すなば たかひろ

「元気で人に優しい鳥取」を取り戻すため、県議になった元新聞記者の挑戦記。みんなで鳥取の未来像を考えましょう!

ブラジル訪問記④(日本移民開拓者先没者慰霊碑)

2012年11月18日 | 日記

 17日は日本移民開拓者先没者慰霊碑の参拝から始まりました。ホテルからイビラブエラ公園までは車で約30分でした。

 車窓から広い分離帯にオブジェが見えました。

日系人のアーチストであるオオタケオtシエさんの作品で、ブラジルの日系社会が4世の時代になったことを表現したものだそうです。

公園に着くと休日だと言うこともあり、たくさんのサンパウロ市民が楽しんでいましたが、ジョギングする人がたくさんいました。

慰霊碑は公園の一角にありました。

慰霊碑の回りには大木が生い茂り、移民の皆さんが切り開いた原野を彷彿とさせます。

この慰霊碑は、厳しい環境の中では、点々と開拓地を動かすことがたたり、少なくない開拓地で亡くなった方のお墓が無縁仏のお墓となっていることに心を痛め、ブラジル日本都道府県人会連合会が1975年に建立された者で、毎年6月18日の「開拓の日」の慰霊祭には多くの人が参列し、ブラジル日系人の皆さんの鎮魂の場になっているそうです。

右の2人が案内していただいた連合会の原島副会長と木原理事。中心になって慰霊碑のお世話をされているそうです。その右は今回、大変お世話になっている鳥取県人会の本橋会長です。

 まず慰霊碑に参拝させていただきました。

献花もさせていただきました。

慰霊碑の後ろに回ると、慰霊碑の中に入れるようになっており、亡くなった皆さんの名前を記した過去帳と平和慈母観音菩薩木像、観世音菩薩像、厨子に入った地蔵尊が安置されていました。こちらでは線香を立て、参拝致しました。

記帳もさせていただきましたが、伊藤議長、横山議員ともに、ものすごい達筆で、その下にミミズの這ったような字を書く自分が恥ずかしく思えました。帰国したら、名前ぐらい筆でビッシと書けるようにしたいです。

参拝を終えた訪問団の皆さんとブラジル県人会連合会の役員の皆さんです。

慰霊碑前の通りは「ありがとう通り」というのだそうです。

 

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