バスに身体障害者の人が乗ってきた。発車ぎりぎりに無理やり乗り込んでくる。
遅れて乗ってきたのに悪びれた様子がない。
それどころか、優先座席に人が座っているといってわめいている。
どうなっているんだ。 なめてんのか!
確かに、身体障害者はハンディキャップを持っているという意味では、イタワリ、というよりも施しがいるのであろう
が、
遅れてきた上に、 施しを受けるのが当然といった態度はどうだろう。そこには
感謝の感の字もないのだ。
で、誰かが以下仕方なく席を譲ってあげたようだが、まさにその態度も、当然のことといった素振りで、
有難うの一言もない。 その挙句、あくびをしている。
一体自分を何様だと思っているのだ。 まるで特権階級ではないか。 もちろん、彼の運賃はただ。
運賃ただで、人が座っているのを退かして、あくびをする。それを当然と受け取る。 そう、これはやくざだ。 やくざがこれと同じことをすればどうなるか。 しかし身体障害者というだけで同じことが許される。 つまり、身体障害者はやくざ?
すべての身体障害者がそうではないが、僕の見る身体障害者と年よりは、ほとんどそのような態度をとる。
もう一度、福祉を見直さなければいけない。
本当に必要な字との所には行かず、貰って当然という態度のところへ感謝もなくいき、福祉貴族 が生まれるのだ。
昔、ローマ帝国では 福祉といえば、餓死をしない程度の小麦の配給であったそうである。 しかもその配給には長い列を待ってやっと貰うという。 列を待っている間には知人にも会い恥かしい思いもしなければいけない。 それだけ、施しを受けるのは労力と恥かし身がいるということである。
もう一度言う。福祉とは当然あるものではなく、日本国(日本国民)から貰う施しであり、当然感謝は必要である。 感謝のない人には与える必要がない。
彼らが優先座席に座る権利があるといいつづるのなら、それに対する義務は彼らは果たしているのか? 運賃もただ乗りである。 そう、運賃を普通の健常者の二倍にすればいいのである。 そうでなくても、彼らは税金も安くしてもらっているし、福祉手当も貰っている。 まさに、二倍の運賃を払うことは、当然の義務ではないか!
帰ってから、マーラーの巨人を聞く。