すなば たかひろ

「元気で人に優しい鳥取」を取り戻すため、県議になった元新聞記者の挑戦記。みんなで鳥取の未来像を考えましょう!

昔話ですが「歌麿の版木」発見の一幕です

2011年09月14日 | 日記
 今、徳持さんの個展が開かれている渡辺美術館とは浅からぬ因縁があるのです。
 記者時代、同館の責任者である荻原さんからある相談が持ち込まれました。民俗資料として収集した古い仏壇の中から歌麿の版木を見つけたが、本物であることをどう確認したらいいのだろうかというのです
 江戸時代、浮世絵の版木は消耗品でしかなく、印刷で摩耗すれば鉋で削って、また、別の版木を刷っていたようです。当時、歌麿の版木は国内には愛媛県大洲市に1件(3枚組の2枚)があるだけで、この版木が発見されたことで風の博物館内に歌麿館が設けられたほど、希少価値の高いものでした。ビゲロは浮世絵の収集家として有名ですが、3万点を超える膨大なコレクションはボストン美術館に寄贈されています。ビゲロには浮世絵を生み出す版木も美術品で、大量の版木も収集し、同美術館に寄贈されていますが、版木のコレクションはここしかないとされていました。
 そこで、このボストン美術館の版木コレクションの研究整理に当られたのが、千葉市美術館の浅野上席学芸員でした。電話をすると「国内には風の博物館にあるだけです。版画家が練習で彫ったのでしゅね。あま写真を送ってください」とつれない返事です。そこで版木を撮影してメールで送ったところ、浅野さんが上ずった声で電話をしてこられました。「すぐ鳥取へ向かいます」というのです。実は、浅野さんはパリにあるギメ美術館で、この版木から刷った浮世絵「蹴鞠の図」を見たというのです。しかも、「蹴鞠の図」は公開されたことがないので、贋作を作ることはできないというのです。
 鳥取に来られた浅野さんは、ギメ美術館で撮影された写真を持参され、細部まで詳細に検討された結果、「この版木で刷ったことは間違いない」と断言されたのです。国内2例目、3枚目の歌麿の版木ですから、さあ大変。バリ支局と連絡を取ってギメ美術館に行ってもらったり、美術史研究家に談話をもらったりして、社会面、地方版と大展開して報道いたしました。
 この版木も、徳持さんの作品と並んで、今回の展覧会で展示してありますので、見ていただければ思います。渡辺美術館と同様、まだ学術的確認作業がなされていない歴史資料や美術品がたくさんあります。鳥取県の誇りを再発見するためにも、調査研究のシステムづくりを提案していきたいと考えています。
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