tontonjyoのブログ

yahooから引っ越して来ました。思ったことを適当に書いています

抑止力ってさ。覚悟の問題でしょ。

2010-05-29 18:05:48 | 日記

辺野古移設問題。


実際、抑止力になるか、否かは別にしてね。それは結論が出るまで研究してください。ただね。「米海兵隊は抑止力にはならない。」ってことを中心に国外移転を主張する人がいるけど、それにはすごく違和感を感じんるんだよ。

「じゃぁ、抑止力になると、そう信じる人は賛成して然るべきなんだろ。」って言い分に正当性を与えるだけの話だよね。それが結局のところ鳩山総理の言動の変化を生んだんじゃないの。そもそもの人間性の問題もあると思うけどさ。



抑止力。例えば、「日米関係の良好な維持が重要だ。」って主張する人がいるよね。その根底にあるのは、まぁ、例えば、そうね。中国だろなぁ。

思いを構成するものは何かって話になると、≪軍備の増強・近代化が進んでいるとされていますからね。「それは何のために?」と問われれば、「強制力を得るためでしょ。」って答える人が多いんじゃないですか。「絶対に、そうではない。」とは言えないと思うなぁ。

米国だって、中国との全面戦争は、流石に躊躇するよね。中国にしても、今後、それが予見できるようになるってこともあるでしょ。まぁ、流石に全面的に侵略してくるってことはないだろうけど、米国の躊躇が予見できるようになったとするなら、日中中間線を越えて来る位の可能性はあるんじゃないですか。

米国からして、「この国は大切だ大きな代償を支払っても、あらゆる手段を講じて守らなければならない。」と言えるほどの何かがなければ、流石に何もしないと言うことはないだろうけど、小部隊を捨て駒にして、「やりましたよ。やりましたけど、やっぱり駄目でした。」なんてことも、これからは出て来るのかもしれませんね。

日本はアメリカのために血を流さないんです。これからもそうでしょう。だから他国よりも強く日米関係の良好な維持に勤めることが重要なんですよ。≫ってことでしょ。

つまるところ「日米関係の良好な維持が抑止力になるんだ。」って言う話なら、「まぁ、アメリカに逆らって良い訳ないよね。」ってなるじゃん。見る限り、そう言うことなんじゃないですか、公に言われる抑止力って、沖縄米海兵隊が実際どう動くか以前の話でね。

そんな思いがある人に、「沖縄の米海兵隊は抑止力にならない。」って言っても筋違いで、「米国の言い分に逆らう理由にはならない。」ってことになりますよね。思いを構成する内容が全く違うのだから。



最初から「抑止力になろうが、なるまいが、負担を強いることはできない。」って前提で挑むべきだったんじゃないだろうか。そうしていたら、例え、アメリカ様や専門家の説明で、抑止力になると言うことを必ずしも否定することはできない状態になったとしても

「抑止力は必ずしも否定できない、それでもです。これ以上、負担を強いることはできないのです。だから、国民には《覚悟》を持って欲しい。」ってことになるんじゃないですか。

例え、国外移転が実現しても、アメリカ様は、当然、日米関係が良好だってアピールするだろうね。抑止力ってそう言うものだから。それでも日本はアメリカに逆らうってことですからね。抑止の対象になる国に誤った印象を与える可能性だってあるでしょ。

アメリカ様の意向に反し、国外移設することで、日米関係の良好さが失われたなんて印象になるとするなら、例え別の場所での全く違う意味でも、抑止の対象だと言われる国が何か日本に不利な行動を起こした時点で、ある意味での抑止力の根拠にもなるんだろう。

国民に《覚悟》も問わずに、そんな状態になるなら、それこそ目も当てられない状態になるんじゃないですか。更に大きなアメリカ様の力を呼び込むことに正当性を与えるだけでしょう。




俺個人が辺野古移設の問題に関して言うなら、「抑止力があろうと、なかろうと、同じ国民である沖縄の住民のために国民の《覚悟》が必要だ。そして、それは重要なことだ。」として然るべきだったと思うのですよね。『日本国民の覚悟』の前提があれば、責任の所在がハッキリする。

更に、「アメリカとの良好な関係。」によるとされるものも含めて、抑止力を完全否定できない以上、日本の防衛戦略が空ではいけない、それは政府の怠慢なのですから。抑止の対象に対するアピールとして「自衛隊の増強を行う。」と主張すれば良かったと・・・。そもそも、日本南方の防衛戦略は増強の方向性なんですから。

また、日米関係の良好さが失われたなんて印象になるとしても、自衛隊による防衛力の増強は日米安保を根拠にした共同防衛の前提にもなるでしょう。

アメリカからして日本が位置的に必要なものなら、如何な状況になろうとも決定的な対立は避けるはずです。日本が敵性の勢力圏内に入ることがアメリカにとっての最大の恐怖でしょう。アメリカは無理にでも良好さをアピールするはず。それを理由しない手はない。

『日本国民の覚悟』『普天間基地国外移設』『自衛隊の増強』と言う形になれば、関して、その後起きる問題は、アメリカの《抑止力》から離れた日本独自の問題になるはず。多くの国民が考え導き出した答えが、自衛力の拡大であれ、現状維持であれ、縮小であれ、それは外的圧力を跳ね除けた日本人独自の答えです。

