Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

松本市内のオンバシラ(令和7年)

2025-01-13 23:59:22 | 民俗学

南内田のオンバシラ(令和7年)より

2014年オンバシラ

 

2025年オンバシラ(令和7年1月12日撮影)

 

 実は南内田のオンバシラを確認する前に、松本市内のオンバシラの状況も確認している。まず旧梓川村横沢のオンバシラである。横沢のオンバシラについては2014年1月2日に「正月の柱立て」と題して記した。この横沢のオンバシラ行事については、松本市指定文化財となっており、「横沢の御柱とスースー」(スースーについても本日記の「横沢の“スースー”を訪れて」で触れている)で紹介されている。横沢では中(なか)と西下(にしじも)の2箇所でオンバシラが建てられていたが、西下のオンバシラは見られなかった。両者同日に立てていたことから推測すると、西下では途絶えているのかもしれない。

 中のオンバシラについては、2014年のオンバシラと12日に確認した2025年のオンバシラの両者の写真をここに並べてみた。2014年には水平にしたオンベの数が15本あったが、今年のものを見ると14本しかない。今年のオンバシラを見ると上から5段目と6段目の間に×の形でオンベをクロスさせてたものが付けられているが、2014年のものにはない。スースーで配るオンベの位置も、2014年のオンバシラは下よりに付けられているが、今年のものはかなり上部に結わえられている。このように若干違いが見られるが、基本的な形状は同じである。

 横沢のオンバシラを見た後、和田太子堂と町神(まちかん)にも立ち寄った。太子堂のものについては2016年1月18日に「これも御柱か?」で触れ、町神のものは同年1月14日に「これも御柱」で触れた。これまで触れてきているオンバシラとは形状が全く異なるものだが、町神では当時明確にオンバシラと称していた。そしていずれの柱も12日現在には立てられていなかった。町神のものはともかく、太子堂の場合、当時立てられていた日から推測すると現在は途絶えているように見えた。聞くところによると、松本市内では旧梓川村の花見(けみ)のオンバシラも今現在途絶えているらしい。


コメント    この記事についてブログを書く
« 南内田のオンバシラ(令和7年) | トップ | デーモンジ(令和7年) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

民俗学」カテゴリの最新記事