先日モノレールに乗っていてのこと。
空いていたので座っていると
県庁前駅でいっぱい乗って来た。
おばぁの2人連れが目の前に立ったので
どうぞと一声掛けて私は立ちました。
すると
2人のおばぁはお互いに遠慮し出し
なかなか座らない・・・。
どうみても
70歳~80歳くらいのお年寄り・・・。
どちらが年上か
話す内容で分かりましたが
私の方が若いとかなんとか
一向に座ろうとしない。
そうこうするうちに
見栄橋駅を過ぎ牧志駅に到着。
なんだか
席を譲った私の方が気が引けて来て・・・
結局
次の安里駅で下車するおばぁ達・・・。
座らずでした。
で、その座席は
安里駅で乗って来た別の兄ちゃんが座ってしまい
私は下車する古島駅まで立っていました。
彼女らが言うどちらが若いとか
私にとってみれば
どちらも十分なお年寄り。
よぼよぼのババァです。
この事をみていて
あることを思い付きました。
結局人間というのは
いくつになっても
“自分は若い、老いてない”
そう思っているということ。
60歳になろうが
70歳になろうが
他人から見れば身体は老いているけれども
自分の心の中は“不老”なのです。
いつまでも若いままなのです。
世間を見回しても
未だ権力の座から離れようとしない政治家や
地元の有力者たち・・・。
60歳を超え
70歳になってもまだ自分は現役だと勘違いしているまま・・・。
例えば
今度防衛大臣になった田中直記氏って71歳らしい。
民主党の小沢氏も今年で70歳のはず・・・。
彼らにとって年齢は関係なく
自分はまだ老いていないと思うどころか
若いと認識してしているはずです。
社会を見渡してみると
高齢社会がうたわれています。
もうすぐ
国民の4人の1人は65歳以上のお年寄りになるらしい。
だから
引退する年齢を先延ばしし
定年の60歳を65歳にとか
制限をなくすべきとか
生涯労働者いう議論が有ります。
生きているうちは元気に働く
そういう理論は一理あると思いますが
だからと言って
引退制度を廃止したり先延ばしにすることの根拠には
私は無理があると思うのです。
今の社会では
お年を召せば
“敬老”の名のもと
その人物がどうであれ偉くなって行く。
福祉の名のもと
社会的地位が自然とワンランク上がってしまう。
先に出た田中氏や小沢氏など
ものすごい権力を手中にして
ものすごいお金を報酬としてもらい
常人では考えつかない莫大な隠れた権益をもらっている。
年金もすでに受給している。
昭和の名残か
日本の慣習か
年功序列は未だ健在で
下の者は
そういったお年寄りに口出しが出来なくなって行く。
年が上になれば尚更権力を手中にするから・・・。
これを老害と言わずにいられるでしょうか。
周りからみれば
十分な老人なのに
本人は一向に年を取ったと思わず
依然として
心の中は若者のままなのです。
だから失態をしない限り引退をしない。
世の中
老人ばかりが権力を持つと
既得権益に群がる人のみが社会に資産を還元せず居残り
新しい発想や
バイタリティ溢れた若い人材が消されてしまうか
流出して行ってしまう。
一つの良い例が思い浮かびました。
プロ野球の横浜ベイスターズです。
あの球団は
読売グループの言いなりで
80歳を超えたナベツネ氏の思うがままの球団。
新しいオーナーが決まったようですが
GM高田氏も中畑氏も読売出身者。
初め工藤氏が監督候補だったようですが
報道では現役にこだわるので
選手兼監督で引き受けたいという要望が
オーナー側と折り合いが付かなかったされていました。
私は嘘だと思います。
ナベツネ氏の息が掛かった元読売の選手などを
コーチなどとして使えとかいったのだと思っています。
結局
裏でナベツネ氏の思惑を汲んだ命令が有ったのでしょう。
それに反発して
工藤氏は引き受けなかったのだと私は思っています。
監督了承ならずとの報道のあと
すぐに現役を引退しているように
あれも一連の報道に対しての
権力への抵抗だったのかもしれません。
すべての老人が悪いとはいいません。
現にすばらしいお年寄りも多く存在します。
そういう方はみな
引き際を知っていはります。
すばらしくお年を召し現役でいる方は
個人商店だったり
