ツェッペリンの1971年の初来日の時のパンフのミニチュアを見る。
本物は先日神保町の古本屋で5万5千円の値が付いてた・・・
買えません!
でその中にはパンフなので、当然メンバーの紹介や
バンドの歴史が載っているのだが、なんとページ数が24頁もある。
このページ数からして如何にZEPの初来日への期待が高かったか分かるものだが、
他にも評論家の先生方が「日本とロック」について語ってみたり、
ツェッペリンがどれだけ凄いかを語っておられるのだが、
中でも一柳慧、篠山紀信、菊地武夫、山本寛斎の四人が
「ロックはナウ・フィーリングの”以上総代”」ということで座談会の模様が収録されている。
2008年の今日見ても、この四人の組み合わせは貴重ではないか。
しかし本文なんかよりもぶっ飛んだのが山本寛斎(パンフの中では「やまもと寛斎」)。
下の写真を見よ!
2008年でもこんな人が歩いていたら相当奇抜で度肝を抜かれるが、
1971年にこの髪型はないでしょう!(頭の上半分が坊主・・・)
正直私は山本寛斎氏については無知に近いですが、単純にこの人凄いなぁ!と思いました。
やはりこれくらいずば抜けているからこそ、その後デビッド・ボウイと出会い
世界に名だたるデザイナーになったのではないかと思います。
ん~、それにしても衝撃的な写真です。

本物は先日神保町の古本屋で5万5千円の値が付いてた・・・
買えません!
でその中にはパンフなので、当然メンバーの紹介や
バンドの歴史が載っているのだが、なんとページ数が24頁もある。
このページ数からして如何にZEPの初来日への期待が高かったか分かるものだが、
他にも評論家の先生方が「日本とロック」について語ってみたり、
ツェッペリンがどれだけ凄いかを語っておられるのだが、
中でも一柳慧、篠山紀信、菊地武夫、山本寛斎の四人が
「ロックはナウ・フィーリングの”以上総代”」ということで座談会の模様が収録されている。
2008年の今日見ても、この四人の組み合わせは貴重ではないか。
しかし本文なんかよりもぶっ飛んだのが山本寛斎(パンフの中では「やまもと寛斎」)。
下の写真を見よ!
2008年でもこんな人が歩いていたら相当奇抜で度肝を抜かれるが、
1971年にこの髪型はないでしょう!(頭の上半分が坊主・・・)
正直私は山本寛斎氏については無知に近いですが、単純にこの人凄いなぁ!と思いました。
やはりこれくらいずば抜けているからこそ、その後デビッド・ボウイと出会い
世界に名だたるデザイナーになったのではないかと思います。
ん~、それにしても衝撃的な写真です。

