現場主義といえばその通りかもしれない。仕事では現場があって、その上で何らかの処置をする(測ったり、改修図を作成したり)。その際、言われたことをイメージできるのが経験だろう。もちろん写真があれば、おおよそ予想がつく。したがって現場に行かなくとも、イメージできるのが経験のなせるもの。しかし、実際の現場に立ってみてわかることもある。だから処置をする前にわからないことがあれば、「現場に行ってみる」、自らが歳をとってからの実践方法だ。ところが若いころは違った。なぜならば、教わる側だから、そして「早く仕上げなければならないから」、一度行った現場で、すべてを把握してこなければ「先輩に怒られる」、と思い「わからないところがあるから、もう一度現場に行きたい」とは口にできなかった。したがって、どうしても確認したいときは、一人で出かけたときに「ついでに」、あるいは時間外に訪れる、という経験は何度もした。わからなくて迷っているくらいなら、「見てきた方が早い」というのが、本当のところの現実だ。今は自らが「長老」だから、先輩にお伺いを立てる必要もなく、それを実践させてもらっている。が、確認のために現場に「行きたい」という若者に、苦言を口にすることは絶対にない。
長野での前週に続く会議があった。「ついでに」月曜日に行く現場に立ち寄ってみた。少し、いいやだいぶ遠まわりだが、実際のところ「何を用意して行ったらよいか」ということ、そして同行していただく方にどのような準備をしていただかなくてはならないか、という打ち合わせのための遠まわりである。やはり、現地を訪れてイメージ通りではあったが、作業方法を変更することに・・・。加えて事前に得ていた情報と異なることもわかった。近くまで「行ける」と思っていたが、通せんぼがされていて、仕方なく雨の中を歩いた。もちろん「このくらいの距離なら」と思っての、これもまた想定内のこと。歩き出すと後ろから車がやってきた。「なんだ通れるのか」と思ったが、どうも日常入っている方のようで、通せんぼの鍵を開けて来られたのだろう、あるいは「時間によって開放されるのか?」と思いながら道隅に避けた。するとあえて車を止めて職務質問。本当の目的を、なぜか口にできなかった。よくあることだ。
さて、意外に当初車を停めようと思っていたところまではすぐにたどり着き、さらに山の中を、歩いた形跡のある道を辿って目的地までたどり着いた。地図があればおおよその目的地までは、山の中でもなんとか行けるのが、経験である。現場を確認後、あらためて来た道を戻ると、こんな具合の光景が正面に。川の中にある構造物は、梓川頭首工である。その先は霞んでしまっているが、遠くに見えるはずの松本市街地である。戻ると、やはり鍵は掛けられていた。月曜日には通れるようにして欲しい、そう先方に伝えた。
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