Toshy 1960 あまつ風雲のかよひぢ吹きとぢよ乙女の姿しばしとどめむ

瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の
 われても末に 逢わむとぞ思ふ

11/10

2005-11-09 18:56:38 | Weblog
11/10
体が重い。 熱っぽい。
しかし、体に活を折れる為に、帰宅途中でXAXに行く。
行って気がついたのだが、XAXはXAXでなくなっているのだ。 KONAMI-SPORT・・・になっていた。

帰るなり、寝る。 今日は Audioの登場なし。


福祉???

2005-11-08 08:43:59 | Weblog
バスに身体障害者の人が乗ってきた。発車ぎりぎりに無理やり乗り込んでくる。
遅れて乗ってきたのに悪びれた様子がない。 
それどころか、優先座席に人が座っているといってわめいている。
どうなっているんだ。 なめてんのか!

確かに、身体障害者はハンディキャップを持っているという意味では、イタワリ、というよりも施しがいるのであろうが、
遅れてきた上に、 施しを受けるのが当然といった態度はどうだろう。そこには 感謝の感の字もないのだ。
で、誰かが以下仕方なく席を譲ってあげたようだが、まさにその態度も、当然のことといった素振りで、 有難うの一言もない。 その挙句、あくびをしている。
一体自分を何様だと思っているのだ。 まるで特権階級ではないか。 もちろん、彼の運賃はただ。
運賃ただで、人が座っているのを退かして、あくびをする。それを当然と受け取る。 そう、これはやくざだ。 やくざがこれと同じことをすればどうなるか。 しかし身体障害者というだけで同じことが許される。 つまり、身体障害者はやくざ?
すべての身体障害者がそうではないが、僕の見る身体障害者と年よりは、ほとんどそのような態度をとる。

もう一度、福祉を見直さなければいけない。
本当に必要な字との所には行かず、貰って当然という態度のところへ感謝もなくいき、福祉貴族 が生まれるのだ。

昔、ローマ帝国では 福祉といえば、餓死をしない程度の小麦の配給であったそうである。 しかもその配給には長い列を待ってやっと貰うという。 列を待っている間には知人にも会い恥かしい思いもしなければいけない。 それだけ、施しを受けるのは労力と恥かし身がいるということである。 
もう一度言う。福祉とは当然あるものではなく、日本国(日本国民)から貰う施しであり、当然感謝は必要である。 感謝のない人には与える必要がない。
彼らが優先座席に座る権利があるといいつづるのなら、それに対する義務は彼らは果たしているのか? 運賃もただ乗りである。 そう、運賃を普通の健常者の二倍にすればいいのである。 そうでなくても、彼らは税金も安くしてもらっているし、福祉手当も貰っている。 まさに、二倍の運賃を払うことは、当然の義務ではないか!

帰ってから、マーラーの巨人を聞く。




石切さん参拝

2005-11-07 09:14:41 | Weblog
実は11/6
今日も9時まで寝てしまう。

おきて、炊飯器のスイッチを入れて、洗濯物をする。といっても、洗濯機がやってくれるので、何もしなくてもいいのだが。
昔から三食昼寝つきとはよき言ったもので、これほど電化製品が発達すると、主婦としてのすることがなくなってしまって、可哀想である。
洗濯は洗濯機がするし、掃除は掃除機がしてくれる。 食器洗いは食器洗い気がしてくれるし、調理さえもレンジで済まそうと思えば出来る。
昔は、洗濯板を使って一点一点洗濯をし、使用済みの茶葉を撒いて放棄で端から灰まで丁寧に掃き、食器もひとつひとつ洗わなければいけない。 はるかに労力も時間もかかる。 つまりそこに主婦の主婦業としての価値があったのだが・・・
政府税制委員会の人が主婦について悪評を述べたようだが、その気持ちはわかる。

振る前に石切さんにお参りにいかせて頂く。 生憎の雨。 でもそれを押して尾参るにいかせて頂く。
案の定、お参りに来ている人の数は少なく、ゆっくりとお参りをさせていただくことが出来た。
満足をさせていただき、境内を後にさせていただく。約1時間境内にいさせていただいたことになる。

帰宅途中で、近鉄百貨店に寄り、店内を見て回る。 rokportの靴が5000円で売っているので品質をチェックして買った。 中国製ではあるが、5000円なので納得してしまう。 結局は中国製なのか、とも思い、あきれる。
われながらいい買い物をしたものとほくそ笑む。 きっと石切さんのおかげなのだと感謝をする。学園前に着く。
ドトールによってコフィーを飲み、PCを開いて作業をする。

駅を出て、本屋に行きPC FANを買う。 その後ジーンズ屋に行き、綿フランネルのシャツを199円で買う。

家に帰って、食事をしてAudioを聴く。
マーラーの”巨人” と スターダストレヴゥー を聴いて寝る。





今日もxax

2005-11-05 09:09:50 | Weblog
会社を3時におえて、xaxへ行く。 今日はマシーンジムである。
水曜日のswimmingが堪えているようで、身体が重い。 しかし、利用者が少ないので自由自適に使えたので、満足した。

