Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

コロナ退治を願う

2021-01-11 23:13:28 | 民俗学

 「セーノカミ」より

 

 

 考えるに東春近だけではなく、周辺部でも同じような行事は、かつて行なわれていたのかもしれない。そもそ三峰川をさかのぼった旧長谷村では小正月に柱を立てたという記録がある。また、以前東春近の東側にあたる富県の中心にある貝沼という集落で行われていた道祖神飾りについて触れたことがある。道祖神のところに注連縄を張って、派手に飾る習俗である。注連縄は、竹と竹の間に張られており、1本ではないため依り代としての「柱」という印象ではないが、七夕形の柱と捉えれば、捉えられなくもない。この飾りのことを、地元では「ほんだれ様」と称しているようだが、いわゆるこの地方での「ホンダレ」とは違うように思う。

 東春近からすぐなので、9日の日に立ち寄ってみた。ところが気がついていたことであるが、かつて飾りがされた道祖神の周囲は、県道拡幅のため様子が変わっていた。とばらく前に「今年はどこに飾るのだろう」、そう思っていたわけだが、道祖神の祀られている辻から100メートルほど西の貝沼の西原農業生活改善研修センター、ようは集会施設の庭に今年は飾られていた。しかし、かつて見たものとは少し違い、とくに今年は真ん中に大きな熊手が立てられ、それを中心に飾りがされていた。これが決まった「カタチ」というわけではないのだが、今年はこのような形で納まったという感じだ。10日の「長野日報」にこの行事が報じられていた。それによると昨年から場所を変えたようだ。飾りつけは西原常会の五つの班が順番に当番を担うのだと言う。なるほど当番制だから、毎年少しカタチが異なるのかもしれない。当番班だった5班の班長さんの言葉が報じられている。

もともとは五穀豊穣や無病息災を願って飾るものだろうが、今年の願いはとにかく新型コロナ退散。これが収束してくれないと何をするにも困るので、地域の思いとして、皆さんを代表して飾らせてもらった

と述べている。飾りの両脇に大きな文字が掲げられていて、向かって右側に「貝沼区」、左側に「ころな退治」とある。その大文字の後ろに竹が建てられていて、辰野町北大出あたりの比較的簡略化されたデーモンジに近いかもしれない。東春近のものと、まったく無縁ではないのではないかと考える。

続く


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