猫と共に余生を穏やかに過ごす

猫との生活記録が主です。
サブでヘルニア闘病記事も有りますが、徐々に趣味の記事へと移っていきます。

つばさの好奇心

2022-04-04 21:50:55 | 日記

つばさ日記0404夜「つばさの好奇心」

私の帰宅後、つばさの様子は安定している。約五十時間ぶりの再会に、つばさは大盛り上がりで大歓迎であった。悪い気はしない。一泊二泊なら平気のようである。エアコンさえちゃんと使えば。むしろ、たまには離れた方がより仲良くなれるのではないかとも思える。

今回、トイレは二つ置いたが、定位置の大トイレばかり使っていた。離して置いた中トイレには小が一回だけであった。猫砂の様子は予想通り悪くなっているが、一旦大トイレに全てを敷いた湿気た物凄い厚みのある猫砂上で、まったく暴れまわることなくトイレをしていた。この湿気で快適なはずはないので、猫類補完計画にかなりの量を一気に回す。厚みは減ったが、相変わらず上品にトイレをしている。元々、荒らしまわると言っても大したことがなかったのだが、ここまで大人しいというのも不思議なものである。明日5日の午後早くには快適な猫砂が約束されている。しばしの辛抱である。

繰り返しになるが、使っている猫砂は金持ちか、私のように猫類補完計画ができる暇人(いや、意外に忙しいのだが)しか扱えそうにない。非常に高性能で、とにかく消臭効果が凄い。帰宅時もメイン部屋の中は少し匂うだけであった。普通に使うとコストの非常に高い猫砂であるが、補完計画のお影で私の出費も大したことは無い。高価な物で、一旦慣れると変えにくいらしいため、おいそれと人に勧める訳にはいかない一品である。ざっくりと集計してみる。約4か月で用意した12袋中4.5袋を使用済み、概算でざっくり月一袋、月あたりに直すとおよそ500/月といったところである。初期は巻き込んだ猫砂はすべて捨てており、毎日牛乳パックが一杯になった。猫類補完計画を始めてから、平均で6割ほどの猫砂を再利用している。ということは、すべて捨てて月に1250円で、思ったほど高くないので、お金持ち限定という訳ではないようだ。まあ、上記は修正せずにそのままにしておこう。あくまでイメージの話、となった。

4日夜、つばさが珍しく、トイレ掃除を覗きに来た。多分、初めての事である。直後、続けて、ちゅ~る包装などを捨てているプラ容器用のゴミ袋に頭を突っ込む。猫砂の空き袋である。トイレ掃除中の私が口頭で注意すると一旦は辞める。しかし再び頭を突っ込む。だっこで移動すると、諦めた。トイレ掃除に戻る。聞き分けは良いようだ。悪い事をしている自覚もありそうだ。これは二度目か。前回とは違い、ゴミ袋の口を縛るまではしないが、今夜はどうなることやら。一応、さっきは言う事を聞いたので、特別ちゅ~るタイムとする。この二例は、つばさの好奇心が少しではあるが喚起されてきているとの印象を受けた。食べ終わって、タバコの煙が流れていくのを不思議そうな表情で眺めるつばさであった。

ちょっと思ったのは、目の開き具合が状態によって異なるという事である。今のようにちゅ~るに満足した時は、目は爛々と輝き、もっとくれと言わんがばかリである。眠たい時は半目や薄目で見ているこちらまで眠くなる。文量的に非常に具合が良いので、ここで投稿する。


出かけた際の出来事【後編】、ハレの日が終わり、ケの日が始まる銅鑼の音

2022-04-04 17:31:25 | 日記

つばさ日記0404朝「出かけた際の出来事【後編】、ハレの日が終わり、ケの日が始まる銅鑼の音」

4/2(土)朝、前記事末尾の通り、再び脊椎に違和感が発生、これまた再びお風呂を急遽、準備してもらい入浴する。やはり小一時間で急速に回復する。かなり不自由な体になったものである。親戚には迷惑をかけてばかりである。一体、何しに来たのか。距離がある割には頻繁に顔を見せに行く親戚ではあるが、もう少し回復してから再訪することを決めた。

法事での正座の際、可能な限りまともな姿勢になろうと努力した。結果、足はほとんど痺れなかった。脊椎の位置取りが非常に難しく、考え抜かないと位置を定めることができない。これも小脳に覚え込ませなければならない。あとは読経の息継ぎ、ブレスの位置が気になった。経本の段落変えの空白部分から意図的に一文字ずらしてブレスしている、と法事後の食事での参列者の間で一致を見た。この食事の席では、私と同様に親に宝物を捨てられた事がある、という経験談も飛び出し、どこでも同じであるのだと実感できた。また、私が歳を取ったと実感できることもあった。以前より聞く力が明らかに低下している。気持を入れ直す。どうやら考え事をしていると耳からの言葉が頭に入らないようだ。私も一つ、発達段階が進んだのかもしれない。

せっかく山を降り、里に出たので法事の後も可能な限りの予定を詰め込んでいる。睡眠不足に陥るが、それを取り戻すのは帰宅後である。多数の話題が出たが、ここに出して差支えないものというと、米ドラマの「This is us」が凄い、という情報を得た事がある。あとはちょっとしたなぞなぞを出された。頭の中に入れておけば寝ている間に考えているかもしれない。と思っていたら、答えが浮かんだので連絡を入れた。たぶん正解である。

書いておきたいことが一つあった。二十年というと大袈裟だが、ここ十数年、チマチマと通っている店がある。その店では私の変化にあっさりと気付かれた。人を見るプロなのだから当たり前なのかもしれない。まあ、そもそも私が猫を飼い始め、ブログを始める、という時点でかなり変なのだが。脳への入力、つまり人の話を聞く力が落ち始め、出力、つまり自分語りをすることが多い高齢者の段階へと確実に一歩進もうとしている。判っておれば、ある程度は止められるものなのではないかと期待している。

