フジファブリック (Fujifabric) - 若者のすべて(Wakamono No Subete)
Massive Attack - The Spoils ft. Hope Sandoval
エイリアンズ/キリンジ cover 小林私
Angel Shione Yukawa
(ちんちくりんNo,47)
雲がかかっている、とかほるは残念そうな表情を僕に向ける。「高村光太郎文学碑」の前に佇んでいた僕は、いつの間にか駐車場へと戻って行くかほるに気づき、それでもゆっくりとかほるに近づいた。「富士山?」かほるは首を縦に振ると、ガードレールに手を置き、再度恨めしそうに富士山の方向を見る。隣に並んで僕も見たが、なるほど、あるはずの山脈の間から、ズンと頭を出す富士の雄姿がない。空は青く晴れ渡っているのに、恐らくここから二十キロメートルと離れていない山脈と空の境には、何故か厚い雲が広がっていて、富士の先端は確認できるのだが、とても「絶景を堪能する」というレベルには程遠い。もっともここから見える富士山の最たる魅力は冬の一時期に日の出とともに見ることが出来る「ダイヤモンド富士」ではあるが。高村光太郎はここから見える富士の山を「美しきもの」と自らの碑に刻んでいる。
辺りを見回すと柚子の木が植えられている。まだ収穫には早いので、実は青い。民家もある。そもそもここに来る切っ掛けになったのは母の勧めによる。昨日母はかほるとの初対面ではさすがに動揺したが、その後はずっと仏頂面を浮かべていた。それが夕食が終わって、かほるが片づけを手伝ってもまだ「騙されないよ」という風だったのが、皆でテレビの「カサブランカ」という古い映画を観ていたときにかほるがふと呟いた一言でころりと態度が変わったのだった。―わたしこの映画の女優さん好きなんだ―。僕にだけ呟いたつもりだったのだろうが、それが母の耳に入り、「イングリット・バーグマン好きなの?」からバーグマンの出演した映画の話になり、果てはそれに絡む母の昔話にまで発展した。僕も知っている話だったが、戦後、母が十七のとき初めて観た洋画が「カサブランカ」で、バーグマンの知的でその気高い容姿にとても惹かれたという話。その時代は食べ物を手に入れるのも大変で、女学校に通わせてもらっていた母はとても心苦しい思いをしていたという話。その後、母の両親(つまり僕の祖父母)が相次いで亡くなったという話。僕は初めて会った若い女の子にこんな身の上話をするなんてと、さぞかしかほるは辟易していることだろうと思ったが、かほるの表情は真剣そのもので、時々涙ぐむ寸前までいくのをみて、この娘の感性というものはとても繊細なものなのだと感じた。話が終わりになったところで、母は「せっかくだから明日海人に何処かに連れて行ってもらいなさい。そうだ、高村光太郎の文学碑。富士山も綺麗にみえるし」と暗に僕に対して命令した。僕が明日は帰るよと言うと母は、それを遮るように「あんたはいい、私はかほるさんに言っているの。ねえ、かほるさん、明日あともう一日だけ泊まって下さいね」と僕には厳しく、かほるには優しく言った。僕は向かいに座っていた父と姉にただ笑う事しか出来なかったのだった。