謝罪と賠償。今でも言われる。それってつまり、自国に組した以上は支配の内容が問われるのだろうし、更に、後世における、その伝わり方の問題もあるでしょう。それ如何によっては、例え韓国側の解放、また独立と言った形になったとしても日本との関係性は違っていたんじゃないですかね。
結果的に戦争に負けた。更に、その過程で窮し、国家は貧した。例え国民総じて同じ貧であったとしても、その中で元々他国であったと言うことのウェイトは大きいんじゃないですか。
その逆であったならどうでしょう。戦争に勝った。常に物資を安定して供給した。国家的な豊かさを隅々まで行き渡させた。
当時として朝鮮半島の国民が心情的にも物質的にも良好さを得、そして、それが後世に歪みなく伝わるのなら、例え武力を背景にした半ば違法な方法による併合であったとしても批判・非難は大袈裟と判断されたのかもしれません。違法性云々は、その程度の問題だと俺は思います。
ルーズベルトの策略にまんまと乗っかったなんて言う解釈も存在する訳ですが、最初から耐え難きを耐え忍び難きを忍び、今のように尻尾を振って媚を売りアメリカを敵にしないよう立ち回っていたらどうなっていたでしょう。朝鮮半島に対する植民地支配や謝罪と賠償の解釈についても状況は全く違っていたんじゃないですかね。
大東亜共栄圏なんて大風呂敷を広げたは良いが、結果的にボロボロになっって朝鮮半島の方々も含め自国民に多くの犠牲を出し、更には戦争に負けた。
先見の明なく外交上の失敗に陥り国民から良好さを奪わざるを得ない状況になる。結果的に、そうなってしまったことの責任。要は外交上の失敗もある意味の負けの延長上にあると言えるはずです。
結論の補完でしょうか。法的解釈に窮し条約自体から離れ、人道云々が口を突いて出て来る人もいますが、日韓併合の問題って、つまり勝てば官軍、負ければ賊軍ってことでしょう。単純化して言うなら良くすれば良く評価され、悪くすれば悪く評価させれると言うことなんじゃないですか。
過程であるなら方向性の変更も可能だが、既に、ある結果が出てしまっている。今後どうするか、今だ自国であるなら自国民として心情に任せた他の方法もあるでしょうが、別の国になってしまった以上、外交上の問題となる。
外交上の問題になった以上は国益を損ねる方策は採れない。基本は一方的な譲歩のような悪しき前例を作る訳には行かないんですよね。
結局、心情を排してでき得る限り冷静に現在の物質的な国益に照らし合わせ言動するしかないと思うんですよ。それが結果的に謝罪や賠償に見えるものであっても国益に適うなら「後ろを向いて舌を出す。」って話なんじゃないですか。
当然、保守系と言いましょうか、そう言う人には耐え難き・忍び難きなんでしょうけど、国益、つまり多くの国民が良好な何がしを得るってことは耐え難きを耐え、忍び難きを忍んでも求めなければならないものでしょう。それだけの重みがあると思いませんか。