否定であれ肯定であれ、アメリカの抑止力を前提にしたら、アメリカの呪縛から逃れることはできませんよ。中国や北朝鮮が変わらない限り脅威なんて幾らでも煽れますからね。例え、それが詭弁であっても、信じるか否かは個人の問題です。

今更感は否めませんが・・・。


抑止力ってさ。辺野古移設問題

2010-05-29 04:41:02 | 日記



辺野古移設問題で言われる抑止力なんて、実際の軍事行動を前提にした主体的な積極的強制力のように聞こえるけど、その実は相手がどう思うかの問題で、客体的要素が大きいものなんでしょ。

相手方からすれば、追い込まれるとか、抑止力を構成する戦力その他を読み違えるとか、そう言ったことは往々にしてあるだろからね。こっちが幾ら抑止力になると叫んでも、相手が大丈夫だって判断するなら行動するとか、そう言った類のもんさ。

流石に、一目で解るハリボテでは駄目だろうけど、性質を考えれば、ハッタリでも効果もあるってことじゃないのかい。

詳細も含めて、『必ず参戦する。』とか、『あらゆる手段を講じる。』とか、『全面戦争も辞さない。』とか、そう言った行動の表明の信憑性と、その背景となる備えに〔実効性が確認〕できれば、また、〔計り知れない〕ものがあれば、そこに対象が【行動していないと言う《結果》が現れる】ってことだろな。

「相手が戦力を読み違えたんだ。」とか「自暴自棄になったんだ。」とか理由は色々と言えるんだろうけど、実質として対象の行動が確認できるなら、結果として抑止になっていないと言うことだからね。つまり、その対象からすれば【抑止力が存在していない】と言うことも一緒に確認できる訳さ。

だから、その実、抑止力そのものは【対象が行動していないと言う結果】のことで、〔抑止力になる〕と先んじて影響していると主張する側からすれば、《「この措置には相手に行動を思い止まらせるだけの〔効果があるだろうと〈思う〉〕、だから講じる。」》って程度の話だよね。

消極的な強制力とは言えるかもしれないけど、積極的な強制力ではない。




【行動の表明の信憑性】と、その『「背景となる備えに実行性が確認できる、また、計り知れないものがある。」』と言うことが重要だとするなら、それは当然、《外交その他と軍事が一体的に動く》ことが必要でしょ。別けて考える方が不自然。

抑止力を定義するとしたら、軍事単体で語れるものではなくて、《「対象が行動を思い止まる効果があるだろうと言う前提で、外交その他も含めた総合的な見地から判断した、ある手段を講じ、結果として対象が行動していない状態。」》ってことなんだと思うよ。

軍事的能力とか、武力の均衡とか、自衛・防衛とか、そう言ったものは、所謂、〔抑止力〕そのものではなくて、それを《構成する要因の一つ》でしょ。


○○学云々、色々と解釈があると思うけどね。まぁ、学のない俺の主観的意見です。


ものは言いようです

2010-05-26 22:58:11 | 日記




真面目な人ほど、根底から覆したくなるようなのですが、それも性質によリけりでしょう。真理の探求・単にガリレオでありたいと言うなら、それでも良いだろうが、本質として相手に納得してもらわなければ何も始まらないものだってあるはずです。

例えば宗教的な価値観や抑止力のような、数値化できない、目に見えない力があるとして、相手は、ある説に基づき、その力の存在を信じているとします。また、それを信じないのような逆の立場からの意見でも良いでしょう。

じゃぁ、それを否定し、相手を納得させられるかと言えば、そうとうに難しいでしょうね。度合いによっては無理だと思います。

相手には相手の根拠があり、更に自分では確認できない、数値化できない、目に見えない力なのですから。

正論と説得力は必ずしも等号で結ばれるものではない。更に言えば。その正論すらも、其々の価値基準に沿った主観的なものである場合が多い。

だったら、そもそもにして「相手の言い分の概要は受け入れる。」とすれば良いんじゃないですか。そして、重要な部分について問うんです。

「確かに、貴方にとって、それは存在する(存在しない)のでしょう。しかし、それでもです。○○しなければ一部が不幸になるのではないですか。それを強いることが本当に妥当ですか。」なんて問い方をされれば、聞く耳も持つってものですよ。そこから互譲・互助・互恵が模索される。


「多数を生かすために少数は引いて然るべき。」また「少数を生かすために多数は引いて然るべき。」なんて一方的な主張をする人もいますからね。まぁ、確かに、それも、一つの真実であると思いますが、しかし、それが道理だと思っては駄目でしょう。いつ自分が少数に、また多数に組するか解らないのですから。

本来は多数も少数も生かさなければならない。互譲・互助・互恵で乗りきらないと、単に少数派・多数派の権利が蔑ろになるだけです。これは多くが理解していると思います。

何を言っても聞く耳を持たない人もいます。しかし、全てが、そうだって言う訳ではないじゃないですか。ある個人は納得させられなくとも、その他大勢を納得させられれば事足りる場合が多いんじゃないですか。


