tontonjyoのブログ

yahooから引っ越して来ました。思ったことを適当に書いています

脱原発とか・・・、

2011-03-31 09:48:40 | 日記

それが如何に正しくとも第三者と言うか、見る側は「根本として否定に立脚するものは得てして大げさに危機を煽る傾向がある。」と感じているのかもしれません。

ある事柄について、より肯定的なものの方が、肯定と言う結論に向けて、より強く探求しているはずなので、そのものが放つ否定的言説の方が、より冷静な目による見解に近いと感じるのは極々自然な気がします。

反原子力派が強く主張しなければならないのは危機を煽ることではないでしょうね。危機を煽り、今の生活水準を捨てようでは理解を得られるとは思えない。

重要なのは今と同程度の生活を維持できる代替のエネルギーと費用対効果だと思います。

危険の前提なら、例えば火力発電のような、今よりも環境が悪くなるみたいなものは、ある程度容認可能かもしれないけど、生活水準を著しく落とすのは抵抗感があるでしょうね。経済活動にも影響が出る。

国として考えるなら、核なんて、研究的な意味合いで、より安全な場所に一つくらいあれば良いんだからさ。その他は代替として水力、風力、波力、地熱、バイオ燃料・・・等々、可能性なんてたくさんあるけど、後は費用対効果だよね。対効果を危険の盛り合わせでどこまで持って行けるかが、脱原発派の命題でしょう。

反原発だけを唱えるのでは駄目で、今の生活を維持しつつ脱原発が可能な道を示すことが重要なんだと思うよ。

これって当たり前じゃん。より安全で、よりクリーンなエネルギーの方が、国民にとって、より安心なんだから、ここさえ見出せれば一気に脱原発は進むよ。

可能性なんていっぱいある。後は金と研究でしょう。例えば雪のふらない地方に家庭用太陽光発電に対して1割負担とかさ。補助金出せば一気に進むよね。多分、費用は数兆円程度でしょう。何十兆とか何百町とかなりませんよ。

また、社民党なんかは海上風力発電の可能性について言及しているみたい。日本海側は波も強くて波力の可能性に言及されているしさ。

火山国の日本の場合、地熱発電の可能性はかなり大きいと言われているし、水が豊富な日本ですよ。水力だって、休止施設の更新とか。脱ダムとか止めて徹底的に取り組めば、かなり可能性が大きいじゃん。

脱原発良いけど、ガナっているだけでは駄目さ。もうちょっと先に進もうよ。


みなさん。さようならお元気で


当分の休止の前に、親愛なる者達へ

2011-03-27 15:07:48 | 日記

一身上の都合でネットの世界から離れます。いつか戻ってきたいと思っているけど、どうなるかは解らない。それでもネットで知り合った、親愛なるものたちに何かを伝えたい。争いを避けたい俺が、常に思い、常に後悔しながら来た、そんな思いを書きたい。


世界を変えようとする人達へ。

根拠とは主張の正当性を支える事実。つまり議論は、より既存に立脚した者が強い。世界を変えようとする人達は既存を打ち崩そうとする人達。 それは未知なのだから、主張の正当性を支える事実は、より間接的なものになる。

世界を変えようとすれば得てして既存を打ち崩さなければならないです。それを伴わないリアリストを自称する人達が議論に強いのは当たり前なんです。

リアリストを気取っている連中は大抵、既存を中心に、そこから世界思い通りに動かす方法を考える。つまり、当事者性が確保され議論に強い。

だからリアリストが議論に勝つなんて言うのは極々当たり前のことで、そんな程度のことで「論破、論破、わっしょい!わっしょい!!」と浮かれる様は極めて滑稽なんです。そんな連中の考えることは既存からの若干変化は容認程度。打ち崩すことは絶対に容認しない。つまり世界は変わらない。

世界を変えるための議論では既存を打ち崩すことが前提になるんです。

議論は土俵を同じくしなければ、成り立たない。『世界を変える』と『既存の小変更から国益を得る』なんて人が互いに論じ合っても、噛み合うはずがないんです。


世界を変えるのは臆病なリアリストではない。これは断言します。








これからの日本の政治 超簡単な話しです

2011-03-24 16:05:23 | 日記



とにかく、政局を前提にもめるのは駄目。

今、国民が求めているのは、1日でも早く、もとの暮らしに戻ることでしょう。

日本が今後どうなるか、それは刻一刻と変化していることじゃないですか。

大連立でも挙国一致でも良いいんです。政局を前提にもめるのだけは止めてください。

個人的な思いです。兎に角、道を示して欲しい。1ヶ月後、半年後、1年後、3年後、5年後、十年後、未来の日本をしてください。何が必要なのか。何をするのか。



人は

2011-03-09 00:50:21 | 日記

 

主体は生きるために生きなければならない

客体は、その生に意味を見つける

時には喜びを吸い込み

時には怒りをねじ込まれ

時には哀しみに塗り固められ

時には楽しみが降り注ぐ


意味のない生なんてない

生きているからこそ意味がある