイでくじゅう連山へ 

長者原自然研究路(九州の尾瀬と言われている)から見た久住山


至る所で湯煙が上がり、九重西鉄ホテル花山酔でランチのついでに情報収集。

深山霧島ツツジは6月中旬、ツクシシャクナゲは6月下旬に咲くとのこと。


やまなみハイウエイを進み、黒川温泉の清流の森を歩く


更に、道を進めると、



ひたすら雄大な景色に、ただ無言で、立ちつくす。

写真は、赤川温泉に向かう途中、あざみ展望台からの阿蘇山への眺望。

ここは阿蘇の外輪山に位置し、正面はカルデラ盆地の向こうに阿蘇の山々、振り返ると九重連山。


一度、赤川荘にチェックインした後、またここに戻って日没を見守る。




九州旅行-別府、臼杵-

2012年10月14日 | 国内旅行
九州旅行3日目、10月1日月曜日。

ホテルの窓から、別府湾に登る朝日を望む。




全国的には平日であるが、東京都民は都民の日でお休み、

実家家族はお昼の便で大分空港から羽田に帰る。

その前に、皆でロープウエーからの景色を楽しむ。



別府湾の向こうは、国東半島。大分空港はその先端にあり、ここからは見えない。


大分空港でお別れし、車もワンボックスカーからプリウスに乗り換え、いざ臼杵へ。

臼杵は、戦国時代に大友宗麟が築城し、街の基礎を築き、

城下町の面影を、十分、今も伝えて美しい。


商人の町として栄え、町人が河豚を好んだことから、ふぐ料理屋が随所に見受ける。

また近所の佐賀関で獲れる関アジ関サバが有名。

なのに、空腹と時間の都合で、ランチをSAで手を打ってしまった・・・




平安後期から鎌倉時代にかけて石仏が掘られ、国宝にも指定されている。

臼杵から湯布院の宿に移動。






九州旅行-別府-

2012年10月14日 | 国内旅行
二日目 9月30日は、行橋から大分県別府へ移動し、地獄巡りをする。


緑掛かった池から噴煙が上がり


血の池地獄


コバルトブルーの海地獄


粘土のような地獄


地獄は、もう十分。

疲れた足を、温泉で休めたい、、、、と途中で足湯。



お昼は、「大鳴門うどん」の揚げたての「ごぼう天うどん」を美味しく頂き、

夜は、ホテルの懐石料理に舌鼓を打ち、

疲れた体を温泉で休め

別府湾に満月が輝き、、、、お休みなさい




九州旅行-行橋-

2012年10月14日 | 国内旅行
9月29日土曜日早朝、羽田5時55分発 北九州空港7時半着 JAL371便。



写真は、朝日に照らされる富士山。


まず自宅から羽田まで、電車では不可能なので、マイカーを空港駐車場に停めることにした。

結果、早朝便で正解で、土曜日にもかかわらず、駐車場の便利な場所を確保できた。


北九州空港でレンタカーを手配し、行橋へ向かう。

浄喜寺(1603年建立)にある先祖の墓を清める。

町一番の老舗の花屋で花束を用意して、

駅前の評判のラーメン屋で、とんこつラーメンをいただいて、宿で着替えを済ませた頃、

福岡空港経由、ソニック号で来た母と姉と甥っ子達と合流。

お墓にお花を供え、お線香を上げてから、お寺に向かい、法要を始めた。


4歳の次男が、お坊さんの読経と合わせて声を上げるのだが、何故か節回しが合い・・・

7歳の長男は、出されるお菓子を肩端から賞味し始め・・・・恥ずかしいばかり・・・


法要を無事終えて、近所に住む伯母の元へ立ち寄り、お見舞い申し上げる。



辺りは、稲刈りの季節を迎え、白鷺が落穂や飛び出す昆虫を狙って待機している。

用水路の水は澄み、めだかが泳いでいる。

無農薬で田畑を耕していることが伺えます。

いまでも「水は清き、ふるさと」です。


夜は、「呑河豚(どんぷぐ)」で、

下関港で揚がった河豚、アジ、サバ、シャコをお刺身、唐揚、御鍋でいただく。

新鮮なサバは、こうも甘いのかあ!と感動。(7歳長男が次々平らげていた)