セクシーさと方法論

2010-05-25 14:05:27 | 日記

例え、それが正論であっても「貴方だけには言われたくない。」って言葉をよく聞く。誰しもそう思うことってあるんじゃない。

要は説得力に欠けているってことだよね。正論であることと説得力があるってことは、必ずしも等号で結ばれるものではない。

魅力的であること、これだって説得力さ。魅力溢れるものが放つ言葉なら、また、魅力的な言葉でもかな、そう、それは例えば、我慢も妥当だと思わせる。

確かにこれは危険でもあるが、しかし、何かことを成すには重要な要素であるはず。正論を語っているんだから、それで良いとは言えないでしょう。解って貰えなければ何も変わりはしない。

捻じ伏せるかのごとく頭ごなしに言われて、素直に聞くなんて、そうそうできるものではありません。


辺野古 日米大筋合意

2010-05-23 03:12:10 | 日記

【「移設先は辺野古周辺、訓練は県外に」 日米が大筋合意 - 政治】なんてことです。結局、そうですか・・・。まぁ、そう言うもんでしょう。

「沖縄のみなさまにしばらくの間、負担をお願いせざるをえないが、移設に関して5月末までに合意を目指す思いは変わっていない」らしいので、どうやって説得して行くのか見ていかなければなりません。

あれだけ大風呂敷と広げて混乱させた後に、あまりにも強引な手法を採るなら、世論にも影響が出るでしょう。上手く納得してもらう必要があるんじゃないですか。


選挙前です。まぁ、かと言って、どの政党も、「これは!!」と思えるものはありませんけどね。あぁ・・・。



ん・・・。抑止力。あるかないかに拘るから、180度見解が変わったりするんですよ。最初から、あろうがなかろうが、達成すると思えば、曲げる必要はなかったなんてこともあるんじゃないですかね。

アメリカにとってどうしても必要なものだとするなら、一番良い場所が絶対に駄目だとなれば、自ずと二番めに良い場所を選ぶものでしょう。よって抑止力がゼロになるって訳ではないと思うんだけどね。ある程度の水準は維持するよう作用するでしょう。だって必要なんだから、必然的にそうなりますよ。

アメリカ様は現行案、現行案って言うばかり。オバマ氏との会談は10分で終わったとかなんとか、取り付く島もないみたいな印象を与えたでしょう。あれはアメリカの危機感を煽る作戦ですよ。その作戦に日本のマスコミ始め踊らされたように見えました。

アメリカにとって必要なんだから。場所の選定を日本だけがやらなければならないなんておかしい。

日本と真っ向から遣り合うことって、アメリカの利益にはならないでしょう。「国外です。これ以上住民に負担を強いることはできません。普天間からは何月何日まで力ずくでも出て行って貰います。ただ、話し合う余地はありますよっ。フフフ。」位の強行姿勢を見せたら、アメリカも流石に乗って来ますよね。ねぇ、来ますよね。来ませんか。そう、やっぱり来ますよね。来ないっすかね・・・。

支持率は下がる一方。そりゃ、弱腰にもなるし、息も切れますよ。日本は国民も含め、アメリカとの我慢比べに負けた。そんな気がしてならない。どうですかね。



「移設先は辺野古周辺、訓練は県外に」 日米が大筋合意 - 政治
URL:http://www.asahi.com/politics/update/0522/TKY201005220218.html?ref=goo


沖縄の米海兵隊 勉強メモ 思いついたらどんどん加筆します。

2010-05-22 22:50:19 | 日記

理解するための勉強メモです。


あくまでもネット内の情報で考えます。なぜなら、多くが見て考えることができるからです。今回に限り、ネット内に掲示しないのは知らせる努力を怠っていると判断してみます。

 


米海兵隊が沖縄にいなければならない理由。朝鮮半島有事に備えるなら、また、日本の防衛と言うのであれば、距離的に他所でも賄えるはず。また、日本の南方防衛に限り、米海兵隊の本領発揮である奇襲と言う面で言えば、沖縄とは別の場所にあった方が都合が良いはずです。沖縄の米海兵隊の位置とは、結局のところ、台湾有事についての判断なのでしょう。

位置的な関係上、日本の防衛に特化したものではないと言う見解が米国内始めとしてあるようですが、そう言った見方で論じるなら、俺として否定はしません。しかし、日本防衛に関して言えば、そもそもにして間接的なものだと理解しています。



台湾防衛に関して、色々と情報はあるようですが、読んで見るとだいたい同じようなところに行きつくようですね。

大まかに言うと、台湾は、中国の言うところの第一列島線に位地していて、日本の沖縄南方の防衛戦略とも密接な関係性を持っている。日米からすれば、中国よりも台湾の方が価値感が近く、台湾として覇権主義的な傾向は見られない。比較的日米に対して良好な感情を抱いており、台湾の存在は日米の海洋利益を保証する形になっている。

日本は中国と国境問題など抱えており、小競り合いが頻繁に起こっている。台湾とも、国境問題を抱えているが、比較的良好な対応を採っているので、中国のそれとは問題の度合いが違う。台湾があることで日米は防衛と言う面で軽度で済む、緩衝地帯という形にもなっている。

もし、台湾が中国の勢力圏内に入れば、沖縄は最前線になり、現状よりも多くの防衛力を裂く必要が出て来る。更に価値観が違い、軍拡・覇権主義的傾向が強い中国が第一列島線を越え外洋に出でれば、日米ともの国益が損なわれる可能性が出て来る。従って、台湾を防衛しなければならない。