里の方で大きな移動を二回、行ったが、ブレーキを左足ですることで、かなりの改善が見られた。左右差を極力なくす体の動かし方、使い方が重要だと痛感した。自宅への帰路も同様で、これだけでもかなり変わってくる。最初の一歩から大きく間違っていたという事である。

夕方に帰宅、仏壇、夕食、片付けが中途半端なまま夜早くに一旦横になる。この際、1/17以降、初めて横を向いて寝た。右を下にして寝ていたのである。半ば寝ぼけながら体をモゾモゾ動かすと、腰椎が今までで最大の音を立てて離れた。脳にまで響く大きな音であった。この音を持ってハレの日は終わる。ケの日が始まる銅鑼の音である。日付の替わる寸前に起床、日常に戻る。いや、少しばかり変化した日常が新たに始まる。


出かけた際の出来事【前編】、入院しないで良かった&住職との対話

2022-04-04 01:26:13 | 日記

つばさ日記0404未明「出かけた際の出来事【前編】、入院しないで良かった&住職との対話」

法事で親戚の家へ。1/17以来、最長の運転が1/29の鍼灸院通院だった。今回は時間にしてそれのおよそ3倍の運転となる。中間地点、コンビニでの休憩時に脊椎の異常を確認、親戚宅到着時にはピークに達し、その場に崩れ落ちる。同じ姿勢をまとまった時間続けるとまだまだ不味い。ヘルニアは全く治っておらず、通常の医師なら即入院の判断を下すかもしれない。しかし入院すると、事故や事件防止のために長時間の自由入浴は許されない。何よりもつばさと離ればなれになってしまう。更に言えば、完治などしない。

大至急、用意してもらったお風呂に入る。ヘルニアは症状を自己流で抑え込んでいるだけだと痛感する。急速に体全体が伸びてゆく。入院しなくて本当に良かった。比較的短い入浴時間、小一時間ほど。これであっさりと完全復活を果たす。省略できることはどんどん飛ばして行く。

とりあえず、レコードの基本的な手入れは、オーディオテクニカのレコードクリーナーが良いと現物を見せてもらう。小さい頃の記憶が蘇る。進化しているのか、乾湿両式でかなり大型化しているように思う。ここは少し記憶に自信がない。というか、話題に出すと一瞬でレコードクリーナーとクリーニング液のボトルが出て来た。レコードプレーヤーは物置に置きっぱなしにしており、日常的には聴かなくなっているそうだが、この片付けの良さ、されに言えば部屋の整理整頓、掃除による清潔さの維持は見習いたい。食事にしても、私のように必要栄養素を効率的に摂るだけではなく、色どりなども考えている。このまめさは真似できるものではない。しかし、私が失っているものを示されているかのようだった。

親戚も早寝なので、私の睡眠パターンは維持できる。20時過ぎには挨拶し消灯。疲れていたので起きたのは四時ごろ。予想よりも遅くなった。大量の水分、タバコ、準備運動。極めて静かに行う。親戚が起きてくる気配は全くしない。五時半ごろ散歩へ。帰ると七時を過ぎていた。なぜこんなに長時間になったのか、次に簡潔に書く。

近くに大きな寺があった事を思い出す。初めて寄ってみた。門が凄い。圧倒される。開放されている立派な本堂へ。裸足に廊下が心地よい。一通り巡り、記帳する。体も十分に伸ばせた。外にある時計をふと見ると六時丁度。良い頃合いなので帰路へ。このタイミングで住職が声を掛けてきた。ここからの会話、説諭が七時丁度まで続き、体が冷える。住職の話を簡単にまとめる。漏れは当然あるだろう。

・ヘルニアは、仏壇を閉め、先祖供養をしない私の不信心さが招いたもの。祖先を敬い、仏壇を適切に扱えば快方に向かうだろう。
・3神社を巡る前に上記の仏壇の件に気を回すべきではないのか。シンプルな方法でも良い。
・生きている、ではなく、生かされている感覚を。自分の成果も様々なものの巡り合わせで得たものであり、誇り奢ってはいけない。
・輪廻転生、因果応報。
・阿修羅ちゃんは知らない。阿修羅と弥勒の件少々。
・私は宗教に興味がないはずなのに、何故か阿修羅などに魅かれる。この理由は、先祖が声を上げているからで、それに応えるべき。
・五感を大事に。五感があったうえでの第六感、という逸話少々。
・豆知識として、手の指10本には、それぞれ世界が対応する。宗派を聞き忘れた。
・関連して、法事に来ていただいたご僧侶に聞いた結果をここに先出ししておく。真言宗では親指以外は4要素(火、水、土、風)を、親指は時空を意味する。先述の世界に対応する考え方よりかなり単純化されている。庶民の仏教だから、という事なのか。この事情はよく判らない。

率直な感想を端的に書く。仏壇を開ける事にする。シンプルだがお供えなども行う。過去帳もある。祖先なくしては今の自分がないのは確実な事実。ヘルニアの症状を散らすために使った知識や技法を教えてくれた方々を思い出す。お金を払ったのだから教えてもらって当然、という態度では元々なかったが、それでも配慮が不足していた。家中に張り巡らされた手すりや前日に貰った貼るカイロなど、明らかに自分の準備ではない要素もあって救急搬送を免れていたのも事実である。これを忘れてはならない。

この屋外での会話により体が冷えたので再び脊椎に強い違和感を覚えたが、一旦、ここで投稿する。