夫が「シャコは、こんなに甘いのか!オマエの言っていることが分かった!」

私は関東でシャコを食べる度に「こうじゃない!もっと美味しい」と残念がっていた。

お店の人が、カブトガニのような、化石の本にでてくるような蟹を見せてくれた。

次回の来訪の楽しみができました。





九州に行ってきました

2012年10月13日 | 国内旅行
9月29日から10月9日まで、10泊11日で、九州に行ってきました。

私の父の25回忌法要のために行くついでに、旅行をしました。

JALのマイレージで、往復の旅費は無料になりますが、日程や座席に制限があり、

こんなに長くなってしまいました。


29日北九州空港に降り立ち、福岡県の行橋で法事、

その後、大分県の別府、湯布院、赤川、熊本県の阿蘇、

宮崎県高千穂、熊本県熊本、宮崎県えびの高原、鹿児島県鹿児島市2泊、

9日鹿児島空港から羽田に戻りました。


詳しくは、順にアップしていきますが、

九州再発見、心に刻まれる旅となりました。


子供の頃、夏休みに、父の故郷の福岡県行橋と、母の出身地博多に帰省していました。

私が育ったのは東京ですが、ふるさとは九州、と思っていました。

高校の修学旅行でも、熊本、阿蘇は訪れ、

大学1年の夏休み、友人と阿蘇、高千穂、別府、臼杵、日南を旅しました。

が、、、見るべきものを見ていない、見過ごしている、心に留めていない、、、、

今回、夫とレンタカーで回り、随所で歩き、様々なことに気付き、深く感動し、

心に染み入りました。


私の中に、九州の血が流れ、これを誇りに思える旅となりました。



東北被災地を訪ねて

2012年10月13日 | 国内旅行
先の5月1日から4日まで、三泊四日で東北の被災地を訪ねました。

震災から1年たち、段々、私たちの心の中で風化しつつあることを憂い、

せめて、忘れてはなるまいと、心に刻むべく、旅行することにしました。


当時は衝撃が大きく、考えることも多く、ブログに記載することを躊躇われましたが、

記憶の風化を恐れ、約半年後の今になって記すことにしました。



前夜、宿を急遽手配し、5月1日早朝出発したものの、

3t吊トラック盗難未遂事件が発覚し、高速道をとんぼ返りして、警察に通報するなど対応に追われ、

最初の目的地、宮城県仙台の松島に到着したのは、夕方の4時ごろであった。



民家の経営する駐車場に車を停め、家主に被災の状況を伺った。

「点在する松島と、岩盤のお陰で、この辺は3メートルの津波で、

この目の前の道路まで、黒い海水が押し寄せたが、家には浸水してこなかった」

実際に、港の岸壁は、崩れた跡が随所に見られたが、

港沿いの商店街は、一見するときれいで、被災の事実がピンとこなかった。

遊覧船乗船場に、被災直後の写真と、町民総出で掃除している写真をみて、

商店街の合間、合間の一階が閉鎖されている様子が目に入ってきた。


瑞巌寺も岩盤の上に立ち、これまで幾度もの地震や津波に耐えてきたことを知った。

悲惨な状況を想定して来て、なんだか出鼻をくじかれたような、不思議な面持ちで、

仙台から内陸郊外の宿、作並温泉岩松旅館へ向かった。

仙台市は、TVでも紹介されていた通り、復興バブル、にぎやかであった。





二日目は、岩手県平泉の中尊寺の金色堂と、毛越寺の庭園を散策しました。

奄美大島の阿古屋貝を奥州まで運び、螺鈿に細工し、金銀宝玉でちりばめた金堂、

藤原三代の栄耀栄華、美意識の高さ。

この日は、岩手県花巻温泉 藤三旅館に宿を取りました。


三日目は、いよいよ被災地巡り。

折りしも雨が降り始め、悪路ならぬ土砂崩れが予想された。

花巻から遠野経由、釜石市に入った。

突然始まった。

基礎のコンクリートだけが残された、平地。


言葉も無く、わけがわからぬまま、海沿いの国道を通って、大船渡市へ。

大きな船が打ち上げられている。

そして陸前高田市、あの一本松もぽつんと立っていた。

気仙沼。南三陸町。

鉄筋コンクリートの建物が、転がっている。

海辺の巨大な施設が、空洞の黒い廃墟となっている。



報道で紹介された大きな街と街の間には、小さな村が無数にある。

リアス式海岸の急峻な岩山に、細い谷間にある港に面した小さな漁村。

地形に沿ってアップダウンを繰り返す道。

ダウン、つまりそこは入り江があり、人々が住む村であった。

基礎のコンクリが、それを示していた。

低地から少し上がると、がらんどうの建物が残され、

ある高さから上には、普通の家が、普通どおり、建っている。

さらに上には山道、尾根の狭い場所を切り開いて、仮設住宅が並ぶ。


ある入り江は、棚田のようであった。

でも良く見ると、田畑でなく、家の基礎が草むらに隠れていた。

一つの集落が消えていた。


雨が激しくなり視界も悪く、地盤沈下した海沿いの国道に、波が打ち寄せてくる。

食欲も無くし、血の気が引いて、雄勝町から女川町に入り、

おトイレをずっと探したが、やっと見つけた、高台にある女川町立病院のを借りた。

守衛さんにお礼を言って、正面玄関の正面の柱を見やると、

「津波は、この高さまで来ました。→」

一階天井まで達していた。


こんな、こんな、高い所まで来たのか、、、

病院まで急な坂道を、車で何度か折り返して上がって来た。

こんな高い所まで逃げないと、助からないのか、、、、


後日、実家の母にこの話をすると、母は朝日新聞の震災記事のスクラップを持参して、

「忘れないよう、保管すべきと思ってね」

と各地の津波高が一目で分かる記事を見せてくれた。

女川町は27mであった。


女川から石巻に向かい、被災地にお別れを告げて、

福島県堺にある鎌先温泉、最上屋旅館に泊まった。


最終日4日目は、猪苗代湖畔の野口英世記念館、写真は猪苗代湖


会津若松の鶴ヶ城       

を訪ねて、帰路についた。


一番、衝撃を受けたのは、被災した人と、免れた人、被災した土地、免れた場所、

標高のラインで、明暗が分かれている。

同じ村、町であっても、免れた家は、普通どおりの生活ができる。

その下では、全てを失った隣人がいる。

明と暗が、隣り合わせで、同居している。

断絶と孤独に耐えて生きるのは、大変辛いことです。