信濃史学会の『信濃』の最新号が届いた。第三次『信濃』を創刊してから800号を数えるという記念号である。毎月発行される、いわゆる月刊の地方史雑誌は全国を見渡しても数少なく、その数少ない月刊誌のうちの一つが『信濃』である。県内にはほかに伊那史学会の発行する『伊那』と、上伊那郷土研究会の発行する『伊那路』という月刊誌があり、全国的にも地域史、郷土史に対して盛んな地域で知られている。ところが、以前に『伊那』と『伊那路』を南北問題に絡めて報告した通り、会員の高齢化と、こうした郷土史からの若者離れで、いずれの団体も会員を最盛期に比べると激減させているのが実情だ。同じことはわたしが事務局を担っている長野県民俗の会でもいえ、会費収入で運営している組織だけに、会員減はそのまま会の運営を逼迫させているのも事実。とはいえ、何といってもその主たる出費であった印刷費の値下がりで、会員減少という問題をクリアしてきたのがこれまでの運営環境である。そんななか『信濃』は内容の質を落とさずに、80ページという形式の雑誌を発行し続けてきた。毎月5、6編の論考を掲載して発行し続けるというのは簡単ではない。長野県民俗の会でいけば会報である『長野県民俗の会会報』を毎月発行するということになる。こんなことを仕事の傍らで続けるのは困難だ。相応の編集担当と、会員がいない限りできないこと。民俗の会では少し前には年刊の会報すら1年以上遅れて発行することがあった。必ず毎月発行するという大変さは、編集している方々の努力が並大抵ではないことは、経験すれば容易に解ること。信濃史学会を運営されている方々に、800号という金字塔を達成されたことを、こころよりお祝いしたいとともに、感謝の気持ちでいっぱいだ。
長野県の地域史、郷土史が盛んだった背景には、かつて「教育県」と言われるほど教員のそれらに対する熱意が高かったことがある。しかしながら現在は教員にこうした会に携わる人は少なくなっているのだろう。その理由に教員は「忙しいから」というものがあるのだろうが、わたしのように教員とはまったく無関係で、ふつうのサラリーマンをしている者にとっては「それだけだろうか」、と疑問符を浮かべずにはいられない。民俗の会でも教員の方たちが頑張っていただかないと会は成立しないほど、現状を捉えてもそれは頷ける。それは教員とは少し離れた位置で会運営がされた少し前の時代の状況から解ること。やはり教員のように県内を転勤される方々がおられることで、この広い県の情報が横に繋がるという印象を今改めて感じている。狭い範囲で仕事をされていると、どうしても動きも狭くなってしまう。それが要因となっているかはわたしの印象に過ぎないが、やはり県内を異動を伴って経験されている方たちは、仲間の頼みを無碍に断ることもないし、お互いの気持ちを理解しようという気持ちがあるように思う。ここに広域郷土史=広域異動の人々の自己内省史、とでも名づけようか。そもそも問題意識があるから郷土を学ぼうとする。それを生み出すのは、他人の懐に入るからこそのこと、だとわたしは思う。
永遠に続くとは言えないまでも、まだまだ長く今の姿を続けて言って欲しい、そう思う800号の発行である。ちなみにこの記念号では、近年の会を運営されている方たちの座談会の内容を掲載されている。多くの地域史、郷土史を運営されている方たちにも参考になる内容だと思う。
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