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アンジェラ・アキ - 手紙 ~拝啓 十五の君へ~ / THE FIRST TAKE

2024-02-27 | 音楽
アンジェラ・アキ - 手紙 ~拝啓 十五の君へ~ / THE FIRST TAKE



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冬の陽差しー須山公美子



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The Beatles - Hey Jude




「イエスタデイ 」に込められていた予想外の意味、ポール・マッカートニー本人が明かす

「イエスタデイ 」に込められていた予想外の意味、ポール・マッカートニー本人が明かす

ロマンチックな別れを歌っていると思われていたビートルズの「イエスタデイ」。本人も気づかなかったという曲の意味をポール・マッカートニーさんが語りました

ハフポスト

 


『Hey Jude』

作詞・作曲:Lennon–McCartney

なあジュード 悪く考えないで
悲しい歌も 良く感じてみて
彼女を心の中に受け入れて
そうすれば うまく行き始めるから

なあジュード 怖がらないで
彼女に会いに行って 理解してあげて
彼女を受け入れたその時から
君はうまく行き始めるから

辛いときはいつでも
なあジュード 控えておくんだ
すべてを一人で
背負い込んだりしないで

よく知ってるだろう
クールに振る舞うのは
愚か者だって
少し冷淡に世界を眺めてるんだ

なあジュード がっかりさせないで
彼女を知った今 行って理解してあげて
彼女を心の中に受け入れて
そうすれば うまく行き始めるから

だから あるがままに受け入れて
なあジュード やってみよう
今君は頼ろうとしてる
一緒にやってくれる誰かに

分かるだろう 君なんだよ
なあジュード 君がやるんだよ
やるべきことは
君自身にかかってるんだ

なあジュード 悪く考えないで
悲しい歌も 良く感じてみて
彼女を心の中に受け入れて
そうすれば うまく行き始めるから

ヘイ・ジュードは「当時5歳のジュリアン・レノンを慰めるために書かれたバラード」とされている。

当時ジョンとシンシア夫妻の離婚は決定的な状況だった。ジョンとオノ・ヨーコとの出会いによってだ。

そこで、ポールはジョンよりも仲が良かったジュリアンを慰めようとシンシアとジュリアンの住む家に向かったという。

歌詞はそのときにある程度固まったようだ。曲は帰りの車の中でということらしい。

ただ、歌詞を読むと常々少し疑問に思うことが私にはあった。

……”彼女”というのは一体誰の事を指すのだろう?

ポールも明らかにしているが、一般的には”彼女”はジュリアンの母親・シンシアとされている。

確かにそうだ、事の経緯を考えるとシンシアしかありえない。

しかし、私にはそうはあまり感じられなかった。

ならば何故「彼女に会いに行って理解してあげて」と書いたのかその意味が解らなかったのだ。ー会いに行ってーとは?まるで恋人に会いに行けといっているように感じるのだ。

その部分の英語はこうだ。「You were made to go out and get her」。そのままの意味なら「彼女のもとに行ってものにしてこいよ」なのだが彼女は恋人じゃなくジュリアンの母親のことなのだから、「ものにしてこい」ではおかしい。だから「理解してあげて」と。

もしかしたら意訳としてはこれは多分一種の比喩的表現で、「(彼女に会いに行って=彼女に寄り添い)彼女の(悲しい気持ちを)受け止めてあげて」なのかもしれない。それならば理解できる。

しかし、それだとビートルズ時代のポールとしてはあまりにも凡庸すぎるとも思った。

やはりここには二重の意味が隠されているのではないかと考えたのだった。例えばジュリアンだけではなくポールの立場に於いての彼女とは……?

もしかしたら”彼女”とはシンシアであり、そしてオノ・ヨーコのことも暗に指し示しているのかもしれない。そしてジョン=ジュリアンとも。

それなら違和感がないような気がした。

それでそれからずっとこの曲のことをそう理解して来たのだった。

ーが、今回「イエスタデイ」についての上の記事を読んでもう少しポールが無意識に込めたものがあったのではないかということに気が付いたのだった。

「ヘイ・ジュード」のジュリアンにポールが自身に重ね合わせてみたとしたら、”彼女”はポールの母親であるとも言えるのではないか?

ジョンとポールが気が合ってバンドをつくるまでになった背景には二人とも少年時代に母親を亡くした共通点があったと言われる。

また、二人とも性格は違えども”愛”をテーマに作品を創作することが多い。もう少し突っ込めばどこかしら”母性愛”を感じさせるような作品がある。

例えば、ボールはあの「レット・イット・ビー」をつくった。

あの歌詞の「マリアさま」は彼の「母親の化身」である、とも解釈されているらしい。


さて、……と様々のことをまとめてみると、「ヘイ・ジュード」は、先ずはジュリアンのためだということは当然だとしても、シンシアのため、ヨーコのため、ポールの母親のため、そして盟友のジョンのためでありポール自身のために歌われた曲なのではないだろうかという考えに至った。

間違いない。あれはそういう曲だ。間違いないと……思う。

だからこそ「ヘイ・ジュード」は聴いた人間たちの脳裏に、家族や恋人や友人や自分自身も癒される”愛”が刻み込まれるような感動をもたらせてくれるのか、私はそう結論付けたのであった。

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