代々の味や伝統技術を引き継ぎたいのに
後継者がいないなどの理由がある方が多いようです。
その他は老害・・・。
もういい加減
老害な老人には遠慮していただきたい。
あくまで個人的な意見ですが
年金の窓口に座っていて
苦情を言ってくるのは
若いころに遊んで何も考えていなかった方ばかり。
毎日毎日苦情が山積みで
聞く方もしんどい。
制度の欠陥を抗議するなら
いくらでも聞きますが
50歳越えて将来が不安だから
初めて年金に入りたいなど
聞けない相談です。
それをクドクドと
年寄りに死ねということか など
駄々をこねるのは止めてほしい・・・。
みっともない。
でも、
そうとは言えず
いろいろ相談に乗ってあげなければならないわけで・・・。
そう言った人でも
65歳、70歳になったら
知らない人には敬老の名のもと
偉くなるんでしょうね・・・。
こんな年寄りの老害を食い止める定年制度は
絶対になくすべきでないし
無くしたら“老人の暴走”を誰にも止められなくなる危険がある。
良い例にもう一つ
黒柳徹子氏。
彼女は超人的な滑舌の良さを持った
すばらしい司会者でした。
ところが
最近はどうでしょうか。
先日空港の待合で徹子の部屋を観ていると
入れ歯特有の空気の抜けたような発音が激しく
昔のような姿を連想していた私には
見る影も無かった・・・。
もう引退の時期でしょう・・・。
でもそれを誰も言えない。
年を取ったが故の権力者だからです。
黒柳さんは大好きです。
ベストテンの久米さんとの駆け引き大好きでした。
ユニセフ大使にもなられ・・・
本当にすばらしい方だと思います。
だから残念なのです。
すでに
引き際でしょう。
そういった老害が益々増加して
社会の閉そく感が生まれるような気がする。
それの恐ろしい部分は
個人としては
「年を取ってもバイタリティに溢れている」と
「自分はまだまだ若い」と思っているのに
社会的なバイタリティは というと
その個人の思い込みが
全体のバイタリティを無くす原因なっている
“それに気が付いていない”
そういった現実が有るという部分なのです。
。。。。
空いていたので座っていると
県庁前駅でいっぱい乗って来た。
おばぁの2人連れが目の前に立ったので
どうぞと一声掛けて私は立ちました。
すると
2人のおばぁはお互いに遠慮し出し
なかなか座らない・・・。
どうみても
70歳~80歳くらいのお年寄り・・・。
どちらが年上か
話す内容で分かりましたが
私の方が若いとかなんとか
一向に座ろうとしない。
そうこうするうちに
見栄橋駅を過ぎ牧志駅に到着。
なんだか
席を譲った私の方が気が引けて来て・・・
結局
次の安里駅で下車するおばぁ達・・・。
座らずでした。
で、その座席は
安里駅で乗って来た別の兄ちゃんが座ってしまい
私は下車する古島駅まで立っていました。
彼女らが言うどちらが若いとか
私にとってみれば
どちらも十分なお年寄り。
よぼよぼのババァです。
この事をみていて
あることを思い付きました。
結局人間というのは
いくつになっても
“自分は若い、老いてない”
そう思っているということ。
60歳になろうが
70歳になろうが
他人から見れば身体は老いているけれども
自分の心の中は“不老”なのです。
いつまでも若いままなのです。
世間を見回しても
未だ権力の座から離れようとしない政治家や
地元の有力者たち・・・。
60歳を超え
70歳になってもまだ自分は現役だと勘違いしているまま・・・。
例えば
今度防衛大臣になった田中直記氏って71歳らしい。
民主党の小沢氏も今年で70歳のはず・・・。
彼らにとって年齢は関係なく
自分はまだ老いていないと思うどころか
若いと認識してしているはずです。
社会を見渡してみると
高齢社会がうたわれています。
もうすぐ
国民の4人の1人は65歳以上のお年寄りになるらしい。
だから
引退する年齢を先延ばしし
定年の60歳を65歳にとか
制限をなくすべきとか
生涯労働者いう議論が有ります。
生きているうちは元気に働く
そういう理論は一理あると思いますが
だからと言って
引退制度を廃止したり先延ばしにすることの根拠には
私は無理があると思うのです。
今の社会では
