政府、社会の問題、提言など

社会、経済、政治などの問題点について投稿して行きます。 又、テレビ報道しない重要な出来事や、注目すべき出来事も対象です。

終戦の日~各地の動向(1)

2010年08月15日 08時58分14秒 | 社会


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終戦から65年 各地で催し

8月15日 4時37分

終戦から65年の15日、戦争で亡くなったおよそ310万人の戦没者を悼み、平和について考えるさまざまな催しや集会が、全国各地で開かれます。

このうち、東京の日本武道館では、政府主催の全国戦没者追悼式が開かれ、戦争で亡くなった人の遺族など、およそ7000人が参列する予定です。

式典では、菅総理大臣が式辞を述べたあと、正午の時報を合図に1分間の黙とうをささげ、続いて天皇陛下がおことばを述べられます。

そして、参列者が式壇に花を手向けて、およそ310万人の戦没者の霊を慰めます。

終戦から65年、遺族の高齢化は一段と進み、参列者のうち70歳以上の占める割合は、初めて50%を超える見込みです。

参列する戦没者の妻も、ことしは去年より20人近く少ない45人と、これまでで最も少なくなっています。

一方、戦後生まれの人は420人とこれまでで最も多くなり、最年少は、戦争でひいおじいさんを亡くした沖縄県の4歳の男の子で、祖父母や両親といっしょに参列します。

15日はこのほか、遺族の団体が集会を開くなど、全国各地で、戦没者を悼み、平和について考える、さまざまな催しや集会が開かれます。

http://www.nhk.or.jp/news/html/20100815/t10013363701000.html



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【岐阜】空襲の記録、集大成に 「岐阜も『戦場』だった」大幅改訂

2010年8月12日

 岐阜空襲の資料を展示する「岐阜市平和資料室」(同市橋本町)の友の会と県歴史教育者協議会は、太平洋戦争中の岐阜の戦禍をまとめた記録集「岐阜も『戦場』だった」を5年ぶりに大幅改訂した。

東濃地方や瑞穂市、笠松町の記録を新たに加え、県内全域の被害を網羅。友の会は「集大成的なものができた。戦争を語り継ぐ平和学習の参考にしてほしい」としている。

 友の会は5年前、岐阜、大垣、各務原各市の被害をまとめた同名の記録集を2000部発行。近年、多治見市など東濃地方でも戦災の調査が進み、旧版の在庫もなくなったため、昨年末から改訂準備を進めてきた。

 聞き取り調査や編集作業には、友の会の魚次龍雄会長ら社会科教員を中心に13人が参加。1945年3月から敗戦まで、県内全域に及んだ空襲のつめ跡を、データや写真、被災者の証言をふんだんに盛り込みながらひもといている。

 新たに加わった多治見空襲の項目では、川遊びをしていた小学生が機銃掃射の攻撃を受けた痛ましい事件の証言なども記載されている。

 A4判で旧版より10ページ増の69ページ。友の会と協議会が資金を出し合い、1000部作製した。1000円(税込み)で県内の書店で販売する。

 魚次会長は「空襲から65年たち、その体験を直接語り継ぐことはますます困難になっている。学校の先生が正確な知識を持ち、子どもたちに伝えるために活用してもらえたら」と話している。

 取り扱い書店などの問い合わせは、岐阜教組岐阜支部内、岐阜市平和資料室友の会事務局=電058(215)7302=へ。

 (森村陽子)

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http://www.chunichi.co.jp/article/gifu/20100812/CK2010081202000109.html



【石川】臼淵大尉からの便り 能登町ゆかり「大和」に乗艦 家族あて11点展示

2010年8月13日

柳田教養文化館

 太平洋戦争末期に戦艦大和に乗艦し、二十一歳で戦死した能登町ゆかりの臼淵磐(いわお)大尉が家族にあてた手紙を紹介する企画展が、同町の柳田教養文化館で開かれている。二十一日まで。(中平雄大)

 十六歳で広島県の海軍兵学校に入学した臼淵大尉が、妹の汎(ひろ)子さんと母のきみさんにあてた手紙計十一点を展示。日付は昭和十四~十七年まであり、兵学校での厳しい訓練の様子や家族を思う言葉などが書きつづってある。米軍機が空から撮影した戦艦大和の写真八点も展示している。

 臼淵大尉は能登町当目出身の海軍士官の長男。一九四五年四月、大和乗艦中に米軍機の攻撃を受けて海に沈んだ。展示は同町当目の遺族や県内の海軍兵学校出身者でつくる「臼淵大尉顕彰委員会」が主催した。 

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http://www.chunichi.co.jp/article/ishikawa/20100813/CK2010081302000140.html



【滋賀】平和願い資料展示 軍装品、兵士の手紙など500点

2010年8月13日

 2011年度内に東近江市で平和祈念館(仮称)開設を目指す県は、同市青葉町の八日市文化芸術会館で、所有する資料の一部を紹介した「平和祈念展2010」を開催している。19日まで。