まぁ、こんなことのようです。

【中国との有事発生でも米国の参戦求めず 台湾総統が発言】なんて報道もなされていましたが、もし、台湾の位置が日米の国益を保証する形になっているとするなら、求めに関係なく台湾関係法のような国内法を根拠に行動するんでしょう。

因みに、先日も髭の佐藤議員が国会で指摘していましたが、自衛隊による日本南方の防衛が手薄だとされるのは日本政府としての怠慢でしょう。

確かに、例えば尖閣諸島の問題もあるんです。同盟国が抱える領土問題程度の小競り合いに対して米国は積極的な行動に出ず、基本は「自分で解決しろ。」って姿勢じゃないですか。これは過去が証明していますよね。

米国としては極力、大国との全面戦争は避けなければならない、小競り合い程度で積極的行動に出ないのは当然でしょう。

例え、侵攻されたとしても、領土紛争ですから、法的根拠が曖昧、政治的に不利、当事国の損益が小さい等と判断すれば、「お前等の問題だ。」と見過ごすこともあるんじゃないですか。

日本として自前の防衛が宮古島のレーダーサイトでお終いではやはり手薄だと思います。





さて、じゃぁ、台湾有事とは一体どう言ったことが想定されるのかってことでしょうか。話を大きくすればするほど、各論は見えなくなる。大きな意味でアジアの安定と捉えれば、それは小さな可能性も米国の存在と言ったもので防げるとなりがちだと思います。

しかし、各論で見なければ、本当のところの抑止力などと言うものは見えてこないはずです。時間と空間は超越できないのですから。

今年3月18日の米国議会公聴会においてマイケル・シファー国防次官補代理は中国と台湾の現状についての証言を行ったようです。その中で、「戦略の基本は早期に攻撃をかけて、米国などの第三者が介入できないうちに台湾を屈服させることだ。」とし、中国側が行うであろう台湾攻略作戦として以下を挙げました。

【(1)海上封鎖】【(2)特別ゲリラ投入を含む限定目標攻撃】【(3)空爆とミサイルによる限定攻撃】【(4)水陸両用上陸作戦】


《即応》として沖縄米海兵隊が行う行動の前提は、隊強襲揚陸艦の支援なく、兵力をオスプレイで搬送し、沖縄、辺野古から台北まで650キロ強、途中、空中給油を行い目的地にリペリング降下するってことですよね。目的地に着くまでの航空優勢が確保されている状態でなければならないんじゃないですか。

台湾にも空軍がある訳ですから、航空優勢が中国側にあったとすると、そもそも、それは開戦後であるはず。それなら、《即応》としてオスプレイのみで海兵隊が行くなんてことにはならないでしょう。

海兵航空部隊のFA18による航空支援を伴なって行くとか、第七艦隊が既に近海に出張ってるでしょうから、海軍のFA18で航空優勢を確保してから行くとか、強襲揚陸艦で行くとかになるんでしょうね。まぁ、この辺は状況によりけりなんじゃないですか。

必要なのは諜報力・情報収集能力。中国側の動きを逸早く察知して、空・海の戦況が優勢な状態にあるとき台北に兵を搬送し降下させ任務に当たらせることができる場合が該当する。更に言えば、兵数から考えて、全面対決に対抗、そして完結するものでもないんでしょう。


沖縄米海兵隊の単体での行動として想定されるのは【(4)水陸両用上陸作戦】【(2)特別ゲリラ投入を含む限定目標攻撃】、この辺でしょうね。

ただ、【(4)水陸両用上陸作戦】は、確かに沖縄米海兵隊が直接的に影響できる場合だと思うが、しかし、あくまでも台湾軍のバックアップと言う形になるように思います。情報収集しているでしょうから、上陸されるのは台湾軍として予め解るはずです。従って、ある程度の時間的余裕はあるんじゃないですか。

より時間的問題が戦況を大きく左右する、でき得る限り早い対応が必要だと言う前提をおくなら、【(2)特別ゲリラ投入を含む限定目標攻撃】が該当するのでしょう。



中国による『特別ゲリラ投入を含む限定目標攻撃』。当然、米台で情報収集をしていると言うことが前提なのだから、中国側は極力秘密裏にことを進める必要が出て来るのでしょうね。予めの工作員潜入と社会への浸透が条件なんじゃないですか。

中国と台湾の関係性から言って、予め工作員を送りこんでおくことはできるだろうし、親中派・親大陸派も存在する訳ですから、社会への浸透も十分にできるように思います。

「自らの思いを達成するためなら、例え自らの生まれ故郷である国を破壊しようとも構わない。」、一部の運動家とはそう言った傾向もありますからね。獅子身中の虫と言いましょうか、内政混乱の道具として一部の暴力的傾向を利用される可能性だってあるはずです。


作戦開始時、中国側から行くと言う前提なら、ある程度の数が一度に行動することになる。衛星などを駆使し情報収集している以上は、当然、察知されるはずなので、中国側からして、破壊工作程度の部隊を正面から行かせるのは『達成が困難』と言う評価になるでしょう。

