政府、社会の問題、提言など

社会、経済、政治などの問題点について投稿して行きます。 又、テレビ報道しない重要な出来事や、注目すべき出来事も対象です。

本当は被爆者なのに「国の認定を受けられない人」へ~強力な証拠になると思う。

2010年08月10日 17時59分32秒 | 食/医療
News 23 X より

本当は被爆者なのに「国の認定を受けられない人」はこのような証拠(年代鑑定も)があれば、「認定を受けられる」のではなかろうか。

画像提供は画像が切れてしまったが、長崎大学だったと思う、、、。

正に体内被曝の映像である。

この直線の交わる所に放射性物質があるのであろう、、、。

細胞の核の中の遺伝子をレーザー銃で撃っているイメージだ!。

遺伝子が正常に修復されず、異常結合の上「癌化」するのもうなずける、、、。


中東のイラクなどでは大量の劣化ウラン弾が使用され、現地の人々の健康に悪影響を及ぼしています、、、。

体内被曝をおこし、奇形や癌、白血病などが多発しています。

上記の写真のような状態、確認出来るのではなかろうか?!。



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*重粒子線治療など保険適用外になっているので「保険適用になるように法改正」が必要だ。

多くの人が従来よりも肉体的負担が少なく手術が出来る。

保険会社のみが儲かる社会は問題だ。



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長崎・原爆の日~当日の状況(1)。

2010年08月10日 07時01分07秒 | 社会

長崎原爆の日 平和を願い祈り

8月9日 6時16分

9日は長崎に原爆が投下されてから65年となる「原爆の日」です。長崎市の平和公園などには夜明け前から被爆者や遺族が訪れて、犠牲者を追悼するとともに、平和を願って祈りをささげています。

平和公園を訪れた長崎市の74歳の男性は「近所の人が亡くなったことを思い出しながら、平和でありますようにと祈りました。

世界の国々には核兵器の脅威を再認識してもらい、核のない世界にしてほしい」と話していました。

また、3歳の時に被爆したという長崎市の男性は、爆心地公園を訪れ、「核兵器の廃絶はなかなか難しいかもしれませんが、戦争と核がセットでなくなればいいと思います」と話していました。

長崎市は9日、爆心地近くの平和公園で被爆者や遺族それに菅総理大臣などを招いて、平和祈念式典を開き、原爆が投下された午前11時2分に合わせて黙とうをささげ、犠牲者を追悼します。

原爆投下から65年となることしの式典には、これまでで最も多い32か国の大使などが参列する予定で、核保有国のうちイギリスとフランスの代表は、初めての出席となります。

この中で、長崎市の田上富久市長は、平和宣言を読み上げ、核保有国の対応に危機感を表明するとともに、唯一の被爆国の日本についても核の持ち込みをめぐる日米の密約の存在など政府の対応に疑問を投げかけ、平和への取り組みを求めることにしています。

http://www.nhk.or.jp/news/html/20100809/t10013243291000.html




【長崎原爆忌】市長「被爆国、リーダーシップを」 平和宣言の全文 (1/2ページ)

2010.8.9 11:52

 被爆者の方々の歌声で、今年の平和祈念式典は始まりました。

 「あの日を二度と繰り返してはならない」という強い願いがこもった歌声でした。

 1945年8月9日午前11時2分、米国の爆撃機が投下した一発の原子爆弾で、長崎の街は、一瞬のうちに壊滅しました。すさまじい熱線と爆風と放射線、そして、燃え続ける炎…。7万4千人の尊い命が奪われ、かろうじて死を免れた人々の心と体にも、深い傷が刻み込まれました。

 あの日から65年、「核兵器のない世界」への道を一瞬もあきらめることなく歩み続け、精いっぱい歌う被爆者の姿に、わたしは人間の希望を感じます。

 核保有国の指導者の皆さん、「核兵器のない世界」への努力を踏みにじらないでください。

 ことし5月、核拡散防止条約(NPT)再検討会議では、当初、期限を定めた核軍縮への具体的な道筋が議長から提案されました。この提案を核兵器を持たない国々は広く支持しました。世界中からニューヨークに集まった非政府組織(NGO)や、わたしたち被爆地の市民の期待も高まったのです。

