帰ってから、
オスカー ピーターソンの mick the nifeを
聞く。
まったくすばらしい。 音楽も演奏も。
思うにこれは、後世classicと呼ばれるのではないか、と予感してしまう。
例えばベートーヴェンも当時は庶民の音楽として、音楽界からは蔑まれていたのに、現在はClassicとして、しかも”音楽に父”という符号まで頂いている。
(当時は、サリエリであり、モーツァルトである。)
同じように、彼もjazzの中だけでなく、classicをも凌駕するのではないか、と思う。 例えば、ベートヴェンの 悲愴 や 月光 や、 バッハの無伴奏協奏曲などは、jazzyである。 sattyばどは、もっての外。
ただし、Classicの権益というか、範疇を守りたい人、旧守者はそれを阻むであろうが・・ そうやって、Classicはますます堕落して、斜陽していくのであろう。 そして、過去の、大過去の人たちの作った遺産を食い潰していくのであろう。
ゆっくりと、眠りにつく。
オスカー ピーターソンの mick the nifeを
聞く。
まったくすばらしい。 音楽も演奏も。
思うにこれは、後世classicと呼ばれるのではないか、と予感してしまう。
例えばベートーヴェンも当時は庶民の音楽として、音楽界からは蔑まれていたのに、現在はClassicとして、しかも”音楽に父”という符号まで頂いている。
(当時は、サリエリであり、モーツァルトである。)
同じように、彼もjazzの中だけでなく、classicをも凌駕するのではないか、と思う。 例えば、ベートヴェンの 悲愴 や 月光 や、 バッハの無伴奏協奏曲などは、jazzyである。 sattyばどは、もっての外。
ただし、Classicの権益というか、範疇を守りたい人、旧守者はそれを阻むであろうが・・ そうやって、Classicはますます堕落して、斜陽していくのであろう。 そして、過去の、大過去の人たちの作った遺産を食い潰していくのであろう。
ゆっくりと、眠りにつく。