Heart Beat

草なぎ剛くんのこと、読書記録など・・・気ままに更新♪(コメント&TBは承認制となっています)

1月17日

2006-01-17 23:53:35 | ひとりごと

今日の昼休み、高校時代からの友達が職場におみやげを持ってきてくれました。
彼女と初めて同じクラスになったのは高校3年のとき。席が近かったこともあって仲良くなったのだけど、新学期がスタートして1ヶ月ほどたった頃に高校最後の遠足で遊びに行った神戸で、それまでの「仲良くしてる」状態から本当の「仲良し」になれたような気がします。地図を見ながらあっちこっちまわったり、道に迷ったり、違う電車に乗りそうになったり・・・一緒にいろんなドジをしては笑い転げたりしてるうちに、距離が縮まっていったように思います。

それから数ヶ月後の1月17日、阪神淡路大震災が起こりました。
11年前のこの日、それまでに体験したことのない激しい揺れで目が覚めました。ガタガタ・ミシミシと恐ろしい音を立てて激しく揺れる家。布団の中で考えていたことは・・・「今より大きな揺れが襲ってきたらどうしよう? 家がつぶれる!? 早く、揺れ、止まって!!!」
数十秒後、家はつぶれることなく、揺れはおさまりました。隣の布団で寝ていた妹や隣の部屋で寝ていた両親と声を掛け合ってお互いの無事を確認したあと、父が1階の状況を確かめるために、寝室のある2階から下へ降りていきました。1階では、棚などに置かれたものが床に散乱していたそうです。
余震がこないか心配する中、ニュースが聞きたくてたまらなかった。当時、2階にTVが無かったため、ラジカセでラジオの関西ローカル局にチャンネルを合わせました。ラジオから人の声が流れてきたとき、とてもほっとしました。「大丈夫、ラジオがついたから大丈夫」そう思いました。地震で揺れが一番ひどかったのは自分の住んでいる地域で、ラジオ局がある大阪などのその他の地域は大丈夫なのだと早合点したのです。少し安心して布団の中に戻り、妹とさっきの地震の震度はどれくらいだろうと話していると、阪神高速道路で倒壊が起こった情報があるとの信じられないニュースが流れてきました・・・

明るくなるにつれて、被害の状況が明らかになっていきました。高校3年だった私は、当時受験勉強の真っ最中。でもあの日、私は1日中TVの前から離れることができませんでした。家族や友達と遊びに行った楽しい思い出がたくさんある神戸の街。その神戸の信じられないような光景が、TVで流れている・・・とても勉強する気にはなれませんでした。

私の住んでいる地域は、震源地から離れていることもあり、特に大きな被害はなく、親類や知人にも震災による被害を受けた人はありませんでした。
でも、あの震災後、私たち家族の生活も少し変わりました。それまで以上に地震対策に気を配るようになりました。例えば、避難グッズをそろえたり、飲み水や非常食を準備し、半年に1回は中身を入れ替えるようになりました。地震についての特集番組は必ず見るようになりました。大地震が起こったときはどのように行動するかを話し合ったりもします。



二度と大地震は起こってほしくない・・・でも、この日本にいる限り、いつかまた大地震に遭遇することになりそうです。(ちなみに、私が住んでいるところは南海地震の影響が懸念される地域です。)
11年前に起こった大震災の教訓を生かして、生き延びるための対策を講じることは、阪神淡路大震災やその他の震災で亡くなられた方々の死を無駄にしないということに通じるのではないかと思います。
1月17日という日は、震災で亡くなられた方々のご冥福を祈るとともに、地震の恐ろしさについて真剣に考え、そして家族や友達の大切さについても考える日でありたいと思います。