 その議長案を米国、ロシア、英国、フランス、中国の核保有国の政府代表は退けてしまいました。核保有国が核軍縮に誠実に取り組まなければ、それに反発して、新たな核保有国が現れて、世界は逆に核拡散の危機に直面することになります。NPT体制は核兵器保有国を増やさないための最低限のルールとしてしっかりと守っていく必要があります。

 核兵器廃絶へ向けて前進させるために、わたしたちは、さらに新しい条約が必要と考えます。潘基文国連事務総長はすでに国連加盟国に「核兵器禁止条約」の検討を始めるように呼び掛けており、NPT再検討会議でも多くの国がその可能性に言及しました。すべての国に、核兵器の製造、保有、使用などの一切を平等に禁止する「核兵器禁止条約」をわたしたち被爆地も強く支持します。

 長崎と広島はこれまで手を携えて、原子爆弾の惨状を世界に伝え、核兵器廃絶を求めてきました。被爆国である日本政府も、非核三原則を国是とすることで非核の立場を明確に示してきたはずです。しかし、被爆から65年が過ぎた今年、政府は「核密約」の存在を明らかにしました。非核三原則を形骸化してきた過去の政府の対応に、わたしたちは強い不信を抱いています。さらに最近、NPT未加盟の核保有国であるインドとの原子力協定の交渉を政府は進めています。これは、被爆国自らNPT体制を空洞化させるものであり、到底、容認できません。

http://sankei.jp.msn.com/politics/local/100809/lcl1008091153002-n1.htm



【長崎原爆忌】市長「被爆国、リーダーシップを」 平和宣言の全文 (2/2ページ)

2010.8.9 11:52

 日本政府は、何よりもまず、国民の信頼を回復するために、非核三原則の法制化に着手すべきです。また、核の傘に頼らない安全保障の実現のために、日本と韓国、北朝鮮の非核化を目指すべきです。「北東アジア非核兵器地帯」構想を提案し、被爆国として、国際社会で独自のリーダーシップを発揮してください。

 NPT再検討会議において、日本政府はロシアなど41カ国と共に「核不拡散・軍縮教育に関する共同声明」を発表しました。わたしたちはそれに賛同すると同時に、日本政府が世界の若い世代に向けて核不拡散・軍縮教育を広げていくことを期待します。

長崎には原子爆弾の記憶とつめ跡が今なお残っています。心と体の痛みをこらえつつ、自らの体験を未来のために語ることを使命と考える被爆者がいます。被爆体験はないけれども、被爆者たちの思いを受け継ぎ、平和のために行動する市民や若者たちもいます。長崎は核不拡散・軍縮教育に被爆地として貢献していきます。

 世界の皆さん、不信と脅威に満ちた「核兵器のある世界」か、信頼と協力にもとづく「核兵器のない世界」か、それを選ぶのはわたしたちです。わたしたちには、子供たちのために、核兵器に脅かされることのない未来をつくりだしていく責任があります。一人一人は弱い小さな存在であっても、手を取り合うことにより、政府を動かし、新しい歴史をつくる力になれます。わたしたちの意志を明確に政府に伝えていきましょう。

 世界には核兵器廃絶に向けた平和の取り組みを続けている多くの人々がいます。長崎市はこうした人々と連携し、被爆地と心を一つにした地球規模の平和市民ネットワークを張り巡らせていきます。

 被爆者の平均年齢は76歳を超え、この式典に参列できる被爆者の方々も、少なくなりました。国内外の高齢化する被爆者救済の立場から、さらなる援護を急ぐよう日本政府に求めます。

 原子爆弾で亡くなられた方々に、心から哀悼の意をささげ、世界から核兵器がなくなる日まで、広島市と共に最大限の努力を続けていくことを宣言します。

      2010年(平成22年)8月9日

      長崎市長 田上富久

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http://sankei.jp.msn.com/politics/local/100809/lcl1008091153002-n2.htm



