ブロガー「はあちゅう」セクハラ告発「葛藤あった」〚日刊スポーツ〛
【勇気の価値】素晴らしい決断です。
被害者叩きは「幼稚園落ちた」の時や「貧困女子高生」の時も顕在化してましたね。
一般には【個別化的価値観】同性も含めた「如何なる場合でも他者に危害を加えるべきでは無い。」とする意識や〘個人的な羞恥心に依る阻害性〙と、〚結束的価値観〛「加害者への強いシンパシーや、帰属意識を重視して、自らの価値基準に合致する特定の権威に対する忠誠心や服従心を重視する。」意識と言われますね。
更には単純な【敵愾心】や〚男尊女卑へのシンパシー〛、〘ミソジニズム(女性や女らしさに対する嫌悪や蔑視)〙の場合も有るようです。
「幼稚園落ちた。」の時も芸能人も含めた【個別化的価値観】は顕在化してたが、これは[死刑廃止論]のような〔純粋(天然)の[思い込み善人行]〕でしょう。
「死ね!」のような場合によっては、普遍性が強く、より多くが同意し易い概念だが、しかし、独善意識が前提なだけに、話の仕様では納得させられる。つまり、それ程問題視する必要も無いだろう。
しかし、懸念すべきは【結束的価値観】や〘ミソジニズム(女性や女らしさに対する嫌悪や蔑視)〙の方だろうな。
この場合[〘セクハラを正当化〙する人や、または〚加害者への盲目的で強いシンパシー〛を抱く人が居て、その一団が感じる〚セクハラを直接擁護するのは社会通念上馴染まないが、対象を凹ませる為に攻撃する必要はある。従って敢えて論点をヅラし、正当化事由を構築出来る点を見付けよう。〛と言う意識が行為させてるのでしょう。
〚セクハラ正当化思考への強い帰属意識〛または〘加害者への盲目的で強いシンパシー〙は、その承認意識が上昇すればするほど【個別的価値観(普遍化し易い)】を援用して、例えば「痴漢の被害者の軽装を批判しよう。」のような意識が芽生え始める。その結果、謂わば『難癖を着けて被害者を批難すべき!→逆に事態を誘発した責任を問うべき!』と言う意識が上昇し、そして確証バイアスが起きる。
更に結果的に反発されるのだから、その事態の推移に依り〚結束的価値観〛や〘ミソジニズム〙に置ける意識の強化が起きて、事態とは直接関係がない[売名レッテル]や[容姿や人格の批判]まで始めてしまう。ここまで来ると末期(虫の息)なんだろうけどね。
今更だけど、結論として言うなら、ある人物の【集団的所属意識】や、直接的な参加は無くとも〘思考的な同一性意識〙を前提にした《その権威への忠誠心・服従心が顕著な人》や、〔単純な敵愾心がある人、ミソジニスト〕は『何か落ち度を見付け、被害者の責任を問い、また、難癖を付けて批難する可能性が非常に高い。』と言う事です。つまり〚オートマチック・モグラ叩き〛で切りが無いでしょう。
だから被害者は《そんな輩》など気にせずに【勇気を持って被害を公に主張すべきだし、はちゅうさんの決断はその助けになるでしょう】。
そして、その〚勇気が何れ大きなムーブメント(社会的な運動)に成り政治を動かします〛。