まず、長期的に、継続的に、予め台湾内に工作員を潜入させ、一般市民に紛れさせておく。更に、軍部・行政機関や政財界など社会に浸透させるよう作用しておく。また、台湾内の親中・親大陸派と呼応させ、中国からの水面下の支援を含めて反独立派勢力を太らせておく。

確かに、中国は政治、外交、経済、文化などの手段で台湾併合・編入を目指すと言うのが基本的な流れでしょう。そうなれば損害は一切なく、更に建前上、誰も手は出せないと言うことになりますからね。そう言った意味でも工作員潜入などは、その一助となるはずなので、行う可能性は十分にあると思います。

しかし、台湾の民情や中台の関係性などは流動的であるはずなので、悪化する可能性も秘めているはずです。民主制ですので政治的な変化も、その内。

政治的関係性の悪化、また、民情として台湾独立気運が高まり、時の政府も、そのような行動を始めた場合。中国としては【早期に攻撃をかけて、米国などの第三者が介入できないうちに台湾を屈服させる】と言った強制的な選択しなければならない場合も出てくるでしょう。

夜間、作戦開始、先だって潜入している工作員が中国側の奇襲部隊・特殊部隊の台湾入りを手引き。台湾内の親中・親大陸派と共に、港・滑走路など軍事施設や兵器の破壊、主要道路・空港機能の破壊、発電・送電施設・ライフラインの破壊、要人暗殺、軍事的命令系統の分断、クーデター、政府機能の破壊、等々を同時進行で行い、台湾の抵抗力の弱体化を図る。

結果が出たら、中国軍の侵攻、翌朝には統一と言う名の占領を完了する。こう言った流れではないでしょうか。


全面戦争を回避しなければならないのは中国も同じ、中国軍が本格的に台湾に侵攻していない限り、米国は、ある程度自由に動けるはずなので、正当な政府として、生き残った台湾政府要人をサポートし、暫定政府樹立を目指すと言うことになると思います。そして安定化を図る。

また、中国側の小規模部隊がゲリラ戦を継続するにしても、全面戦争の可能性がない限り米国はポートを続けられるでしょう。

時間を置けば政府機能の回復もあるはず、また、米国を沈黙させるのは全面戦争の危機。そうであるなら『間髪入れずに侵攻し、強制的な占領を目指す。』と考える方が自然だと思います。

まぁ、工作員が軍部や政財界に浸透しているとして、中国側としても情報を得ることができるのでしょうから、例えば、オスプレイの到着位地とかの情報も解るような気がしますね。もしそうなら、待ち構えFN-16辺りを担いで攻撃すれば降下阻止も可能な気がするなぁ・・・。でも、そんな素人考え、当然、考慮し対策を講じていると思いますけどね・・・。





なぜ、《即応》でなければならないか。米台からすれば、同じ系統の顔、同じ言葉を話す工作員が一般市民に紛れている状態では見つけ出すのは困難。しかし、作戦を開始されればダメージは大きい。当然、作戦決行に即応できる能力が必要になる。台湾軍と共に米海兵隊が、その任を担うと言う構図と見ることができると思います。

米中双方ともに核を保有する軍事大国であり、全面戦争になれば地球規模の極めて大きな損害が出る。また、一時は完全に制空権が取れると言われたほどの軍事力を備えた台湾との全面戦争でも損害は大きいはずなので、それらの回避は中国としても重きをおいて考えているでしょう。だからこそ、先だっての抵抗力の弱体化と第三者介入前の屈服。



米海兵隊の投入によって米国が参戦の意志を明確にしている以上、中国が占領までに時間を掛ければ、掛けるほど、米国側の他の戦力が駆け付ける時間的余裕を与えることになる。

米国側からすれば、国民の目も含め、中国の行為が極めて不当に映るはずですから、民情に押され、武器を持っていれば使いたくなる、数が揃えば引っ込みがつかなくなる、そう言ったこともあるのではないでしょうか。


全面戦争の回避に重きをおくなら、【特別ゲリラ投入を含む限定目標攻撃】の効果が薄い場合。また、結果が出るまで時間が掛かり過ぎた場合。中国が、その後の侵攻を取り止めると言うことも当然としてあるはずです。そして例に漏れず交渉が始まる。

米国として言うなら、台湾を国家と承認している訳ではないと言う特殊な事情がある。また、核保有国同士、全面戦争は絶対と言って良いほど避けなければならない。従って、如何に方法が不当であっても一旦統一されれば手は出せなくなる。つまり、中国による本格的な侵攻は絶対に阻止しなければならない。

台湾を防衛するには、存在感を示しつつ、早期の小規模戦闘時に敵を排除しなければならないと言うことになるでしょう。

兎にも角にも、【特別ゲリラ投入を含む限定目標攻撃】から米台側の利益を守るには、中国側が本格的に侵攻する前に敵部隊を排除し、その後の行動を思い止まらせなければならないと言う前提が成り立つのではないでしょうか。だからこその《少数精鋭部隊の即応が妥当》と言う結論なのだと思います。

中国側の作戦決行時に、沖縄の米海兵隊が逸早く駆け付け、台湾軍の支援、参戦の意志表示、交戦の既成事実作り、交戦の継続、他部隊到着までの時間稼ぎ、治安維持、陣地確保、増派・補給のため理由付け、要人保護、自国民保護、関係国国民保護、敵指令層排除などと言ったことを行う。

