プロレス。
小学生時代からのファン。
今は休刊になったけれど
雑誌「週刊ゴング」が月刊だったころから
なけなしの小遣いをはたいて買っていました。
猪木さん、馬場さん両方とも大好きで
大人になってからは
会場に観戦しに年4回は行ってました。
尼崎総合体育館、京都KBSホール、大阪府立体躯会館・・・。
子供の頃は
猪木さんとハンセンが大好きで
延髄切り! ラリアート!
熱狂してました。
ずっとファンでした。
その後新しい選手が現れては
気にはなりますが
熱狂まではいたらなかった。
ただ、アルティメットウォーリアーは
なかなか来日しなくて残念でした。
新日本に上がっていたら
ヒーローになれたのに・・・。
1990年代日本が景気が悪くなるにつれ
プロレス人気が下火になり
インディなる小団体が乱立し
プロレスが学芸会の延長になってしまった。
プロレスは最強の格闘技なのに、
十派一からげになんでもプロレスと
位置づけされたことが低迷の原因。
だからこそ、
激しい厳しい最強のレスラー同士の
本物の格闘技として
普通の人間なら死ぬような荒業を駆使した
最強ののプロレスが生まれてしまった。
当時、全日本プロレスは世代交代の時期。
トップを狙うレスラーは、
最強のプロレスを目指し
また、馬場さんや鶴田さんという
カリスマを乗り越え、
観客を納得させる試合をしなければ
ならなかった。
三沢さん、川田さん、田上さん、小橋さん
少し遅れて秋山さん・・・。
とんでもない厳しく危険な荒業を駆使し
30分40分も試合を毎日繰り返し
命を削っていた。
観客は熱狂し白熱し大歓声を惜しみなく
選手たちに贈った。
そして、世代が変わり
時が流れ、
三沢さんが一時代を築く。
その三沢さんが
次世代にプロレスを受け継いで行くべく
邁進していた矢先・・・。
訃報・・・。
正直、驚きと信じられないという思いで・・・。
もうあの「エルボー」生で観れないと思うと
残念です。
三沢さんは、
近年の猪木さんがむちゃくちゃにしたプロレスや、
ハッスルのような学芸会を排除し、
乱立するプロレス団体をまとめる
コミッショナーのような存在になってくれると
思っていたのに・・・。
雑誌やテレビからの情報ですが
人間的にクレバーでスマート、
思慮深く行動力があり人情に厚い方に見えました。
だからこそ、プロレス界にとって必要な
人物だったと思います。
心からご冥福をお祈りいたします。
。。。