その公園は、夜閉められていた。正確にいうと両端の鉄杭の穴に、鎖を通して回し、南京錠をかけただけなのだが、鎖を跨いで入ると、夜中に学校に忍び込んだときのような軽い解放感があった。
私が通っていた大学は、東部東上線の東部練馬駅から、二十分歩いたところにあった。
都内にあるとはいっても、本当は一、二年生の教養課程の内は埼玉校舎で、三、四年が板橋校舎となる。三年になる春、私は大学の生協が紹介してくれた、何件かの物件を見て回り、一駅手前の上板橋駅からイトーヨーカ堂を横切り、東へ軽い坂を下る道沿いにあるアパートに決めた。そこは四畳半に半畳程の申し訳程度のキッチン付と狭かったが、坂道沿いにあるせいか、二階が丁度良いくらいの中二階になっていて、そこから眺める景色もよかったし、銭湯も近かった。銭湯から帰る途中には猫の額ほどの公園もあった。
私はその下宿先を大いに気に入り、さっそく三月の終わりには引っ越した。そして腰を落ち着けると、毎日銭湯に通い、毎日帰る途中にある自動販売機でビールを購入し、公園で一息つき、飲んだ。
その日の夜も銭湯の帰りで、洗面器片手に右手に缶ビールをもって、公園の鎖を跨いで入ろうとしたところだった。
歌声?
悲しげなフレーズが流れた気がした。
でも、公園に足を踏み入れ、辺りを見回しても誰もいない。気のせいかと思い、公園隅にあるベンチに腰掛け、ビール缶のプルトップを引いて、一口ビールを口に含んだ。
暗いな・・・
ふと、街灯を見上げたとき、先ほどのフレーズがまた耳に入ってきた。
やっぱり、歌声がする?
悲しさとともに、どこか懐かしさが伴う歌声だ。
夜の優しげな風が私の多少火照った頬をなでた。
猫の額ほどの公園でもブランコや鉄棒、簡単な砂場もある。どこにも人影はなかった。
ハスキーで儚いが、しっかりとした伸びのある高音が心地よかった。上手くはない。上手くはないが、心揺さぶられる声だ。
そう感じたとき私の向かい側、十数メートル先の公園の端から、何かがが突然現れた。何だろうと見ると、人の顔のようだった。
人の顔は、一定のリズムで上下し、徐々に肩から胸、胸から上半身を現し、最後に右足を踏みしめるように前に出すと、全身を現した。迂闊にも、私はそのときになって、ようやく顔の主が女性だということに気づいた。
公園は小高い丘の上にある。公園の出入口はもう一つ、反対側に坂下の住宅地へと伸びている長い石段があり、そこからも出入りできるのであった。
女性は年の頃二十歳くらいであろうか、洗面器を右脇にかかえ、真っ直ぐもう一つの出入口へと向い、私の前を横切り、呆けている私をちらりと見遣ると軽く会釈をし、鎖で阻まれている出入口をひょいっと跨ぎ出て行った。
歌声はもう聴こえてはこなかった。
これははるか昔の私の記憶である。
今でもよく覚えている。
当時私は毎日同じ時間に公園のベンチに腰掛け、名も知らぬ彼女を待ち続けたのだった。
会って何をするというわけではなかったが、もう一度歌声を聴きたかった。
いや、本当は声をかけ、できれば友人になりたかったのかもしれない。
その後、一か月ほど待ち続け、その場所では結局会えなかった。
一度だけ彼女に似た女性を電車の中で見かけたが、本人だと確信できず声をかけることはなかった。
もし声をかけていたら、今頃私はどうなっていただろう。
今日一日そんな想像をしていて過ごしていた。
「まったく、おっさんてやつは・・・・」
仕方がない、男は過去にとらわれるしょうのないいきものなのであるから。
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