「統一教会が一方的に下関のことを聖地と言っている!それをやめさせよう!」って話なら理解できたんだけど…(やめされられるかは置いといて)「下関は統一教会の聖地です。聖なる土地なんです。」って言われると、はぁ?ってなったし、誤解した人が多かったと思う。実際に僕の地元の友達などは、はぁぁ… pic.twitter.com/uNH5NjSAe6
— 田村淳 (@atsushiTSK) April 24, 2023
「下関を統一教会の聖地にしてはならない!」のような演説手法を「シングル・イシュー・ポリティックス」と言います。これは小泉純一郎氏が採った『郵政選挙』と同じ手法です。
要は"単一争点設定"。その目的は単一化・単純化で賛or否の二極化し、更に印象操作により「私に投票しない有権者は"聖地"に仕立て上げる旧統一教会側の主張を支持してる事になりますよ。それで良いのですか?」と忌諱感を煽って選択肢を無くす事。
同種の手法は選挙活動でよく使われる。しかし、問題は確かにあるんです。有田芳生氏のツイートに照らすと解ります。
要約すると、旧統一教会が公式に教義として聖地と定義してる訳ではなく、"一部の信者が独自に聖地と言っても過言では無い旨を話してる"だけと言う事。唯それだけなのに、旧統一教会が公式に聖地と定義してるような『過剰一般化』が加わった事で問題を大きくしたんです。
統一教会の古参信者(複数)も下関は教団の「聖地」だと語っています。「聖地」は高田馬場などいっぱいあります。でも下関はのちの教祖が日本に初めて足跡を残した土地です。統一教会の基礎知識。 https://t.co/IJZKaBwgz7
— 有田芳生 (@aritayoshifu) April 19, 2023
怒る相手は「下関は統一協会の聖地(と同等)」と言ってきた統一協会(統一教会)ですよ。有田氏はそれを紹介しただけ。 https://t.co/jAr9guZxEQ pic.twitter.com/haOG4FN0k5
— mold (@lautream) April 19, 2023
「①この下関って統一教会の聖地なんです。聖なる土地なんです。」と言うのは『強調点』の作り方で聞く方を錯誤させる手法を採ったのでしょう。だから不義を訴える人が続出した。喩え読み違えだとしても。
誰でも想像がつく様な結末です。錯誤を利用しようと思わないなら当然"配慮"する筈。演説の端々で『一部の信者が独自の見解として"聖地と同等"と言ってるが、その一部の信者からしたら→①この下関って統一教会の聖地なんです。聖なる土地なんです。』と枕詞を着ける筈です。
恐らく、錯誤は十二分に懸念されるが『聞かれてないから言わない』と言う手法を採ったんでしょう。
特定の例を恰も全てに当て嵌るように表現する事を「過剰一般化」と言います。それをやろうとした可能性が高いと思う。選挙演説の手法としてよく用いられます。だから錯誤する人が続出したんです。しかし、有田芳生氏は「下関は聖地だ!」とは言ってない。しかし『一部の信者が独自に個人的見解として"聖地同等"と言ってる』とも言ってない・・・。
纏めると、一部の信者が私的に言ってる事を"過剰一般化"し、旧統一教会が教義として公式に言ってるように喧伝して、「阻む必要が有る。」と言う目的付けし、「阻む為には私に投票する必要がある。」と結論に誘導した。ただし、その過程で『必要な事だけど言わない。何故なら聞かれれて無いから。』と言う手法を摂り、"田村淳"氏や、"国生さゆり"氏が陥った『錯誤』を利用した節がある。しかし、それでも明示はしてない。その結果は「錯誤した方が悪い。」となるんです。
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