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〝山の神〟再考 ⑨

2025-01-29 23:18:55 | 民俗学

〝山の神〟再考 ⑧より

 『長野県史民俗編』の調査資料から読み取る作業はこれまででおおよそ終わりである。資料は調査箇所別に「祭り名」「祭日」「食べ物」(供物)「弓矢」そして「参加者」といった項目で記載されており、最後に「祭り方」という備考欄のようなものがある。ここではその「祭り方」欄に書かれた項目から気になるものを拾ってみる。

 「森」(栄村)では「ダンゴ12個を入れたツトッコ、それに弓矢をつける」という。栄村を中心に北信の事例には「12」という数字が登場する。これは十二講ともかかわってくるわけだが、小池淳一氏は「神々の歳時記」の中で「山の神の祭日は、東北をはじめとする東日本では一二日とする地域が多」いという。このことは〝山の神〟再考 ②において図を示したように、栄村から高山村あたりまで、2月12日を祭日とするところが多かった。新潟県にも十二様といった2月12日に祭りをするところは多く、大護八郎氏は「東国の十二様地帯の山の神祭りには、弓矢が重要な役割を果たしている」(『山の神の像と祭り』昭和59年 国書刊行会 117頁)と述べている。そして新潟県中魚沼郡中里村倉俣の事例として「十二神社では二月十二日を祭日とし、各戸から篠の弓矢を供え、それぞれ戸主が空に向かって弓を射る。古老の話だと、二月十二日が十二講で、各家より持参の弓矢で、大人たちが空に向かって同じく「烏の目玉にスットントン」と唱えながら射る。射るものは悪魔といわれている」という。同じ栄村の「極野」では、「2月9日は山の神が川へ魚を取りに行く日。2月11日十二講の前夜、燈明番に12~13才位から20才位の男子が社殿で社籠りをした。2月12日ウル米の粉を水でこねて丸いダンゴを作って重箱に12個入れて供える。1月2日に迎えた若木(カエデの枝)に内山紙に山の使い道具や動物などの絵を書いてつけて供える(ハチジョウ)」といい、ダンゴを作る数も「12」だといっている。同様に「大町」(木島平村)では「小豆のご飯をお頭づきの魚をワラのツトッコに入れ、その上に弓と矢(12本)を作って乗せて供える」という。また「箕作」(栄村)でも「カアラコで団子を12個作り、ワラヅトに居れて弓の弦にそえた」と言っており、供え物の数に「12」という数が現れている。

 少し変わった例は「稲附」(信濃町)の「祠の前にムシロを敷き獅子舞をする」というもの。それ以外にとくに記載がないため、なぜ獅子舞が行われるのか、それがどのように意味があるのかは不明である。

 「田端」(千曲市倉科)では「倉科神社祭をする。もとは山の神祭。神像軸を飾り、山、田、畑、海の幸を供える(当番の家で)。これが済むと山の神は田の神になる。この祭りがすむと田に出始める」という。祭日を境に山の神は田の神になるという例である。

 弓矢を射るのが「山の神」であるという伝承も見られる。「小井田」(上田市)では「1月12日に山の神が天に向かって矢を放って、この矢が17日に天から降って来るのでこの日山へ行って仕事をすることを禁じられている」といい、「金剛寺」(上田市)でも「12日に山の神さんか矢を放って17日にその矢が降ってくる」と言っている。佐久地域では弓矢を高く掲げるところが多く、「豊昇」(御代田町)では「弓、矢、オシメとイネノハナを半紙に刻んで包み、これを柱に立てて高く掲げる」といい、「菱野」(小諸市)では「山の神様に笹竹を立て、オシメを張り、弓矢を作り供え、神酒、餅をあげる」という。また同じ小諸市「耳取」では「庭先に弓矢を上げる。中折半紙でスカリを作り、その中に松カサを入れる。弓は萩、矢はススキ。この日は山へ行くなといわれていた。木切り、鳥打ち、兎狩りを戒めた。1月14日に正月飾りを下ろし、15日に門松をおろし、その松柱に十二様への弓矢を立てたとも聞いた」という。詳細はともかくとして、中信や上伊那を中心に小正月に立てられる道祖神の柱系統のものと似ている感じだ。

 「三分」(臼田町)では「御物作りの時のイネノハナ、マユダマを下ろした柳で下った弓と矢とマユダマを紙で作った編袋に入れて弁当に入れ供える」という。やはり山の神とはいうものの、作の神とのかかわりを印象付ける連続性がうかがえる。

続く


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