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草なぎ剛くんのこと、読書記録など・・・気ままに更新♪(コメント&TBは承認制となっています)

『沈黙』

2007-09-16 11:15:00 | 読書

2007  No.10  9/8~9/14



作者:遠藤周作(新潮文庫)



評価・・・★★★★★ 5.0



一言では言い表すことができない深い感動がありました。


<あらすじ>
キリスト教が禁じられ信徒が次々に迫害を受けている日本から、師と仰ぐフェレイラ教父が棄教したとの知らせを聞いたポルトガル司祭・ロドリゴ。その噂の真実を確かめ、そして苦境にある日本人信徒を救うべく、マカオを経由して日本へ潜入するが・・・

!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!ネタばれ注意!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


ロドリゴは日本潜入に成功し、苦難に耐えて信仰を捨てずに懸命に生きている日本人信徒に出会えたものの、彼の潜入を手引きしてくれた信徒・キチジローに裏切られ捉えられますが、人々の思惑によって拷問を受けることもなく生かされ続けます。

このキチジローがやっかいな奴で、裏切りながらもロドリゴの元からなかなか離れようとせず、たまにロドリゴが表へ出たときは必ず出没します。そして自分の弱さを訴えて、ロドリゴに許しを求めようとします。
ロドリゴはキチジローの姿にユダを、自分をキリストに置き換えては苦悩し、ときにはあまりの類似性に感動を覚えたりもします。

棄教すれば拷問を受けている信徒を助けてやると言われながらも、ロドリゴは棄教もできなければ、信徒の代わりに死んでやることもできません。
一方、一緒に日本へやって来た司祭ガルペは、処刑されようとする信徒を助けようとして命を落とします。
ロドリゴは懸命に神に語りかけますが、神は沈黙したまま何も語りかけてはくれません。ロドリゴの心は激しく揺れ動きます。神の存在を疑ったり、沈黙したままの神を責めたり、信仰を棄てようと決意したり、やっぱり神にすがったり・・・

なかなか信仰を棄てようとしないロドリゴは、ついにフェレイラ教父と再会させられます。
フェレイラは噂どおり棄教し、日本人名を与えられ、妻子までも与えられていました。そして幕府に利用され、キリスト教は不正であるという書物まで作成させられています。
フェレイラはロドリゴに、日本人は神という概念を持たない民族であると告げ、これまで布教してきたことが無駄であったと示唆します。この「日本人は神という概念を持たない民族」という一言と、その前後の日本人の宗教観に関する言葉は日本人の本質を突いていて非常に重い言葉でしたが、ロドリゴには理解できません。

ついにロドリゴは狭い汚物まみれの空間に閉じこめられます。いよいよ拷問が始まるのか、と覚悟を決めるロドリゴは、鼾のような物音を聞きます。けれど、その音は鼾などではなく、拷問にかけられて苦しみに呻く信徒の声だったのです。
そこへたたみかけるようにフェレイラが語りかけます。自分が信仰を棄てたのは、拷問に苦しむ信徒たちに、神が何もしなかったからだ。本当に神がいるなら、神は信徒を守るために自分の命に替えても信仰を棄てただろう。自分たちがなかなか信仰を棄てられないのは、教会を裏切り教会の汚点となるのが怖ろしいからだ、と。
ロドリゴはすっかり追いつめられて心はもうボロボロです。そして踏絵の前に引きずり出されます。フェレイラに勇気を出して踏むよう促されて、神をかたどった銅板に足をかけようとしたとき、ついにロドリゴは神の声を聞きます・・・

この後半部分は緊迫感に満ちていて、よそ見や中断を許さないものがあり、夢中で読み進んでしまいました。
果たして、ロドリゴの聞いた神の声とは、本当に神のものだったのでしょうか?
そこは判断の分かれるところかと思いますが、「たとえあの人は沈黙していたとしても、私の今日までの人生があの人について語っていた。」という一文から、私はロドリゴが神の教えとその存在についてついに得た悟りが、あの神の言葉になったのではないかと思います。
全てを許し、全てを受け入れ、全てを愛する神。それがロドリゴにとっての神の姿なのでしょう。そして、実際にカトリック教徒であった作者・遠藤周作が得た神の姿でもあったと思います。
そして、フェレイラ教父や、ロドリゴに棄教を迫った奉行が語った日本人と宗教との関係の部分も、作者の得た日本人像なのだと思います。

私は自分が仏教徒だと認識していますが、お寺にお参りするのと同じくらい神社にお参りするのが好きだし、日本神話やギリシャ神話に描かれる人間くさい神さまたちが大好きで、旅行で教会を訪れれば何の迷いもなくお祈りできてしまう人間です。
神の存在については、半分信じて半分信じてないというのが正直なところです。
でも、そんな私でも、この作品には強い感動を覚えました。

物語の最後は「切支丹屋敷役人日記」という章になっていて、文語調で書かれています。これを読むとまたキチジローが登場していて、どうも厄介なことをしでかしていそうなのですが、何しろ文体が文体なので誤った読解をしているかもしれません。一般人としては、この部分も口語調にしてほしかったです・・・


この作品はスコセッシ監督により映画化される計画があるそうです。
どんな作品になるのでしょうか?