同義記事

長崎平和宣言の全文
(2010年8月9日14時02分  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100809-OYT1T00300.htm



首相あいさつ全文=長崎原爆忌

 9日午前に長崎市で行われた原爆犠牲者慰霊平和祈念式典での菅直人首相のあいさつ全文は次の通り。


 長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に当たり、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊(みたま)に対し、謹んで哀悼の誠をささげます。


 そして今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心よりお見舞いを申し上げます。


 核兵器の惨禍を、人類は二度と繰り返してはなりません。唯一の戦争被爆国であるわが国は、「核兵器のない世界」の実現に向けて先頭に立って行動する道義的責任を有していると確信します。

私は、さまざまな機会をとらえ、核兵器保有国をはじめとする各国首脳に、核軍縮・不拡散の重要性を訴えてまいります。そして、将来を見据えた具体的な措置を積極的に提案し、国際社会の合意形成に貢献していく決意です。

また、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向け、日本国憲法を順守し、非核三原則を堅持することを誓います。


 昨年4月のオバマ米大統領のプラハ演説を契機に、核軍縮・不拡散に向けた動きが活発化してきています。


 こうした中、本日の式典には、30カ国を超える国の代表の方々が出席されています。心より歓迎いたします。

日本国民の、二度と核による被害をもたらさないでほしいという思いを受け止めていただくよう祈念いたします。また、焦土の中から立ち上がり、国際色豊かな観光都市・平和都市となった長崎の姿をご覧になってください。


 核兵器廃絶を訴える非政府組織(NGO)である「平和市長会議」に加盟する都市は、長崎や広島を先頭に、世界で4000を超えています。こうしたNGOや市民を母体とする動きは、世界的な核軍縮の機運を高めていく上で、重要な役割を果たしています。


 5月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議の際には、被爆者をはじめ100人近くの方々がニューヨークに赴き、会場や街頭で、核兵器被害の悲惨さを訴えられたと承知しています。この会議が最終文書採択という成果を収めた背景にも、こうした被爆者の方々とそれを支援するNGOや市民の方々の貢献がありました。


 今後は、被爆者の方々が例えば「非核特使」として日本を代表して、さまざまな国際的な場面で、核兵器使用の悲惨さや非人道性、平和の大切さを世界に発信していただけるようにしたいと考えています。


 長崎市では、市民が「平和案内人」として被爆の跡を修学旅行生にガイドする活動などが展開されています。若い世代が被爆者の声を聴き、その思いを受け継ぐ取り組みもあります。


 核軍縮・不拡散に向けた教育活動を世界に広げるため、長崎、広島の両市や国連と連携し、被爆者の体験談を英語など外国語に翻訳し、各国に紹介する取り組みを進めたいと考えています。


 政府は、被爆により苦しんでおられる方々に、これまで保健、医療および福祉にわたる総合的な援護策を講じてまいりました。

 長く続いてきた原爆症認定集団訴訟については、昨年8月に終結に関する確認書を交わしました。この確認書に基づき、控訴の取り下げや基金の創設などを行っています。


 一方、原爆症の認定を待っておられる方々に関しては、一日でも早く認定すべく最善を尽くしたいと思います。さらに、法律改正による原爆症認定制度の見直しについて検討を進めてまいります。


 また、母親の胎内で被爆された方々やご家族のご要望を踏まえ、こうした方々への支援体制も強化します。


 最後に、私自身のことを、一言触れさせていただきます。私が大学で物理学を専攻した際、原爆開発にもかかわったアインシュタイン博士や日本の湯川(秀樹)博士が、核廃絶を呼び掛けた「パグウォッシュ会議」のことを知りました。

人類の幸福に役立つはずの科学が、人類の生存を脅かす核兵器を生み出したという矛盾です。この会議の活動を学び、自分もこの矛盾を解決したいという思いが、政治を志す一つのきっかけになりました。

この初心を忘れずに世界から核兵器をなくす努力に全力を挙げ、取り組んでまいりたいと思います。


 結びに、犠牲となられた方々のご冥福と、被爆された方々ならびにご遺族の皆さまの今後のご多幸を心からお祈りし、併せて参列者ならびに長崎市民の皆さまのご健勝を祈念申し上げ、私のあいさつといたします。


