昨日は義姉の母の葬儀だった。義父(わたしにとって)が亡くなってちょうど1年。この1年間に身内が何人も亡くなった。この8月にはわたしの方も、妻の方も新盆にあたり、これで兄夫婦もそれぞれ新盆を迎える。一度に何人も身内を亡くすということは、一気に周囲が寂しくなるもの。
葬儀において兄がこんなことを口にした。「(こっちの家は)急に亡くなることばかり」と。ようは死に至るような病にはかかっていないのに、急に亡くなってしまうのだ。義姉には二人の兄がいたが、いずれも早くに亡くなって、もう義姉の家にはだれも残っていない。農村部ではなくマチ中だから、わたしのイメージとはちょっと違う地域。精進落としの際に隣組の人たちが席に座って「???」。2015年に義姉の兄が亡くなった時と違うのだ。やけに隣組の人数が多い。3年前だからなんとなく記憶がある。見覚えのない顔も…。聞くところによると、最近ふたつの隣組を合併したのだという。どうりで人数が多いはずだ。合併して初めての葬儀だったとか。賑やかになったものの、義姉の生家はこれで無住となる。この後、近所付き合いをどうしていくのか、悩ましい問題だ。
義姉の母は毎日1人で夜は過ごしていた。夕飯を義姉と一緒に食べると義姉は嫁ぎ先に帰り、就寝前に電話が入るという。そして翌朝目覚めの電話が入るというのだが、その日は電話がなかった。「何かあったのか」そう思って生家に帰ると母は少し胸のあたりを抑えるような格好で床で亡くなっていたという。死因となる病名が長くて覚えられなかったが、心筋梗塞系の病だという。正月には孫がひ孫を3人連れて顔を出して、元気にひ孫たちと接していたというのに、それが最期となった。何といっても亡くなっているのを発見した後のことだ。かかりつけの病院に連絡すると、朝方の忙しい時だったせいか、医者は行けないので警察に連絡するように、と言ったらしい。こういうかかりつけ医にはお世話になりたくない、ということなんだろうか。「自宅で老いた親を看取るにはどうしたらいいのでしょう」ということになる。この場合救急車を呼んでも、すでに亡くなっているのでそのままにして帰ってしまうという。そして警察に連絡されるので、救急車を呼ぶよりは警察に連絡した方が早いことにはなるが。警察がやってくると、家族全員事情聴取をされる。要するに、誰かが殺したのではないか? と云う疑問を晴らすために、家族全員から事情聴取をするのだという。それも義姉の子どものころのことまで聞いたという。どう関係しているのか解らないが、その事情聴取の長いこと。この場合かかりつけ医が来てくれなかったことによって、事情聴取になってしまったわけだ。母親が亡くなったという辛いときに、事情聴取で無関係なことを聞かれることほど悲しいことはない。もちろんそれが仕事の警察を責めるものでもないが、身内が亡くなったというのにその最たる近い者がそれに時を要してしまう。本当に厄介な話だ。
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