さて、この話には、とても大事なことが書かれてあります。
一つは、先にも書いたように、釈迦様ご自身がおっしゃっておられるように、「経文には死者を救う力がない」という事です。
ですから、お経で霊を成仏させるとか、お経を用いて「自称:浄霊(除霊)」を行うと言う霊能者たちは、まずニセモノであると判断できるわけです。
以前より星椎水精先生が、
「そもそも釈迦様は、浄霊を行っていないし、そのことも述べてはいない」
ということを書かれておられますが、まさにこの話と合致しますね。
さらに、釈迦様のお話にあるように、「いくら経文を唱え願ったところで、沈んだ石は浮かんでこない」わけであり、霊能者たちが行う「自称:浄霊(除霊)」も、お寺の僧侶が行う「供養(=読経)」も、結局はこのような状態にあるという事ではないでしょうか。
特に巷の霊能者たちが行う除霊などは、自分には霊を浄化する力があると思い込んでおり、お経を唱えれば石(成仏出来ない霊)が浮かんでいくように様に見えているのかもしれませんが、それは金銭や名誉などの「欲」によって違うものが見せられている状態であったり、また浮かんでいないのがわかっているのに「浮かんできている」と偽りを述べたりしているのではないかという事です。
つまり、「浄霊」や「成仏」などの言葉を簡単に使用している人が多いのですが、実際は「浄霊」や「成仏」はそんな簡単なものではないということが、釈迦様のお話から見て取れます。
現に、当時から釈迦様もキリストにおいても、「浄霊」はその範疇ではなかったわけですから。
結果として、常日頃より星椎先生のコラムや本を読んで勉強し、冷静な判断力があれば、このような矛盾にも容易に気づけるようになるのだと思います。
つまり、「心眼を磨く」という事が出来ていけば、これらに惑わされずに済みますよね!
ニセモノが蔓延している世の中ですから、ますます真実を見極める力が必要になってくると思います。
星椎水精先生のホームページ:先祖供養
携帯版はこちら
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ですから、お経で霊を成仏させるとか、お経を用いて「自称:浄霊(除霊)」を行うと言う霊能者たちは、まずニセモノであると判断できるわけです。
以前より星椎水精先生が、
「そもそも釈迦様は、浄霊を行っていないし、そのことも述べてはいない」
ということを書かれておられますが、まさにこの話と合致しますね。
さらに、釈迦様のお話にあるように、「いくら経文を唱え願ったところで、沈んだ石は浮かんでこない」わけであり、霊能者たちが行う「自称:浄霊(除霊)」も、お寺の僧侶が行う「供養(=読経)」も、結局はこのような状態にあるという事ではないでしょうか。
特に巷の霊能者たちが行う除霊などは、自分には霊を浄化する力があると思い込んでおり、お経を唱えれば石(成仏出来ない霊)が浮かんでいくように様に見えているのかもしれませんが、それは金銭や名誉などの「欲」によって違うものが見せられている状態であったり、また浮かんでいないのがわかっているのに「浮かんできている」と偽りを述べたりしているのではないかという事です。
つまり、「浄霊」や「成仏」などの言葉を簡単に使用している人が多いのですが、実際は「浄霊」や「成仏」はそんな簡単なものではないということが、釈迦様のお話から見て取れます。
現に、当時から釈迦様もキリストにおいても、「浄霊」はその範疇ではなかったわけですから。
結果として、常日頃より星椎先生のコラムや本を読んで勉強し、冷静な判断力があれば、このような矛盾にも容易に気づけるようになるのだと思います。
つまり、「心眼を磨く」という事が出来ていけば、これらに惑わされずに済みますよね!
ニセモノが蔓延している世の中ですから、ますます真実を見極める力が必要になってくると思います。
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