中央が河野家主
火打ち
いよいよ点火である
火元より世話人へ
手打ち
火元を出る
火を継ぐ
火元もらい
午後7時に火元貰いが始まり、いよいよ道祖神祭りの本番である。大正元年に2箇所で行っていた祭りを1箇所に統合した際からずっと火を貰う家は決まっている。寺湯の「湯沢」という宿屋さん、河野家である。42歳の厄年の総括、副総括、道祖神委員長、副委員長、25歳の厄年の代表と言われる2名、以上6名の世話役で酒を6升持って火を貰いに行く。チョンボリ笠をかぶり、蓑を着、オタテグツと言われる藁ぐつを履いて「道祖神の火を貰いに来ました。よろしくお願いします」と言って河野家へあがる。くつは履いたまま、蓑もつけたままいろりの周囲に座る。そしていろりの周りを囲んでお酒をいただくのだ。6升持って行って1斗以上酒をいただくという。囲炉裏を囲む6名のほかに後ろに控える人たちもいて酒の茶碗が回ってくる。記憶がなくなるほど酒を飲むといわれ、別名「酒飲み祭り」と言われるほど酒がつきもの。貰いに行った人たちがある程度飲んで酔わないと火は貰えないというわけだ。したがって予定では午後8時に火元を出発とされているが、そう簡単にはゆかないわけだ。火が道祖神場に到着するのは午後8時半となっているが、当然火元を発しないとその時間に到着することもない。とはいえこの日は火元で午後7時半を過ぎたころから酔が少し回ってきたのか「道祖神のうた」が歌われはじめ、しばらくは歌が続き、火元の河野さんが白装束に着替えて烏帽子を頭に床の間の前に座っのは8時5分ほど前だった。「道祖神のうた」を切り出すのは道祖神委員長か副委員長と決まっている。歌詞はいくつもあるが、どれを切り出すかは委員長しだいなのである。
床の間に据えられた道祖神像に拝礼し、火打ち石で火を起こし始めたのは8時前。種火を弓張提灯に移し、囲炉裏のところでオンガラの大松明に点火するまで1分ほどのこと。点火して火元の河野家から軒先に出されるまでは火元の関係者が担う。そして軒先まで出された大松明は火元貰いにやってきた6名の世話役に渡されのである。世話役たちはこれを受け取り、河野家の方たちに拝礼し手打ちをするといよいよ出発である。ほぼ予定通り午後8時のことだった。かつては河野家を出るとすぐ前に架かる橋を渡って堰沿いに道祖神場まで向かったというが、道が細いため、今は車道を道祖神場まで進む。その間も「道祖神のうた」をうたいながら進むが、酔っていることもあって、介添え人がいないととても危険な様子。途中で大松明は次の大松明に火を継いで道祖神場へ入るのである。
添わせておくれ 縁を結ぶの神ならば
神ならば 縁を結ぶの神ならば
太神楽にほれて 行かじゃなるまいお伊勢まで
お伊勢まで 行かじゃなるまいお伊勢まで
お伊勢の町は 長い町だが宿はない
宿は無い 長い町だが宿はない
良い嫁に良い衣装着せて 袖の下から乳にぎる
乳にぎる 袖の下から乳にぎる
乳にぎらせて 乳は内緒の締樽だ
締樽だ 乳は内緒の締樽だ
締樽しめて 嫁にやります来年は
来年は 嫁にやります来年は
「道祖神のうた」である。切り出す側の道祖神委員長の声は酔っているせいかはっきり聞こえないうえに、返す側もそうとう酔っているようだ。
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