総合して言うなら、米海兵隊の能力と全面戦争の可能性の二段構えの抑止効果で、「中国に目的の達成が困難、更に代償が高くつくと予見させるに足る、だからこそ抑止力と言える。」と言うことなんでしょうね。





抑止力なんてものは、長島大臣政務官が安全保障委員会で語ったように【最小単位の戦闘部隊が常に即応の状態において沖縄で訓練をしている、このこと自体が、この地域を乱すような動きをしようと仮にどこかの国がした場合に、それを思いとどまらせるに足る抑止力を持っている】、こう言った類の理解もできるはずです。

また、米国と良好な同盟関係にあること自体が抑止力と言うこともあるでしょう。従って反目できないと言う意見が出てきてもおかしくない。

現状として起きていないことが、まず第一の根拠になるのなら、否定するには「米国に逆らっても、また米海兵隊が存在しなくても、未来永劫起きない。」と言う論拠を見出さなければならないでしょう。これは俺個人として相当に難しいです・・・。そもそもが人間のすること、民情の変化、関係性の悪化は流動的。可能性の大小は主観的な見解ですから、ものごとを否定する根拠にはなりません。





実際に抑止力と言うものが存在するとして、基地移設問題に俺個人として思いを表明してみます。

社会は、その構成員全てが良好に生きるよう機能するべきだとするなら、直接的に負担を被る方々に対し、そうでない側は当然として最大限に心を配る必要があるはずです。

強引にことを進めるなら、社会機能の一つを捨てたも同じと言う解釈もできるはず。また、住民との対立的構図は抑止するべき対象国に誤った印象を与え、安易な行動に走らせる可能性だって出て来るでしょう。

辺野古移設に関して、もし、住民を説得するだけの材料もなく、また、納得してもらう努力を怠り、強引にことを進めるのであれば、俺個人として、抑止力の減退、日本の国益の不利を覚悟し、「日本が如何に不利になろうとも、別の選択を考えるべきだ。」と言う主張に賛成する可能性は十分にあります。


日米同盟は米国にとっても必要なもの。日本がアジア戦略上、重要な位置にあるとするなら、日本と真っ向から遣り合って良いことなんて何もない。米国にとって不利になるだけの話ですよね。

抑止力とは、米国にとっても必要なものであるはず。日本から言って、自国民の良好な生活と言う観点から一番良い場所が絶対駄目だとなるなら、米国は二番目に良い場所を選択せざるを得なくなる。これは必然でしょう。

日本側は「これ以上、住民に負担を強いる訳には行かない。辺野古には絶対に移設させない。国外だ。出て行ってもらうためにあらゆる手段を講じる。」と言い切り、そして徐々に話し合う余地を見せて行けば良いだけの話。後は我慢比べ。結局は米国が日本側に提案せざるを得なくなりますよね。米国の戦略上の話なのだから。

更に言えば、何番目かに良い場所を選択するのだから、抑止力がゼロになると言うことはないはずです。

もし、決裂して、「もう日本は守らない。」と米国が言うなら、「はい、そうですか。」と核武装も含めた自主防衛を主張すれば良いだけの話です。防衛とは、相対的である以上、今よりも更に進んだ備えを九条は否定しない。

また、米国との離反の後、それでも日本国民が、今よりも進んだ備えを否定するなら、それは、そう言った覚悟があると言うことです。領海侵犯を許すような結果が予測されようが思い切ってやれば良いでしょう。

米国と価値観を共有しない国はたくさんある。捨てる神あれば拾う神ありです。孤立しようがなんとかやって行けます。後は国民の覚悟しだいです。

俺個人の思いですので、それを押し付けようとするものではありません。



【現行案なら条件付き容認=普天間で名護市辺野古区】なんてニュースが上がってましたね。もし、そうなら、【同飛行場が移設された場合の騒音問題などを挙げ、「(政府は)生活の安定などの補償をしなければならない」】、これは十分にして当たり前だと思います。日本全体、国民全体の問題ですから。それに地位協定の問題だってあるのでしょう。各論的問題も解決して行かなければならないと思います。

ただ、【〔毎日新聞〕《引用》政府が検討していたくい打ち桟橋方式やシュワブ陸上部への移設案については改めて反対する考えを示した。】ってことですので、道則は厳しいものがあるでしょうね。





因みに俺は、MOBかメガフロート・シーベース案を推します。費用としては杭打ち桟橋と大差ない。生活場所からできるだけ遠くの海上に建設するなら、負担は極力抑えられる。

先日、自民党の石破氏が再検討の必要性を主張していましたが、この辺どうでしょう。今まで何度か検討されて来ましたが、利権がらみ建設媒体から反対なんかもあったようです。それなら跳ね除ければ良いだけの話で、俺として言うなら実現の可能性は十分にあると思います。

 

最後に、俺自身の解釈の不備は往々にしてあると思いますので、当然、間違っている可能性は十分にあるはずです。ネット上の情報を見ての、あくまでも思弁的に語った個人的な見解。ハッキリ言って、そうなるよう想定した部分もあります。それを前提にして話しますが、そもそもが未来の話である以上、起きる可能性も起きない可能性も存在するはず。抑止力など目に見えない力なのだから、別の見解が存在してもおかしくはない。想定しだいでは、否定的な可能性だって見出せるはずです。

