先ごろ同僚と車で現場に向かった際に、「止まれ」でほとんど止まっている様子がなかったので思わず「あれって一旦停止になってないよね、警察が見ていてもあの「止まれ」だったら捕まっちゃうよ」と意見した。同僚の意識としはそれが「止まれ」だったようなので、あらためて「止まれ」は確実に止まらないと一旦停止にならないということを諭した。
「止まれ」についてはかつて「止まる」という意思表示」で触れた。その際に記したように、わたしもかつては警察が見ていなければほとんど徐行状態で「止まれ」を通過した。完全停止はしなかった。しかし、もう25年ほど前になるだろうか国道を走っていて左前方の幅の狭い道から進入してきた車にぶつけられた経験があった。視界良好なので、こちらを認識しているだろうと思っていたら突っ込んできたのである。「あの車、もしかしたらそのまま出てくるのでは」と意識していてもぶつかっていただろうケースなので、仕方がないケースだったが、事故にはならなくても同じような思いをすることは頻繁にあった。したがって停止線に「止まる」ということはこのまま交差点内には入り込まないという意思の確認でもある。もちろん一旦停止しても同じことが発生するかもしれない。一旦停止した場面を相手が視認していなければ、徐行となんら変わりない。したがって一旦停止してもしなくても同じと捉えられるケースはいくらでもあるだろうが、あくまでも進入する側の意思表示はしておくべきだと思っている。
同僚の場合は明らかに徐行状態。ふつうなら切符を切られるところだが、実は同じように「止まれ」を通過しているドライバーの多いこと。踏切ではなおさらだ。先ごろの春の交通安全運動期間中、あちこちで警官の姿を見た。ふだんは停まっていないような場所にパトカーが停まっていたので「何を見ているのか」と周囲をうかがった。その際は「一旦停止」を見ていると解ったが、パトカーには一人。いわゆるパトカーは停まっているだけでも効果があると言われるから、あからさまに停まっているよりもいかにも見張っているみたいな停め方の場合違反者をあげようとしていると見たが、たまたま通りがかりの車が徐行に近い恰好で「止まれ」を通り過ぎてパトカーの方に向かっていった。「捕まるのか」とルームミラーでうかがっていたが何事もなく車はパトカーの前を通り過ぎていった。警官一人だったということもあるのだろうが、「捕まえる」のが目的でないのなら「注意ぐらいしろよ」と思ったのは言うまでもない。とりわけ交通違反の取締りは前述したように「捕まえる」のが前提で、「注意」ということは捕まえてからする。しかし、事故を減らそうという意識があるなら、もっと「注意」という行為をするべきではないか、とは「止まれ」以外の場面でよく思う。とりわけわたしが違反切符を前回切られたケース「進入禁止」違反は、とても曖昧な表示でわかりづらかった。あえてそれが解っていて見張っているのだから、そもそも何なんだと思わず口にしたかったが、言えなかった。
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