蔵の辻から北、駅前通りからの道を西へ進むと、総社大神宮があります。地元では「おそんじゃさん」と呼ばれています。
総社は、平安時代末期(11世紀後半)に各地で成立したもので、国司の参拝施設として建立されました。それ以前は、国司は任地国の神社に参拝することが必要でありましたが、負担が大きいとのことで、任地国の各地の神社(一宮、二宮)を代表させた施設として総社が設置されたそうです。(ちなみに、越前一宮は敦賀の気比神宮、二宮は織田の剱神社です。)
総社大神宮のすぐ北には、国分寺があります。境内の案内板によると、739年に聖武天皇の勅命によって建立されたとのこと。奈良時代、聖武天皇は仏教の力で国を護る「鎮護国家」を目指し、各地に国分寺・国分尼寺を建立する勅令を出しており、各国の国府近くに寺が設置されました。平城京近くに建立された東大寺の大仏も「鎮護国家」の考えに基づいて造られたものです。何度かの火災に遭っているとのことで、現在の建物は奈良時代より後のものになっています。
総社・国分寺周辺の路地。古い町並みが残されています。
総社から少し南側に進むと、武生公会堂記念館があります。1929(昭和4)年に、武生町公会堂として建造されました。現在は、越前市の旧武生市地区に関連した郷土資料が展示されています。
公会堂記念館の玄関
(つづく)
○ 関連サイト
・ 総社大神宮
・ 武生公会堂記念館(越前市)
総社は、平安時代末期(11世紀後半)に各地で成立したもので、国司の参拝施設として建立されました。それ以前は、国司は任地国の神社に参拝することが必要でありましたが、負担が大きいとのことで、任地国の各地の神社(一宮、二宮)を代表させた施設として総社が設置されたそうです。(ちなみに、越前一宮は敦賀の気比神宮、二宮は織田の剱神社です。)
総社大神宮のすぐ北には、国分寺があります。境内の案内板によると、739年に聖武天皇の勅命によって建立されたとのこと。奈良時代、聖武天皇は仏教の力で国を護る「鎮護国家」を目指し、各地に国分寺・国分尼寺を建立する勅令を出しており、各国の国府近くに寺が設置されました。平城京近くに建立された東大寺の大仏も「鎮護国家」の考えに基づいて造られたものです。何度かの火災に遭っているとのことで、現在の建物は奈良時代より後のものになっています。
総社・国分寺周辺の路地。古い町並みが残されています。
総社から少し南側に進むと、武生公会堂記念館があります。1929(昭和4)年に、武生町公会堂として建造されました。現在は、越前市の旧武生市地区に関連した郷土資料が展示されています。
公会堂記念館の玄関
(つづく)
○ 関連サイト
・ 総社大神宮
・ 武生公会堂記念館(越前市)