「舞台と灯籠」より
煽り(さすがに落ちるといけないということで木偶の頭は外された)
千度石
催事班
子どもたちだけの餅投げ空間
餅投げも終わり帰路につく人々
飾付け班班長による締め
いよいよ重柳八幡宮の本祭りである。
ここのお船の特徴的なことはオフリョウの最後に船を200回にもおよび煽ることだ。煽るといっても見てみないと分からないことだが、お船を前後に傾けて揺らすことをいう。お船の足元には台車があり、輪が4つあるわけだが、前後の2輪に全重を掛けるように傾けるわけである。「ドスン」という感じに傾けるから地固めをしているようなもの。頑丈な枠で造られているから壊れることはないようだが、これだけ繰り返し「ドスン ドスン」とやるから車軸に対してはずいぶん負荷がかかっていることだろう。いつかこの車軸に痛みが生じることは明らかで、そのあたりは保存会でも注意深く観察していることだろう。これほどの煽りを繰り返すところはほかにはないという。午後3時半すぎに始まった煽りは、午後4時過ぎまで約30分近く続く。
ところでオフリョウについてはお船祭りの特徴的な所作のひとつとされ、このことは『風流としてのオフネ』(信濃毎日新聞社 2009年)において三田村佳子氏において詳細に触れられている。三田村氏によるとオフリョウについて「灯籠や旗を持って神楽殿を三周することであり、そこで持つ灯籠をフリョウドウロウ、旗をフリョウバタと呼ぶのは、これらがオフリョウのための灯籠であることを示している」と穂高神社のオフネ祭りを例に触れている。そして周囲のオフネ祭りでは旗ではなくお船本体が3周することをオフリョウと呼んでいるというのだ。3周するセンターには「千度」石なるものが地中に半ば埋まったようにあり、この周りをお船は旋回するのである。重柳の千度石は真ん中あたりで上下に割れた跡がある。噂によるとこれは車がぶつけて割ってしまったものといい、その車は後に事故を起こしたとか。三田村氏は「「オフリョウを渡す」というのは、神霊を降臨させる呪的所作であり、その依代であったオフネがいつしか風流化して華美を競うようになった結果、オフネを「(オ)フリョウ」と称し、それが転訛し、神事全体をも「オフリョウ」と呼ぶようになった」と、オフリョウは「風流」(フリュウ)からの転訛と解かれている。同じような指摘はほかにもあるようだが、「風流」という単語の展開から見ると、違和感も少なからず覚える。
さて、先ごろ保存会の催事班のことについて触れたが、まったくの裏方にあたる催事班の方たち、この日もお船の後ろをリヤカーを引いて飲み物やらつまみやらを載せて移動していた。そして何と言ってもこの日のメインはお船を誘導する鈴の係である。飾付け班の班長が今年はそれを担われていたが、鈴一つでお船の動きを制御する。とりわけ曲がる時、あるいはオフリョウの時は鈴の役割は大きい。故のことなのだろう、お船が公民館に帰り、全員揃っての挨拶の際に、神社総代や保存会長といった面々の挨拶の後、最期を締めたのは飾付け班の班長であった。午後12時半に始まった曳行は、午後4時半に終了となった。ここまで1ヶ月余にものぼるこの日のための準備は、この時を経て完結したというわけである。
終わり
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