 平成22年8月9日 内閣総理大臣 菅直人(2010/08/09-11:54)

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2010080900288



【長崎原爆忌】被爆者代表「心も焼いた。許さぬ」 平和への誓い 全文 (1/2ページ)

2010.8.9 12:02

 私が原爆に身をさらしたのは、16歳と9カ月の時でした。お天気が良い時は、誰でも心は晴れますが、毎年8月9日、この日だけは、太陽がギラギラ照りつけるほど、私の心は曇ります。1945年8月9日午前11時2分、ちょうどその時、長崎の空はきれいに晴れていて暑かったからです。

 よく知られているように、当時の私たち学生は学校から離れて、軍需工場で兵器生産に従事していました。私たちは、戸町のトンネル工場と呼ばれていたトンネルの中にこしらえられた工場で、マルヨン艇というベニヤ板づくりの特攻隊用のボートをつくっていたのです。そこは爆心地となった松山町からは、6キロほど離れていました。

 戦争末期とはいえ、交代で休日もありました。8月9日は、たまたま、私も、親しかった同級生の中村君も、休みの日だったのです。私たちは休日を利用してげたを作ろうということになり、私は爆心地から1.4キロの所にあった家野町の中村君の家へ行き、縁側でげた作りに取り掛かっていた時に、原爆の熱線、放射線を浴び、爆風で吹き飛ばされて、気を失ってしまったのです。

 やがて私は、「助けてくれ、助けてくれー」という悲しそうな中村君の声で正気に戻りました。中村君は、倒れた家屋の下敷きになっていたのです。一人の力ではどうにもできず、通り掛かった人にも手伝ってもらって、ようやく中村君を救い出しました。しかし、彼はその晩、息を引き取ったのでした。私は上半身と足にやけどを負っていたので、その後、救援列車で運ばれて諫早の海軍病院に入院しました。

http://sankei.jp.msn.com/life/lifestyle/100809/sty1008091203000-n1.htm



【長崎原爆忌】被爆者代表「心も焼いた。許さぬ」 平和への誓い 全文 (2/2ページ)

2010.8.9 12:02

 9月になるとその病院は米軍に接収されることになり、退院させられました。原爆は私の皮膚を焼いただけではなく、20歳代になると白血球が異常に増える病気を引き起こしました。結婚して子供ができると子供の健康のことがとても心配でした。私は、こんな原爆を、そして核兵器を絶対に許すことはできません。

 ことしは、ニューヨークで核拡散防止条約(NPT)再検討会議が開かれました。昨年4月のプラハでの演説の中でオバマ大統領が「核兵器を使ったことがある唯一の核兵器保有国である米国には、行動する道義的責任がある」と述べた印象が強かっただけに、私もこの会議の推移を見守りました。残念ながら、核兵器廃絶への期限を定めることはできませんでしたが、核兵器をなくすという方向は、全会一致で確認できました。

これからは、日本が先頭に立って、核兵器の完全禁止、廃絶へ向かって全世界をリードする時です。そのためにも、日本は核の傘から完全に離脱し、非核三原則を法律として確立し、順守することが必要です。こうして、北東アジアに非核兵器地帯をつくり、それを世界に広げていくことで、核兵器のない世界は必ずできると、確信しています。ここにその決意を披歴し、私の平和への誓いとします。

      平成22年8月9日
      被爆者代表 内田保信

• 【長崎原爆忌】市長「被爆国、リーダーシップを」 平和宣言の全文
・ 長崎65回目原爆忌 英仏露など最多32カ国の代表が参列 
・ 【用語解説】長崎に落とされた原爆
・ 核廃絶へ長崎65回目原爆忌、IAEA事務局長も初参加

http://sankei.jp.msn.com/life/lifestyle/100809/sty1008091203000-n2.htm


同義記事

長崎「平和への誓い」全文
2010/08/09 15:37 【共同通信】
http://www.47news.jp/47topics/e/170161.php



(2)に続く(コメント欄)、、、。




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