お年を召せば
“敬老”の名のもと
その人物がどうであれ偉くなって行く。
福祉の名のもと
社会的地位が自然とワンランク上がってしまう。
先に出た田中氏や小沢氏など
ものすごい権力を手中にして
ものすごいお金を報酬としてもらい
常人では考えつかない莫大な隠れた権益をもらっている。
年金もすでに受給している。
昭和の名残か
日本の慣習か
年功序列は未だ健在で
下の者は
そういったお年寄りに口出しが出来なくなって行く。
年が上になれば尚更権力を手中にするから・・・。
これを老害と言わずにいられるでしょうか。
周りからみれば
十分な老人なのに
本人は一向に年を取ったと思わず
依然として
心の中は若者のままなのです。
だから失態をしない限り引退をしない。
世の中
老人ばかりが権力を持つと
既得権益に群がる人のみが社会に資産を還元せず居残り
新しい発想や
バイタリティ溢れた若い人材が消されてしまうか
流出して行ってしまう。
一つの良い例が思い浮かびました。
プロ野球の横浜ベイスターズです。
あの球団は
読売グループの言いなりで
80歳を超えたナベツネ氏の思うがままの球団。
新しいオーナーが決まったようですが
GM高田氏も中畑氏も読売出身者。
初め工藤氏が監督候補だったようですが
報道では現役にこだわるので
選手兼監督で引き受けたいという要望が
オーナー側と折り合いが付かなかったされていました。
私は嘘だと思います。
ナベツネ氏の息が掛かった元読売の選手などを
コーチなどとして使えとかいったのだと思っています。
結局
裏でナベツネ氏の思惑を汲んだ命令が有ったのでしょう。
それに反発して
工藤氏は引き受けなかったのだと私は思っています。
監督了承ならずとの報道のあと
すぐに現役を引退しているように
あれも一連の報道に対しての
権力への抵抗だったのかもしれません。
すべての老人が悪いとはいいません。
現にすばらしいお年寄りも多く存在します。
そういう方はみな
引き際を知っていはります。
すばらしくお年を召し現役でいる方は
個人商店だったり
代々の味や伝統技術を引き継ぎたいのに
後継者がいないなどの理由がある方が多いようです。
その他は老害・・・。
もういい加減
老害な老人には遠慮していただきたい。
あくまで個人的な意見ですが
年金の窓口に座っていて
苦情を言ってくるのは
若いころに遊んで何も考えていなかった方ばかり。
毎日毎日苦情が山積みで
聞く方もしんどい。
制度の欠陥を抗議するなら
いくらでも聞きますが
50歳越えて将来が不安だから
初めて年金に入りたいなど
聞けない相談です。
それをクドクドと
年寄りに死ねということか など
駄々をこねるのは止めてほしい・・・。
みっともない。
でも、
そうとは言えず
いろいろ相談に乗ってあげなければならないわけで・・・。
そう言った人でも
65歳、70歳になったら
知らない人には敬老の名のもと
偉くなるんでしょうね・・・。
こんな年寄りの老害を食い止める定年制度は
絶対になくすべきでないし
無くしたら“老人の暴走”を誰にも止められなくなる危険がある。
良い例にもう一つ
黒柳徹子氏。
彼女は超人的な滑舌の良さを持った
すばらしい司会者でした。
ところが
最近はどうでしょうか。
先日空港の待合で徹子の部屋を観ていると
入れ歯特有の空気の抜けたような発音が激しく
昔のような姿を連想していた私には
見る影も無かった・・・。
もう引退の時期でしょう・・・。
でもそれを誰も言えない。
年を取ったが故の権力者だからです。
黒柳さんは大好きです。
ベストテンの久米さんとの駆け引き大好きでした。
ユニセフ大使にもなられ・・・
本当にすばらしい方だと思います。
だから残念なのです。
すでに
引き際でしょう。
そういった老害が益々増加して
社会の閉そく感が生まれるような気がする。
それの恐ろしい部分は
個人としては
「年を取ってもバイタリティに溢れている」と
「自分はまだまだ若い」と思っているのに
社会的なバイタリティは というと
その個人の思い込みが
全体のバイタリティを無くす原因なっている
“それに気が付いていない”
そういった現実が有るという部分なのです。
。。。。