Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

緑が消える

2021-06-06 23:49:00 | ひとから学ぶ

 週末の2日間、相変わらずの草刈三昧だった。何度も口にしてきたことだが、わたしの草刈空間で、わが家ほど草刈エリアが広い家はない。それだけ土地がある、と言われるかもしれないが、現実はそうでもない。繰り返すが、水田地帯の自分の土地だけ草を刈る、というのなら良いが、現実的には隣接する公用地(道路や水路)が必ずあって、そうした空間の草も刈るから、自ずと範囲は広くなる。加えて高低差が大きなところばかりに土地を所有している。ようは「土手」ばかり。したがっていくらでも草刈をする空間はある。もちろん足場が悪いところばかり。

 2日間は柿の木の下と、梅の木の下の草刈だった。いまではほとんど収穫もない空間だから、仕方なく刈っているような空間である。それにしても、土曜日には隣接地で草刈をする人もいたが、その草刈がすごい。遠目では草を刈ったあとの光景が、除草剤を撒いてその草が枯れたあとのよう。茶色に見える。緑色が消えているのである。ようは地肌がはっきり見えるほどまで、草を刈ってしまうのである。「そこまで刈るか」と思わせるほどだが、別の隣接地では「うちと同じように除草剤を撒け」とまで口にする人がいたりで、自然環境を無視した人々がとても多い。この後、人々が無駄な作業をしなくなりつつある中、勘違いなのか、それとも単純に手を掛けたくないだけなのか、ムラの姿はちょっと前とは大きく変わっていくのだろう。

 このごろは隣接地との揉め事が多く、そうした他人との隣接地を刈るのが嫌になっている。しかし、刈らずにおけば嫌がらせが膨らむので、状況を見ながら控えめに草刈をする。親のいなくなった今、親の壁がなくなったことで直接さらされる立場となり、この生きづらい社会に唖然としているこのごろである。


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