みなさまこんにちは、2013年5月29日水曜日の関東地方は梅雨入りの水曜日となっております。最近はじめた、気功の三円式という、なんと言いましょうか、一つのポーズを30分くらいキープする運動なのですが、これが肩やら脚に効きまして、かるく筋肉痛です。これならば続けて行けそうで、よい運動方法を見つけたと、密かに喜んでおります。少し自分でやってみて、いつの日か健身気功の会にでも入会して、いろいろな意見を聞けたらと思っています。多摩市グリーンボランティアの初級講座を2回以上欠席してしまって、今期の卒業要件を満たさなくなってしまい、意気消沈。時間があれば、ななやま緑地の会に出たいところです。
いきなり趣味の話しでした。
さてこの間、商業登記の本支店一括申請をしましたところ、本支店一括申請の内容に、役員変更も加えて良かったか、紙申請の時の、できないケースなど思いだし、ちょっと考え込んでしまいましたが、加えて全然大丈夫で、青森の方の支店の登記もあっという間に完了していました。以前では、本店所在地において登記したことを証する登記事項証明書を添付して、青森の法務局にも郵送申請していたわけですが、1回の申請で済むので楽です。
仕事の話し…、、、どんなことがあるか…、当たり障りのないもので…、
また思い出したときにでも。
写真は、会津若松の白虎隊。こないだ、会津若松の司法書士さんとお話ししたところ、会津の人たちにとって「明治維新」というのは納得いかない名称であり「明治革命」と言ってほしいとの意見を聞き、そういえば「維新」なる文言は、最近作られた政党の名称にしか出て来ませんので、なるほどなと思ったものでした。下は、近藤勇の墓所…!?。調布の地に生まれて、鳥羽伏見で破れても、再度、甲府勝沼で戦い、流山にて包囲され、越谷に出頭されました。ウィキによれば以下のとおりです。
「近藤の遺体は東本願寺法主が受け取り埋葬したとされるが、一説に同志により奪還され、愛知県岡崎市の法蔵寺に葬られたともいわれ、同寺に近藤の首塚がある。また東京都三鷹市の龍源寺(先述の出身地、現・調布市野水のすぐ近く)や処刑場の近隣であるJR板橋駅前にも旧同士だった永倉新八により建立された墓所がある。福島県会津若松市の天寧寺には土方歳三が遺体の一部を葬ったとされる墓があり、山形県米沢市の高国寺にも近藤勇の従兄弟近藤金太郎が首をひそかに持ち帰り埋葬したとされる墓がある。毎年、民間団体が近藤勇を弔う為に「近藤勇忌」を流山市や会津若松市等で行っている。」
こちらにもいらっしゃいましたか…。奇遇でした。
いきなり趣味の話しでした。
さてこの間、商業登記の本支店一括申請をしましたところ、本支店一括申請の内容に、役員変更も加えて良かったか、紙申請の時の、できないケースなど思いだし、ちょっと考え込んでしまいましたが、加えて全然大丈夫で、青森の方の支店の登記もあっという間に完了していました。以前では、本店所在地において登記したことを証する登記事項証明書を添付して、青森の法務局にも郵送申請していたわけですが、1回の申請で済むので楽です。
仕事の話し…、、、どんなことがあるか…、当たり障りのないもので…、
また思い出したときにでも。
写真は、会津若松の白虎隊。こないだ、会津若松の司法書士さんとお話ししたところ、会津の人たちにとって「明治維新」というのは納得いかない名称であり「明治革命」と言ってほしいとの意見を聞き、そういえば「維新」なる文言は、最近作られた政党の名称にしか出て来ませんので、なるほどなと思ったものでした。下は、近藤勇の墓所…!?。調布の地に生まれて、鳥羽伏見で破れても、再度、甲府勝沼で戦い、流山にて包囲され、越谷に出頭されました。ウィキによれば以下のとおりです。
「近藤の遺体は東本願寺法主が受け取り埋葬したとされるが、一説に同志により奪還され、愛知県岡崎市の法蔵寺に葬られたともいわれ、同寺に近藤の首塚がある。また東京都三鷹市の龍源寺(先述の出身地、現・調布市野水のすぐ近く)や処刑場の近隣であるJR板橋駅前にも旧同士だった永倉新八により建立された墓所がある。福島県会津若松市の天寧寺には土方歳三が遺体の一部を葬ったとされる墓があり、山形県米沢市の高国寺にも近藤勇の従兄弟近藤金太郎が首をひそかに持ち帰り埋葬したとされる墓がある。毎年、民間団体が近藤勇を弔う為に「近藤勇忌」を流山市や会津若松市等で行っている。」
こちらにもいらっしゃいましたか…。奇遇でした。
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