猫と共に余生を穏やかに過ごす

猫との生活記録が主です。
サブでヘルニア闘病記事も有りますが、徐々に趣味の記事へと移っていきます。

2022-04-21 百億の昼と千億の夜 光瀬龍著 感想になっていない雑文 その3

2022-04-22 04:02:01 | 趣味・興味

前の記事にもありますが、午前一時に起床しました。とにかく溜まっている仕事を片付けます。月が椅子に座ったまま見えますのでエコーで「月光」を低音量で掛けながらです。そう言えば寝ている時、つばさは私の伸ばした膝の上に居ました。今では寝返りがうてるのですが、その寝返りをうった時に、つばさが膝から落ちた感触がしました。その後、つばさは片手を私の膝に置いたまま寝ていました。可愛いものです。そういえば、最近、つばさの存在が不思議になってきました。うまく言えないのですが、居て当然、という感覚です。居なくなった時の事は想像すらしたくありません。つばさが私に慣れてきたのと同時に、私もつばさに馴染んできたのでしょう。

午前四時には用事も落ち着き、読書に戻って日の出を待ちます。巻物の描写やプラトンの前半生が詳述されています。漫画ではとても出せない情報量なのは当然で、むしろ萩尾氏はたくさん削らざるを得ないことに残念な気持ちがあったのでしょう。その気持ちは漫画版の表紙裏扉にも書かれていました。

ついでですが、光瀬氏に萩尾氏が阿修羅王の性別を尋ねた時、光瀬氏は返答に困った、というエピソードがとても好きです。

ちょっとプラトンについて関連する記述がウェブにないか探してみます。便利な時代ですね。『ティマイオス』および『クリティアス』でして、アトランティスに言及した書物としては最古の物ということでした。ごく簡単に書きますと、世界や日本で度々ブームになる、ナチスにも利用され危険な側面もある、今でいうSF的な扱いからオカルト的な扱いまで幅広い、驚くべきことに現在でも信じている人が実在する、SFとして扱うには問題がなさそう、と若干の個人的解釈も含めてまとめておきます。

思えばイデアに初めて触れたのがこの小説でした。概念を想定することまではいいのですが、不可知なものの存在を仮定することで何が得られるのか、私も思慮思考がまったく今でも足りていません。当時も生意気なガキでした。今も同じですが。経験的理性から普遍的理性への発展の必要性は非常に良く判ります。それにしても光瀬氏はパないっす。「よみせられる」は知恵袋にありました。「嘉せられる(よみせられる)」は「嘉する」の未然形のようで、意味は「自発・可能・受身・尊敬」のうちの、尊敬と捉えるのが良いようです。日本語は難しいです。

午前五時前から、鳥たちが鳴き始めました。65ページで一旦止め、朝食などを済ませます。よく考えると昨日の夕食を食べていませんでした。揚げ芋を食べたのを思い出しました。つばさに猫草もあげていませんが、ウインナーをかなりたくさんあげましたので満足したようでした。外で歯を磨きながら朝露と苔の感触を足の裏で楽しんでいると、突然、とんでもない大きさの鳥の鳴き声がしました。ホトトギスはずっと鳴いていますし、ウグイスもたまに鳴きます。他の小鳥たちは常時、鳴いていますが、大きな鳥が鳴くのは珍しいように感じました。母屋の屋根の上に居るようで姿は見えませんでした。正直、声の大きさにぎょっとしました。邪魔なカラスを威圧したかのようでした。そのまま中神社へ向かいました。十円玉をタバコ巻き器の上に忘れ、幼鳥は声がせず、ウグイスが大声で鳴いていました。つばさが二階への階段途中でお出迎えしてくれたのは初めての事だと思います。そのまま膝上です。皮膚の下に僅かですが脂肪が付いてきたようです。書き忘れるところでしたが、背中は十分に柔らかくなっていました。本当に忘れることが出来たら良いのですが。

春なので眠くなり、二時間弱、横になっていました。つばさが近寄ってきて、鼻同士をかなり激しくぶつけてきます。これでは眠れないので顔を上に向けると、顔と枕の間につばさの頭が入り込んできました。シャッターチャンスでしたが、携帯が遠いので諦めました。狭い所に入り込むのが好きなのでしょうね。この後はつばさもそのまま眠ってしまい、私の右手中指に左手でしがみ付いてきました。たまに爪でギュッとしてくるのですが、寝ぼけているようでそれほど強くではありませんでした。いま、指を見ても傷はついていませんでした。枕中央につばさが左手だけを伸ばした写真は、僅差で撮れませんでした。背中は少しだけ固くなっていました。起き抜けのヨガは危険なので保留しつつ用事を済ませていきます。ひとつ思い出しました。直前に草テチかちゅ~を食べたせいか、つばさの息の臭さが異なりました。口内炎の臭さと獣臭さの二種類の臭さがあるのかもしれません。

宗主とプラトンの問答は難解で、何回も読み、ようやく朧げに理解できました。年若いころに理解できたはずはありません。今よりもさらに朧げに、雰囲気だけに惹かれていったのでしょう。要は大統一理論の事を言っているのでしょうね、この世の理とは。それに神という概念を被せてきているわけです。科学者の一部がよく陥る罠でもあります。「法則を神と呼んでも良いかもしれない、だが、その神はサイコロを振らない」というのが一般的な科学者の立場だと思います。66ページの「ひとしく神は~」の下りです。よく読むと名セリフです。

この段階だけでも原作から漫画版がかなりの工夫を加えられている事が判ります。列挙すると数が多く、この後もまだまだあると思うので避けますが、一言だけ言うと、萩尾氏の漫画化は大成功であった、とだけは一番に書いておきたいです。自分用のメモとしてざっと書くと、グラディウスのキャラ、未亡人、漫画では絵で説明できる強力さがある、小説では記述の深さの力強さがある、などなどです。

第二章は、プラトンの余韻を残したままオリオナエに話が移ります。描写の迫力に時を忘れ完全に引き込まれました。これは夢中になる訳だ、と納得してしまいます。とりあえず、もう少し丁寧に老眼鏡を取り扱わないといけないと痛感しました。頭の上にかけるとレンズがすぐに汚れてしまいます。鼻にかけた方がいいのかもしれません。第二章は新鮮な気持ちで読み終えることができました。細かい部分は予想通り、完全に忘れています。

「第三章 弥勒」、添文は「魔訶般若波羅蜜。」です。あらすじは漫画版で思い出していますが、このまま良い意味で裏切り続けてくれることでしょう。本書の読書は三日目になりますが、非常に贅沢な時間の使い方だと思います。このペースだと、本当に十日くらい余裕でかかりそうです。

突然、裏のお隣さんからSOSがありました。ネット不通となったのでその対処です。新鮮なたけのこ煮と高そうな冷凍のお菓子を貰いました。これに二時間以上かかってしまいました。家を往復しながらつばさにウインナーを何回かあげました。お互いにずっとくっついている感じが強くなってきました。昼以降、色々とあって、全く読書に割く時間がありませんでした。ヨガもキャンセルの電話を入れておきました。読みたいのに時間がないというのは辛いものです。ふと、昨日、藁草履の芯に使う丸いビニールひもを買い忘れたことに気づきました。アレクサに入力する事すら忘れていたのです。

「暑さ」が度々出てきますが、後で出てくる「熱的死」との対比のように思います。寝落ちして、午前四時まで寝ました。

 

 

 

続きます。