石虎将軍の「一念は石をも貫く」量子力学(素粒子)で証明
先般の御講で法道院(日蓮正宗)の法覚御尊師より賜った法話より
石虎将軍のことは、いままでに幾度か拝聴した法話ですが、
私が以前に読んだ本「量子力学」でそれはそれは史実であると確信いたしました。
1)法話
李広将軍のはなし(中国史記)
李広将軍と申せし・つはものは 虎に母を食れて 虎に似たる石を射しかば 其の矢 羽ぶくらまでせめぬ、
後に石と見ては立つ事なし、後には石虎将軍と申しき、貴辺も又かくのごとく 敵は・ねらふらめども
法華経の御信心 強盛なれば大難も・かねて消え候か、是につけても能く能く御信心あるべし
通解(意訳)
史記によると、
中国の李広将軍(りこうしょうぐん)という武将は、虎に母を食い殺され、復讐の念を常に抱いていた。
ある日、「仇によく似た虎」が草むらにうずくまっているのを見つけた、
「母の仇討」という復讐の思い、「強い一念」で矢を放っち射貫いた。
ついに「仇討ちをやり遂げた」と駆け寄ったところ、実はそれは虎ではなく、
「虎の形に似た石」であったが、
その矢は硬い石を貫き通し、矢ぶくら(矢の羽根の部分)にまで突き刺さっていた。
矢羽根の部分
その後、それが「虎に似た石」であると気付いてからは、何度その石に矢を射ても、
矢が石に刺さるということはなかったという。この出来事から、李広将軍は「石虎将軍」と呼ばれる。
一念を込めれば、不可能も可能になるとの譬えとして用いられている。
法話は以上ここまで
2)以下は私の推論
いままでに幾度か拝聴した法話ですが、単なる寓話だと思っていました。
しかしこのことは
私が以前に読んだ本「量子力学」でこのような(矢は硬い石を貫き通し)
は寓話ではなく、実際に起こりうることだと思いました。
一念と量子力学(素粒子)
自然界の物質はすべて素粒子からなっている。これは現代物理学が導き出した重要な結論です。
驚いたのは、人間の思考や意識、感情も「素粒子で構成」されているということです。
素粒子(そりゅうし、(英: elementary particle)とは、物質を構成する最小の単位のこと
素粒子「物質粒子」大きくクォークとレプトンに分けることができます。
物質→分子→原子→陽子→素粒子
※右に行くほど小さくなる
「母の仇討」という復讐の思い、「強い一念」で矢を放っち射貫いた。
ついに「仇討ちをやり遂げた」と駆け寄ったところ、
実はそれは虎ではなく、
虎の形に似た石であったが、その矢は硬い石を貫き通し、矢ぶくら(矢の羽根の部分)にまで突き刺さっていた。
つまり、量子力学(素粒子)理論から考えると
虎の形に似た「石」も物質、つまり素粒子で構成されている
この貫いた「矢」も物質、これも素粒子で構成されている、ここまでは理解できます
問題なのは
人間の思考や意識、感情も「素粒子で構成」されている、ということです。
「虎に似た石であると気付いて」
(石に矢が突き刺さるはずなどない、不可能だと思う)からは、
何度その石に矢を射ても、矢が石に刺さるということはなかったという。
「仇によく似た虎」が草むらにうずくまっているのを見つけた、
「母の仇討」という復讐の思い、「強い一念」で矢を放ち射貫いた。
「強い一念」つまり一念という意識(素粒子)波動が、矢(素粒子)に伝わり
石(物質・素粒子)を貫いた。
つぎの数式からもこれが事実(史実)だと推測されます。
数式
E=hν E(エネルギー)、h(プランク定数「6.6×10-34」、ν(周波数 単位はHz)
周波数が大きいほどエネルギーが大きいということ、となります。
つまり「一念」とは周波数Hz(波動)
「石」に矢が突き刺さるわけがない、100Hzの弱い一念(波動)のと、
「仇によく似た虎を見た、母の仇討」という(石とは思わず、生身の虎であると思い)
復讐の思い、「強い一念」1億Hzの強い一念(波動)を飛ばすのと、
当然、E(エネルギー)が違ってきます。
それが「虎に似た石であると気付いてから」は、
何度その石に矢を射ても、矢が石に刺さるということはなかったという。
このことからも李広将軍のはなしは寓話ではなく、史実だと思いました。
不可能なことも可能とする、
「できない」のは自分で勝手に「できない、無理だ」と思いこんでいるからかもしれませんね。
強い一念(意志)があればすべて(環境、人、モノなど)変わると確信いたしました。
強き一念は「石」をも貫く
試しに一念を込めて拳で壁を突いてみた。。。。手が痛かった、やはり固い壁だと思ってる時点でダメなのかもしれませんね(苦笑
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