海とオルゴールBLOG

イルカにあえる海辺のカフェ『 海とオルゴール』さとみママからのお便りです

ももえねーさん

2007-10-16 09:18:50 | 絵の具つきたかし先生
昨日(10/15)の午前、空模様は、曇り時々雨。 和倉温泉加賀屋あえの風に勤務していた頃、母のようにわたしの面倒を手とり足とり支援してくれたももえねーさんから、いつものように電話が入る。 ねーさんから電話をいただくのは、決まって、天候が悪い日に決まっている。「おーい 『はんな』(春菜<加賀屋在職時代の源氏名>)たっしゃか(元気)お客さんな くっかいや(来る) おりゃぁ~(私)『はんな』なお客さんこんが(来ない)になったゆうて泣いとるがんないかおもて・・・」 ねーさん。大丈夫や、ぼちぼちやわいね、心配せんとかしや(気にしないで)そういえば、ねーさん。たかし先生な、わたしの加賀屋時代の写真集を制作してくださって、ねーさんと二人並んでる写真あるげんぞー。 「ありゃぁ~えぃーかぁーーーなぁぁーーーまぁたぁぁあぁ~(びっくり!)」二人、電話の こっちと向こうで 笑顔がこぼれていた。 当時、23歳のわたしの全てを守ってくれた ももえねーさん。今、76歳。どれだけ、この先 時が過ぎても、わたしを訓練してくれた、大切な人からの電話にいつも励まされる瞬間かもしれないな。 ところで、携帯電話を洗濯機の中に入れて、おもいっきり故障してしまいました。まずは、報告まで。 ~絵の具つきたかしさんから日曜に第三巻を受け取りました~ 絵の具つきたかしさんが編集した第三巻の内容に秘話が隠されています。本心は、誰でもかれでも見せるものではない、このブログの記事以外のわたしの全てが記してあります。最初、印刷にあたり、原稿を受け取った日、全て読み上げて、「これは、誰にでも見せるものではない。」そう胸に止めていました。その後、暫くしてある日のこと、ある新聞の記事に目が止まりました。平々凡々と生きた人 のほほーーんと生きた人 比較されて生きた人 人生には、いろいろな生きる力があると思いました。 母は どんな孤独でも  母は どんな試練でも  母は どんな困難でも子を育てることが出来ることを知って欲しい いつか この先 必ず春のあたたかい光が降り注ぎ  輝くことが出来ること 人間死ぬまで努力とあきらめない強い意志を持って生きて欲しい 支える人がいる どんな境遇であろうと わたしの人生の中で いつも 支える人がいてくれたことに この第三巻を読み上げて満天の星と月の明かり(昨晩は三日月でした)を見上げた 第一番に読んだのは、わたし。二番に読んだのは、カエルパパ。三番に読んだのは、ととろちゃん。 やっぱり、泣かせてしまった。最後の何枚かのページは、クリップをとめてしまいました。 表紙には、わたしの写真が三枚載っています。 20代 30代 40代 人生のドラマ・・・・・絵の具つきたかしくんの編集・製本 ・・・毎日の大切な労力を費やし、頭がさがります・・・でもね、たかし先生・・・最後の章だけは、やっぱり・・・。 本日、やや嵐のため、しばしします・・・ 追加:午後4時30分絵の具つきたかしさん 第3巻 07・6~10・6(付録:さとみさんの半生伝) はじめに  この第3巻は難産だった。“さとみさん”の「半生伝」的な一節を織り込もうとしたら、彼女にとっても、僕にとっても、重い課題になってしまった。“さとみさん”はブログで真実のみを書く、書いている、書いてきた――これは始終一貫しているんだが、真実ならすべてを晒していいものだろうか――これが難問だった。それほどに“さとみさん”の半生は、只事でなく不遇不幸だった。「半生伝」の執筆編集が進むにつれ、“さとみさん”は懊悩したろう。「半生伝」を公表することに、たじろいだろう。それは当然だ。一読すれば“さとみさん”の前半生が、「生きているのが不思議だ」と当時の僕に言わせたほど悲惨なものだったことが分る。そんな過去は、普通なら隠蔽するし、隠蔽すべきものとされる。しかし僕の見るところ、“さとみさん”は普通の人ではない。深い泥沼に根を下ろしながらも真っ直ぐ茎を上に伸ばし、水上に大輪の白い華(はな)を咲かせている仏法世界の蓮(はす)――それが“さとみさん”。人の心の無間(むげん)の闇に、一縷(いちる)の光明を灯す詩人――そう、正しく彼女は《詩人》だ。《詩人》は、天上に飛翔もすれば、地の底を這(は)いもする。《詩人》にはすべてが許され、そしてほとんど理解されない。だが、人とは何者なのか、何者たり得るのか、何者たり得ないのか――それを“言語を突き抜けた魂の言葉”で伝える使命を帯びる。“さとみさん”は泥沼を這い回りながら、いつしか《詩人》になってしまった。なってしまったものは仕方がない、“さとみさん”は《詩人》として後半生を生きる宿命(さだめ)を負った。“さとみさん”の言葉(詩)を受け留めるためには、その言葉(詩)を紡(つむ)ぎ出す彼女の前半生を知っておかねばなるまい。”さとみさん”は己を空(むな)しくして、ブログ“海とオルゴール”の愛読者に、自己の前半生を晒すしかあるまい。これが僕(編集者)の見解であり、“さとみさん”はこの帰結の必然性を《詩人》として直感し覚悟した。この覚悟が備わったその瞬間から、“さとみさん”の《詩人》としての後半生が本当に幕を開けた。もう彼女にこだわることや恐れるべきものはない。彼女の言葉はすべて、天衣無縫の《詩人》の言葉としての響きをもつだろう。いよいよ“さとみさん”は、人の魂に元来籠められていると言われ続けてきた《真善美》というものの、その純粋結晶を探求する旅に立った。

                三林隆 弁護士


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一日一日肌寒くなりました。一年目はだぁれもこない日がほとんど二年目は少しエンジンがかかるかなって程度三年目は掴んだ人が着々と “海とオルゴール”に足を遠いところからおいでになるようになりました。第3巻を巡り・・・私自身たくさんの迷いがありました。どしゃぶりの日には必ず編集を見直すといっときながら、すぐに時間に追われて一度読んだら、過去の半生が記憶を辿り、その場所にも自分が立つこともありました。辛く苦しい人生は、人がもし、読むことがあるとすれば、批判するのではないか、中傷するのではないか、不安が過ぎりました。それ以上に、先生が、この第3巻を編集するに、どれほど時間を費やしたことかそして、同じ想いや同じその時の境遇に立ったことか。いろいろな表情の顔(写真)がありましたね。わたしは、いまの表情の中で一番気に入っているのがありますよ。それは、お客様と海とオルゴールの中でいる顔です。もう一つ、イルカを見てるときの顔です。この場所を選んでよかったって思っています。 ≪詩人≫じゃなくて、わたしは、その日その時に感じたこと印象に心に止めたことをただ正直に書き記している、≪そそっかしい~詩人かもね!≫ 第3巻大切に“海とオルゴール”に置かせていただきます。いつもありがとうございます PS。。。まだ読む暇がなくて、18日から東京へ出かける機内(空の上)で目に入れたいと思います。宝物にします!!               ~海とオルゴール さとみ~


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