 聞き取り調査した1200人の体験談、所有する2万4000点の資料から、軍装品や生活用具、兵士から家族にあてた手紙、県内の小中学生254人の「ピースメッセージ」など500点ほどを展示。

 展示品には、当時35歳の西村浅吉さん(東近江市出身)が妻せつさん、小学2年生の長男宏一郎さんにあてたはがきも。「デンシャミチヤ、イケヘアソビニ行ッテハイケマセン」などとカタカナで宏一郎さんを気遣う手紙に、宏一郎さんは「いま読んでも、父の私に対する心遣いが身に染み、目頭が熱くなる」と声を寄せた。はがきは9通目を最後に途絶え、終戦後間もなく、インドネシアで病死の知らせが届いた。

 実際に使われていた竹やりや御園小(東近江市)の空襲で使われた機銃弾の薬きょうも展示している。

 同市も共催で市内の中学、高校の美術部員による「平和」をイメージした大作「花」(縦3メートル、横9メートル)や日本ビジュアル・ジャーナリスト協会の写真「世界187の顔」を展示。入場無料、16日休館。 (前嶋英則)

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• 【日刊県民福井から】福井空襲 悲しい歴史「後世に」 遺族ら参列し慰霊法要(7月20日)

http://www.chunichi.co.jp/article/shiga/20100813/CK2010081302000146.html


(2)に続く(コメント欄)、、、。




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全国空襲被害者連絡協議会、発足に~東京・台東区

2010年08月15日 06時32分27秒 | 社会
記事参照

空襲被災者初の全国組織 国の「補償制度」求める

(08/14 17:09)

 東京大空襲などで障害を負った人たちが、国からの補償制度を求めて、戦後65年たって初めて被災者の会を結成しました。



 名古屋空襲で左目を失った杉山千佐子さん(94):「銃後の守りを一生懸命やりました。食べるものも食べないで、戦争によって色々と苦しみを受けた者に対して目を開けてもらいたい」


 鹿児島空襲で左足を失った安野輝子さん(71):「すべての空襲被害者、戦争被害者に対して国に補償させる」


 結成集会には、空襲で障害を負った人やその遺族など300人以上が参加しました。全国の163都市が被災した空襲では、50万人以上が亡くなったとされています。

しかし、政府はこれまで「内地は戦場ではなかった」などとして、被災した人たちに対して補償は一切行っていません。


 結成集会に参加した民主党・首藤信彦衆院議員:「これは私たちの戦後責任、戦争の責任ですから、しっかりと対応していきたい」

http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/200814034.html



大戦中の空襲被害者、初の全国組織 救済法の案文作成へ

2010年8月15日1時2分

 太平洋戦争末期の空襲で障害を負ったり肉親を奪われたりした空襲被害者が、初の全国組織「全国空襲被害者連絡協議会」(全国空襲連)を14日結成した。

被害者救済のための法律の案文を年内にまとめる。戦争被害者としての援護を国から受けられず、苦労を重ねた人たちの傷は深い。

 結成集会は東京都台東区で開かれ、約300人が参加。

共同代表に東京大空襲訴訟弁護団長の中山武敏弁護士や作家の早乙女勝元さんら5人を選んだ。

各地の遺族会や空襲を記録する会など20団体が参加し、個人加盟も相次いでいる。

 事務局を務める東京大空襲訴訟弁護団によると、法曹関係者や学識者らの協力を得て「空襲被害者等援護法案(仮称)」を作り、支援を表明している超党派の国会議員に議員提案を働きかける。

実施されていない空襲被害の実態調査や追悼施設の建設も盛り込む。

 国はサンフランシスコ講和条約が発効した1952年以降、旧軍人・軍属とその遺族には国家補償理念に基づいて総額約50兆円の恩給や年金などを支給してきた。

一方、民間人の空襲被害者については、これまでの訴訟などで「戦争で受けた損害を国民は等しく受忍(我慢)しなければならない」と主張し、援護措置を講じていない。

このため「法案」には、戦争を始めた国の責任として援護措置を取るよう明記する考えだ。

 全国空襲連結成のきっかけは、昨年12月、国が援護を怠ってきたことへの謝罪と賠償を求めた東京大空襲訴訟で、東京地裁が原告の請求を棄却する一方、「戦争被害者救済は立法を通じて解決すべきだ」と指摘したことだ。

中山弁護士は「第2次世界大戦で同様に空襲被害を受けた欧州各国は、被害者補償制度を整備しており、被害を我慢せよという日本は特異。

差別なき戦後補償を実現しなければ本当の民主主義国とは言えない」と話した。

(武田肇=平和・核問題担当)

http://www.asahi.com/national/update/0814/TKY201008140295.html



同義記事

空襲被災者、全国組織結成へ 救済法の制定求め(1/2ページ)
2010年7月13日15時2分
http://www.asahi.com/national/update/0713/OSK201007130084.html

空襲補償求め全国協議会、25都市の被害者ら
(2010年8月14日18時23分  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100814-OYT1T00438.htm

空襲被害者の全国組織が発足
8月14日 20時9分
http://www.nhk.or.jp/news/html/20100814/t10013362171000.html







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