幸橋南詰の橋詰広場から足羽川の河川敷を見下ろすと、何やら大きなコンクリートの物体が地面に埋め込まれている。
その正体は、旧橋の橋脚である。コンクリート製の、何の変哲も無い橋脚と思われるかもしれないが、実は昭和初期の頃から近年まで使用されていた。前の記事でも述べたが、幸橋は、1930(昭和5)年に、木製から鉄筋コンクリート製の橋に架け替えられ、福井鉄道の市内電車乗り入れが始まった。それから橋の拡幅が行われるなどしたが、橋脚は2001(平成13)年に架け替えが始まるまで、約70年の間、使用されてきた。この間、福井では空襲(1945年)、および震災(1948年)があったものの、橋が損壊することはなかった。
福井県では歴史的な遺産としての価値が高いとして、足羽川の河川敷に旧橋脚とその松杭基礎の保存をすることとした。当初は旧橋脚を立てた状態で保存することにしていたが、景観が悪くなるとの反対があり、埋め込む形での保存となった。旧橋脚は直に埋め込む形で、松杭基礎はガラス張りのケースに入れられた状態で、それぞれ保存されている。
現在の幸橋と橋脚
(続く)
その正体は、旧橋の橋脚である。コンクリート製の、何の変哲も無い橋脚と思われるかもしれないが、実は昭和初期の頃から近年まで使用されていた。前の記事でも述べたが、幸橋は、1930(昭和5)年に、木製から鉄筋コンクリート製の橋に架け替えられ、福井鉄道の市内電車乗り入れが始まった。それから橋の拡幅が行われるなどしたが、橋脚は2001(平成13)年に架け替えが始まるまで、約70年の間、使用されてきた。この間、福井では空襲(1945年)、および震災(1948年)があったものの、橋が損壊することはなかった。
福井県では歴史的な遺産としての価値が高いとして、足羽川の河川敷に旧橋脚とその松杭基礎の保存をすることとした。当初は旧橋脚を立てた状態で保存することにしていたが、景観が悪くなるとの反対があり、埋め込む形での保存となった。旧橋脚は直に埋め込む形で、松杭基礎はガラス張りのケースに入れられた状態で、それぞれ保存されている。
現在の幸橋と橋脚
(続く)