帰宅後、お米を研いで寝かせる。 炊飯器のスイッチは明日に押すことにする。 なぜならもう11時を回っている。 炊き上げたときのコネコネが出来ないからである。

寝しなに、MJQ(Manhattanの方)を聴く。

 

明治安田生命

2005-11-04 14:54:47 | Weblog
明治安田生命の幹部がいっしんされた。 が、お笑い話である。 旧明治生命が事の発端であるにもかかわらず、次期社長は旧明治生命から出されるようである。 会長は旧安田生命。 これでは昔の第一勧業銀行の二の舞ではないか。 このような順繰り人事で、会社が一新されるわけがなく、しかも、原因を作ったところがぬけぬけと社長に就任するとはいい度胸もいいところだ。 要するに、会社はなんら反省していないということである。

これは三菱自動車と同じで、なんら変わって印倍ということである。 経営一新とは笑止千万。 本当にそう思っているのなら、旧経営陣に対して、刑事訴訟を起すべきである。 嫌疑は 特別背任罪。
三菱自動車の場合は、やっとのことでやったようであるが、遅すぎる。 
いずれの場合も出来ないのは当たり前である。 新しい経営陣と言えでも、旧経営陣の子飼いの人材であるのだから、親分に対して出来るわけがない。
従って、新経営陣の言う、経営一新 を信じている契約者がいるとすれば、 間抜け と言うしかない。
いずれにしても、お気楽な会社、あるいは国だ。 これがアメリカであれば確実に株主訴訟に発展するであろう。 (かの国には相互扶助会社という形態はないはずだから)
そういえば、明治生命といえば、旧三菱銀行と組んで、変額保険なるものを開発販売して、客にだまし(利率の下がることはありません、とか、損をすることはありません、とかいって販売していた) 問題になっていたことがあった。 やはり体質は変わらないものだ。 でも、あの問題はいったいどうなったのだろう?

今日は マライヤ キャリーを聴いて寝る。


両親宅訪問

2005-11-04 08:58:18 | Weblog
実は11/3です。

今日両親宅に行く。
しかし昨日のswimmingが効いて中々おきれない。 
やっとの思いで、なんと11時前に起きる。 僕としてはなんと遅い起床か。 
起き抜けに、Wagnerを聴く。
 ケーキを買って、蒸留水を持って、清滝街道を通って、大阪内環を通って、奈良から豊中へ行く。
途中主な渋滞もなく、4時ことにつく。
相変わらず、というか、弟の哲がおかしい。 変なこと、(殺されるとか、世の中がおしまいになるとか)、横溝正史の小説に出てきそうな不気味さを持っている。 でも、どうすることも出来ない。 せめて、他人様に危害を掛けないだけましだと思わなければいけないなぁ。 他にもこんな家族を持っている人もたくさんいるだろうし、つくづく大変だなぁ、と思う。 他人事でなくなった。

親はそんな弟から逃げる為と、refreshする為に、海外、メキシコに旅行に行くそうだ。海外に行くことは反対ではないが何もメキシコとは・・・ せめて、安全なハワイのほうがいいのに、と思うのだが・・・ もう若くはないし、初めてのところへいても精神的に疲れるだけなのに・・・


帰宅後、”pure”を聴いて寝る。


SWIMMINGへ行く。

2005-11-02 15:15:12 | Weblog

今日の帰りにXAXに行く。
久しぶりのSWIMMINGをする。 夏以来だ。
本当はもっと行きたかったけれども、生憎 花粉症で塩素のきついプールに入ると途端に粘膜がやられて、鼻水が ずる。
で、花粉の季節の収まりつつあるこのときに、恐る恐る、プールに入る。
2KM(Longで600m)を泳ぎきり、ジャグジーでほっこりして帰る。 
何とか、鼻は大丈夫だ。 他の部分も、大丈夫。
これからはswimmingもできるぞ。

でも、疲れた。 普段としていないことを久しぶりにしたからだろう。
帰ってから、マライヤ キャリーを、例の古いAudioを使って聞く。


ミッキー ローク

2005-11-01 18:49:18 | Weblog
先週の月曜日に、NHKの”英語で喋らナイト”にミッキー・ロークが出演していた。Nine Half等に出ていた、人格を否定したくなるほど、危険な雰囲気を持ったあの人は、今はその面影もない。 中年太り、というにはひどい。
まるで マラドーナだ。 ただ、それに伴い(人生に疲れたからかもしれないが)性格は丸くなっていたようだ。 
最後に言った Smoothly (或いはSailing smothly)   はなんとも切なく、また、僕の心も、感動を覚えた。 酸いも辛いも経験した証であろう。 僕は経験はしたくないが。



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