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2023/04/27 有田芳生氏の発言はシングル・イシュー・ポリティックスです。しかし、問題がありました。

2023-04-27 00:50:45 | 日記


「下関を統一教会の聖地にしてはならない!」のような演説手法を「シングル・イシュー・ポリティックス」と言います。これは小泉純一郎氏が採った『郵政選挙』と同じ手法です。

要は"単一争点設定"。その目的は単一化・単純化で賛or否の二極化し、更に印象操作により「私に投票しない有権者は"聖地"に仕立て上げる旧統一教会側の主張を支持してる事になりますよ。それで良いのですか?」と忌諱感を煽って選択肢を無くす事。

同種の手法は選挙活動でよく使われる。しかし、問題は確かにあるんです。有田芳生氏のツイートに照らすと解ります。

要約すると、旧統一教会が公式に教義として聖地と定義してる訳ではなく、"一部の信者が独自に聖地と言っても過言では無い旨を話してる"だけと言う事。唯それだけなのに、旧統一教会が公式に聖地と定義してるような『過剰一般化』が加わった事で問題を大きくしたんです。




「①この下関って統一教会の聖地なんです。聖なる土地なんです。」と言うのは『強調点』の作り方で聞く方を錯誤させる手法を採ったのでしょう。だから不義を訴える人が続出した。喩え読み違えだとしても。


誰でも想像がつく様な結末です。錯誤を利用しようと思わないなら当然"配慮"する筈。演説の端々で『一部の信者が独自の見解として"聖地と同等"と言ってるが、その一部の信者からしたら→①この下関って統一教会の聖地なんです。聖なる土地なんです。』と枕詞を着ける筈です。

 


恐らく、錯誤は十二分に懸念されるが『聞かれてないから言わない』と言う手法を採ったんでしょう。

特定の例を恰も全てに当て嵌るように表現する事を「過剰一般化」と言います。それをやろうとした可能性が高いと思う。選挙演説の手法としてよく用いられます。だから錯誤する人が続出したんです。しかし、有田芳生氏は「下関は聖地だ!」とは言ってない。しかし『一部の信者が独自に個人的見解として"聖地同等"と言ってる』とも言ってない・・・。


纏めると、一部の信者が私的に言ってる事を"過剰一般化"し、旧統一教会が教義として公式に言ってるように喧伝して、「阻む必要が有る。」と言う目的付けし、「阻む為には私に投票する必要がある。」と結論に誘導した。ただし、その過程で『必要な事だけど言わない。何故なら聞かれれて無いから。』と言う手法を摂り、"田村淳"氏や、"国生さゆり"氏が陥った『錯誤』を利用した節がある。しかし、それでも明示はしてない。その結果は「錯誤した方が悪い。」となるんです。





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