後は其々が、其々の立場で考え、何を信じるかの問題だと思います。



 

 

参考にさせていただきました。

辺野古修正案、自民も検討を=石破氏
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201005/2010050600273

【現行案なら条件付き容認=普天間で名護市辺野古区】
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/politics/jiji-100521X350.html

【普天間移設:「条件付き容認」辺野古区の行政委員会が決議】
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20100522k0000m010093000c.html

中国の台湾攻略作戦 米国防次官補代理が証言 - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/world/china/100319/chn1003191834003-n1.htm

CNN.co.jp:中国との有事発生でも米国の参戦求めず 
http://www.cnn.co.jp/world/AIC201005010004.html

Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/

J-rcom
http://www.kamiura.com/

軍事板常見問題&良レス回収機構
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/index02.html

軍事板FAQwiki
http://www6.atwiki.jp/army2ch/

国会議事録検索システム
http://kokkai.ndl.go.jp/

台湾駐日文化経済代表処
http://www.taiwanembassy.org/mp.asp?mp=202

第7回代替施設協議会協議概要
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/hutenma/dai7/7gaiyou.html

外務省
http://www.mofa.go.jp/mofaj/

防衛省
http://www.mod.go.jp/
 


最近、良かったと思うこと

2010-05-21 10:55:47 | 日記

ROM専なんだけど、とある政治関連のブログの更新が再開されたようです。少しでも影響を与えたくないから、どことは言いませんけどね。

「コメントすりゃ良いだろ。」ってことなのかもしれないけど、人様のブログにコメントを書くときは気を使う。だって、その記事を上手く解釈できているか解らないからね。

不用意なコメントでブログ主を傷付けてしまうことだってあるんだ。俺は、それで幾度か失敗した。肯定であれ否定であれ・・・。

だから、今後も、人様のブログにはコメントを極力書かないようにするよ。でも、どうしても伝えなければならないと思う時は書くかもなぁ・・・。で、後で後悔するんだろう。いつものように・・・。

まぁ、通常、思いの丈は自分のブログに書いた方が良い。やっぱり、それが性にあっている。それでも、他のブログの記事を見て思うところはあるんだよね・・・。そんな時は届かない手紙をブログに書くかもしれない・・・。



当該のブログ主は、俺とは考え方は違うが、それでも、そうね。政治関連のブログであるのに記事の感じがフンワリで良い。その感じは伝わる、貴方が思うよりも多くの人にね。

フンワリ感。思いの根底は、そう例えば、他人の身の上や心情に心を配るとか、温かい人間性を持つとか、そう言うことなんだろうなって思う。それを多くで共有する一つのツールとして政治的な要素を選択しているのかなって思うのさ。

まぁ、俺の解釈は、そもそも間違っているのかもしれないけどね。ボンクラですから。



葛藤もあるんでしょう。そりゃ、思いが伝わらなければ腹も立つしね。色々あると思うけど、それでも貴方らしく世界を見て、貴方らしく、自分の思いを書いてください。それが一番良いんだと思います。

届かない手紙でした。


駄目だ

2010-05-20 02:50:15 | 日記

沖縄海兵隊の抑止力。駄目だ、もっと真剣に向き合わないと・・・。前の記事はいい加減過ぎる、削除しよう。そして新たに考察しよう。押し付けるべきとは思わないが、確りとした自らの答えは持つべきだ。それには考える材料をもっと集めないといけない。

抑止力など、ある事柄をもとにして他の事柄の見当をつけているに過ぎない。であるから、見るもの其々の持つ思いに左右され、都合の良いように場合を設定され、有るものとも無いものとも解釈される。

目に見えない力は人の営みに、そう確実に働いているが、しかし、其れは目に見えないゆえに幾多の解釈が成り立つ。




人は完全に公平な目など持つことはできないだろう。他の手を介したものには幾ばくかでもバイアスの垢がついているとしたら、他の見解の何を信じれば良いのだろうと言う話にもなる。

「人は自分の見たいものを見、自分の聞きたいものを聞く」などと言われることもあるように、そもそも自分の目すらも公平とは言えないのかもしれない。

「こうあったら良い。」「こうあって欲しい。」と願い、同種の意見を持つ権威を探す。そして見つけ、「やっぱりそうだ。」と結論付ける。

しかし、個人の知識は人類の持つ知識体系のほんの一部。また隠された事実さえある。如何な権威の言葉でも普遍的な答えとは言えないだろう。

更に言えば、抱く理想が行動の動機となるなら、誰であれ先に結論があり、その結論に辿りつくための材料だけを探し、また結論を否定する材料を排除し、都合の良いように解釈しているに過ぎないと言うこともあるのかもしれない。

俺の、この濁った目で見て権威に縋り辿りついた答えは、結局、自ら願った答えを見つけただけの話と言うこともあるのだろう。もし、そうなら、必ずしも正解を見出したとは言えない。

