昨日の「長野日報」にながら運転についての小さな記事が掲載されていた。一昨年諏訪市で起きたひき逃げ死亡事故で運転していた当時19歳だった少年が、懲役2年10ヶ月という実刑判決を受けたというもの。記事では「ひき逃げ」について後に補足的に記しているため、スマートフォンを見ながら運転して「懲役2年10ヶ月」の判決を受けたような印象を与えるが、むしろその判決の重さはながら運転よりも、「ひき逃げ」だったため、と捉えたほうが現実的なのだろう。ちょっとばかし印象操作のように見受けられるが、いずれにしても記事では、ながら運転で実刑もある、ということを伝えたかったわけだ。
スマートフォンを見ようと視線をおとしただけでも実刑はある、らしい。近ごろ会社にやってきた方は、とっても忙しいのだろう常に耳にヘッドフォンをしていた。その理由はそうした運転中に利用したことによる警察の疑いを受けないためなのだと言う。そこまでして仕事に取り組む姿勢には頭が下がるが、ろくすっぽ携帯していないわたしにはまったくない世界だ。
高速通勤していても、横を走っている車のドライバーがスマートフォンを手にしている姿を、いまだによく見かける。もとろんわたしが警察だったら一発アウトである。かつてシートベルトが義務化されたころ、かなり遠くにいてもシートベルトをしていないと捕まったものだが、警察もそれらしい車にはすぐ気がつくもの。当たり前だろうが、常にそれを手にしている人々にとって、運転中も手放せないかもしれないが、「やらないこと」に損はない。
さて、記事にもう一度戻ろう。記事を記した方は女性だ。そしてきっと「若い方」なのだろう。記事の文末に「“運転中のスマホはかばんの中”を私自身守っていきたいです」と記している。あまりに当たり前すぎてびっくりするが、この書き方だと、かばんの中ではないのなら「手にしている」、ということなのだろうか。ようは運転していないと、かばんの中ではなく「手にしている」とイメージする。あらためて現代人は、それを「手にしている」のがふつうの人とスマートフォントの関係だと言っているようにもうかがえる。
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