海とオルゴールBLOG

イルカにあえる海辺のカフェ『 海とオルゴール』さとみママからのお便りです

能登島イルカ 6頭目のイルカ生まれて間もなく死んだ日

2010-09-02 21:58:22 | 能登島イルカウォッチング 観察日記


能登島のイルカに赤ちゃんが生まれて、喜んでいた。じーちゃんがいう。ついこの間、重蛇島に死んだイルカを見た、
こんな色をしていたといい、岸壁に浮いている発砲スチロールを手で叩き、「こんな色やった」
そうつぶやく、
それで、わたしが、その時、どんな気持ちがした・・・といい顔を覗くと、
「ほんで・・・みたないわ(もう、見たくない、辛かった)」一言告げてくれた

重蛇島へは、観光客のお客様を乗せて、この8月の中旬ごろにその日は、5隻の船を出した。
船に乗って、重蛇島の周りにイルカがいた、5頭のイルカ達が、白くふやけた死骸のイルカを
目撃したことを話してくれた。
その場所には、能登島のイルカたちが囲み、必死になり、母イルカが死んだ子供のイルカを、
持ち上げていたという・・・

ただ一言哀れだった。



観光推進のために、ぼこぼこになって、能登島の海でしんでしまったイルカのことを
わたしは、心の中で訴え続けてやみません。

子供の頃、こんな本を読んだことがあります。
イルカと人間との深いつながりのエピソードを。
戦争で、イルカの背中に地雷を背中に縛り、「さぁー行ってこい」と掛け声をかけると、
敵がいる島へ行き、自爆したそうです。

この夏、動物愛護に電話をしました。自然保護も、環境省も、国土交通省も・・・
守ってくれる人は誰一人いませんでした。

電話の向こうで、こう言われました。
「和歌山が良い例です。殺したり、棒で叩いたりしない限り、なにもできません」

ボコボコになって、この能登島の海に沈んでしまったイルカの子供のことを、決して
忘れてはならないことをお伝えします。

そんな自分の心情と向かい合わせに、自分の撮影したイルカたちが、自分の意に反して、
PRに使用されていたなんて・・・
逆境から、今度はイルカを救う糧になるんだろうな・・・

もしも私が船の操縦士だったら、イルカが6頭しかいなかったら、一つだけの船で航行すると思うよ。時間を決めて、
イルカの棲みかへ人間が入るということを前提にして・・・ルールを決めて。
これは、もっともっと先かも知れませんが、いつかきっと私、船長になると決めた。