そらいプロジェクト。

そらイのなすこと、思うこと。

とっかかりに

2012年03月24日 10時43分44秒 | 努力し続けるために
みなさまおはようございます。2012年ののの、、、3月24日土曜日となっております。小雨の寒々しい土曜日の午前中です。明日は外回りで一杯なので、本日は必ず月曜日提出・先方着の書類を作り上げねばなりません。そういえば、大変お久しぶりでありました。何かこのブログに雑談をカタカタすることが、いけないことのように言う方がいて、その方はそういう意味で言ったのではないと思いますが、私がそう受け取っていたので、黙々と、時にはへこたれながら、仕事をしておりました。いやしかし、ハードでヘビーな仕事によって、随分と鍛えられた感じがしております。もう少し、3月一杯頑張って、4月に引継ぎが出来たら、少しは楽になります。こまごまとしたその他の仕事を片付けて、本題に入る前のひととき。

最近知ったことは、いわゆる成功本の大抵が、言葉の習慣や潜在意識について考え方を中心とするなかで、果たして潜在意識とは脳でいうとどの部位にあたるのかと疑問に思い、試しに検索してみたところ、東京都神経研のサイトに辿り着きました。記憶の形成において海馬の役割が大変重要で、この部位を損傷すると、大脳連合野による(?)作業手順についての記憶や扁桃体を中心として形成される感情についての記憶は保持されながら、昔の出来事・エピソード記憶を保持すること・思い出すことが出来なくなるそうです。コワイ話です。他のサイトでは、エピソードを思い出すことを「心的時間旅行」と称しており、素敵なネーミングだと思ったものでした。飲み過ぎて帰った次の朝、どうやって帰ったかの記憶がないのは、エピソード記憶の欠落であり、帰るための作業はちゃんと脳がやっているのは、そういうことなのでしょうか・・・。なお何故私たちは、乳幼児期の記憶がないのか、これを幼児期健忘といい、読んでみると、海馬は記憶を形成することはできるが、大脳発達が未熟であるため、その記憶を蓄積・想起することができないとの説が書いてありました。

精神分析でいうところの無意識と、いわゆる成功本の潜在意識の違いは何かあるのでしょうか。健全な人の心のありようについても、心理学は研究したらいいのにと、つぶやきます。もうやっているかも知れませんね。

あと、こないだ知ったことで「関東の三大師、佐野厄除け大師!」と子どもの頃ラジオで聞いた記憶があったので何年か前に行ってみたものでしたが、サイトによると、慈恵大師という方から大師の名は由来していました。一方、最近気まぐれに寄ってみた深大寺のサイトにも、「厄除け元三大師 深大寺」とトップにあるので、深大寺の歴史のページを読んでみると、平安時代に元三大師像を比叡山から遷座して(運んで?)、江戸時代には元三大師(がんさんだいし)信仰が賑わったとありました。どうも慈恵大師と元三大師はウィキによると、同一人物で、おみくじを始めたのはこの方らしく、お弟子さんにはちょっとだけ聞いたことがある源信もいたとありました。

いけません、とっかかりにカタカタしましたら、お昼前です。
本日も宜しくお願いいたします。

※写真は、こちらから行くと深大寺のかなり手前だったかにある森のギャラリーのカフェ