そもそも権利を持つ解釈が存在するだけの話で、実際は正解などないのかもしれないが、それでも、より多くを見て考えるべきだった。それを怠ったような気がする。


共存と仲裁

2010-05-09 01:10:45 | 日記

どうも。なんと言うか、資料を集める暇がなくて、独り言の連続なんだけどさ。また、議論の話だ。


そうね。思想的とか宗教的とか、対立のようなものって、要するに相手の考え方は一切受け入れられないなんて言うところから始まるんじゃない。

少なくとも、対話、議論のようなものが行われる環境なら、必ずしも、互いに相いれないものが向かい合っているとは言えないでしょう。統合の可能性があるんだからね。

つまるところが平和的共存だとするなら、対話やら議論やらは、第一歩とか、そう言う位置付けになるんだろう。


結局さ。行動ばかりでなく、暴力的な言葉も含めてね。過激派がうるさいんだよ。それが其々の中心のような顔をしてワーワー騒ぐんだわ。そして組する主義主張の評判を落とすんだよね。

実際は、穏健派もいる訳なんだけど、自己主張しないから穏健派でいられるんだよなぁ。だから、中々表には出てこないんだわ。

穏健派同士で議論しても、過激派に色んな意味で、ぶっ壊されるのが落ちだったりしてね。所謂さ、暴力的な応酬を招くんだわ。

当然、社会の構造で暴力を用いなければ、言い分が一切通らない、一部が大きな不利益を被るなんて場合もあるのだから、程度の問題ではあるのだろうけど、それでもだ、平和な社会においてだよ、言葉も含めた暴力を用いて相手を捻じ伏せると言うのは、ちょっと過ぎた考え方なんじゃないなんて言われても仕方ない訳さ。

 




人其々考え方が違うのは当たり前なんです。だから多様な考えとの平和的共存が必要な訳ね。そうだな、共存するには優先順位として何を上位に持ってくるかが重要になってくるんじゃない。

より普遍に近い価値観になり得ると言うか、より共通認識化できそうな価値観と言うか、共感が可能な思いと言うか、そう例えば暴力は用いないとか、そう言ったことを互いに優先順位の上位に持って来るところから始めるこったね。そこから徐々に詰めて行くのが妥当な線でしょう。

まぁ、当事者が一番熱いのだから、当事者間での話し合いは怒りのような感情を伴って拗れるのもしばしばなんだけどさ。そうね。仲立ちと言うか、中立的な立場の人が間に入ってくれると良いのかなぁ。仲裁。

仲裁なんてものは、利害調整やら何やら、双方に対して交渉のようなものを必要とするだろうからね。多分。単にワーワー自分の言い分をぶつけるよりも高い能力が必要だろうなぁ。


説得して納得

2010-05-06 04:10:04 | 日記

詭弁であれ、なんであれだよ。
人を先導するには、相手を納得させるだけの力。説得力が必要な訳でしょう。

だからね。議論における論破、言い負かすなんてものは、大抵は自己満足の粋を出ないのさ。一見論破したかに見える相手は、別の場所で同じような発言をしていることが多いはずだよ。

言い負かされ次の言葉が出ないとしても、相手の言い分に納得した訳ではない場合が多い。これは日常から見出せる答えだよね。



なんて言うんだろうな、議論において、声が大きいと言うか、なんと言うか、相手の言葉半ばで声を重ね、それがあたかも至上の価値があるかのように振舞う人がいるけど、それを見ると、見苦しいと感じるんだよね。それは幾ら俺の考えに近い言い分だったとしてもだよ。

なんだろう、相手の言葉半ばで声を重ねるってことは、要するに相手の発言を妨害しているってことでしょ。重要なのは、そんなことではないのさ。更に言えば、そんなことに、大した意味はないと俺は思う。重要なのは如何にして相手を納得させるかだよね。

俺の個人的価値基準で言えば、相手を納得させると言ったことに心を開き行動する人に大きな魅力を感じるね。それは幾ら俺の考えに遠い言い分だったしてもだよ。

人と人の遣り取りである以上。現実論というか、論理が全てではないんだなぁ。要するに、心情的部分に訴えても相手の心は動くのさ。だから必ずしも、所謂、観念論が不利な訳ではないんだよね。観念論者が熱くなっている様を、しばしば見かけるんだけど、実際は熱くなる必要なんてないのさ。遣り方の問題。

まぁ、確かに、なんて言うか、心と心の遣り取りが通じないと言うか、主観的ロジックを、あたかも普遍的価値の如く振りかざし、頑迷に考えを変えない、言葉が通じない、そんな人もいるにはいるけど、こちらから問い掛ける言葉に、何らかの真があるとして、それに対し、聞く耳を持たない人は何れ孤立化して行くものでしょ。





多くの人がさ。その場だけで相手を言い負かそうとするのではなく、考えや行為を理解してもらい、尤もな言い分だと認めてもらうことに力を裂くことができれば、より良い論じ合いができるんだと思うけどね・・・。


更に言うなら、隔離された空間での遣り取りでなく、例えばテレビ討論とか、まぁ、ネット掲示板での議論もそうかな、そう言った場合、多くが見ていて、その人達にも言葉を発しているに等しいことを忘れちゃいけないんだよね・・・。 より冷静に、より詳細に、時に相手の立場にも立って、自らの言い分を説明する。そう言ったことが必要だと思うのさ。