Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

富県の道祖神飾り

2018-01-12 23:30:30 | 民俗学

 

 今やほとんどの市町村に「○○誌」あるいは「○○史」というものがある。市町村史誌というやつだ。ただしその内容はさまざま。以前に詳細に触れた通り、わたしの住んでいる町の「○○史」なるものは、読むにはお勧めできない内容である。もちろん分野によって偏重があるから「全て」とは言わないが、編集がお粗末であることに変わりない。辞書代わりにこうした書物を開こうとすれば、索引はけっこう役にたつ。ないよりはあった方が良い。

 それはともかくとして、わたしがこうした書物を開くのは、ほとんど民俗事象に対して確認する場合である。したがって民俗編なるものがない市町村史誌を開くことはほとんどない。辞書的意図ならば、引用によって構成されたものでも悪くはないが、史実はもちろん民俗は変容していくから新たな記述であって欲しいのだが、引用中心に本編を作成している事例も希だが存在する。そのひとつが『伊那市史』である。正直言って、『伊那市史』はわたしの町の町史ほどではないが、あまり開くことはない。本編には別の本から引用している部分が多いし、そもそも引用を示していない部分にも、もしかしたら引用なのでは、と思われるような箇所が見受けられる。

 さて、今日伊那市富県を走っていたら、郵便局の前で見慣れない光景が。バス停と思われる建物を囲むように飾りが施され、随分賑やかな光景なのだ。飾られているのは今では当たり前のように門松の代わりに売られているもの。両脇に竹とソヨモが立てられ、繋ぐように縄が張られ、そこに飾りが吊るされている。実は主題はバス停の待合室の方ではなく、その左側にある道祖神である。同じように飾られ、前にはダルマがたくさん集められている。これを何の飾りというのか、近くを歩いていたお婆さんに聞いてみたがはっきりしなかったが、子どもたちが飾り立てているという。見かけ上辰野町から伊那市にかけて行われているデーモンジの系統の一種なのか、そんなことを考えたりするが、柱立て系とはちょっと言い難い。そこで『伊那市史』の記述を参考にしてみる。すると「道祖神飾り」というものについて事例が紹介されている。

賽の神の前に五色の紙を、青竹に結びつけ、御幣と五色の短冊で飾り柱に立てる。

というもの。これは『東春近村誌』よりの引用という。この事例、東春近であるからおそらく中殿島のもので、富県の事例ではない。とはいえ隣の地域であるから、この地域には似たような例があるのだろう。中殿島の例については蟹沢広美氏が「大出上組・北小河内漆戸の「大文字」調査報告書」で触れている。ようはデーモンジの一つとして取り上げている。引用文にあるように「柱に立てる」と言うから、柱立てにあたる。デーモンジと称してはいないのだろうが、デーモンジが多様な形を示していることから、同系のものとも言える。竹を柱と捉えてデーモンジとしている例は、辰野町羽場にいくつかあり、そう捉えると富県のものもデーモンジの系統といっても良いのかもしれない。


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